【小説】早坂 吝|迷宮(す)いり 第7回
迷宮牢殺人事件
武智玄才との格闘中、そして不覚にも打ち倒されてからは混沌の迷宮を彷徨うがごとく方向感覚を喪失していたが、ようやく清明な意識が戻ってきた今、死宮遊歩はすべての要素が惑星直列のように一直線に並んでいることに気付いた。
二つの曲がり角を結ぶ、脇道のない長い廊下。
その真ん中付近の床に、死宮は膝を突いている。
その側には、恐るべき合気道の神業で彼を苦しめた武智が横様に倒れている。死宮がすでに死亡を確認したその肉体の何処からか、今も新鮮な血が流れ出している。
また、血溜まりの外に回転式拳銃が落ちていた。
武智は自殺したのか?
否。
格闘で三人を昏倒させ、全員の生殺与奪の権を握っていた人間が突然自殺したなどという不自然な考え方をするほど、死宮は脳震盪を起こしてはいない。
それに――。
とめどなく溢れる血は、どうやら作務衣の背中に空いた穴から流れ出しているようだった。銃創だ。
胸元に手を入れて体の前面を確認するが、銃弾は貫通していない。
つまり武智は背中を撃たれた。
自分で自分の背中を撃つのはまず不可能だろう。
よって他殺ということになるのだが、問題は銃弾がどちらから飛来したかである。
死宮は片方の曲がり角を見やる。そこには長らく姿を消していた上田万里が立っており、おずおずと死宮と死体に視線を送っている。
もう片方の曲がり角は?
汚野☆SHOWとエカチェリーナ冬木が壁に寄りかかって倒れている。先程、武智に暴行を受けた時と同じ体勢や血の飛び散り方に思える。もっともあの時は死宮も武智に全神経を注がなければならなかった都合上、そこまで記憶が定かなわけではない。また多少動いていたとしても、即座に犯行に結び付けるよりも、激痛の中で苦悶反転したと考えるのが妥当だろう。
死体の向き次第では話は簡単だった。例えばうつ伏せで頭が汚野とエカチェリーナの方向を向いていたとすれば、撃たれた時背中は十中八九万里の方を向いていたはずだから、万里が犯人と断定して差し支えないだろう。
だが不幸なことに、死体は横様に倒れており、背中は側壁の方を向いている。
そういえば銃声の直後に武智が倒れていく時、今から思えばその体が回転していたような気もする。だが覚醒した直後なので、どちら向きに回転していたかは定かではない。したがって射撃の方向は分からない。
連鎖的に断片的な記憶が蘇ってくる。
武智が倒れた直後、何か硬いものが床に落ちる音がした。
それから――左足だ。
誰かが左足で銃を蹴っていた。
その後で死宮は一瞬目眩を起こして再び意識を失いかけたため、それが誰でどちらの方向で起こった出来事なのか皆目判別が付かないのだった。
起こったことを推察するならば、おそらく犯人は死宮が目覚めたのに気付いて、嫌疑を逃れるべく咄嗟に銃を手放したのだろう。
だが足元に落ちていたら何の意味もない。そこで蹴飛ばした。
銃は迷宮の床を滑り、死体の側で止まった。
そのようなところだろう。
ちなみにリボルバーは排莢を行わないので、空薬莢の処分を気にする必要はない。弾倉をチェックすると、一発だけが発砲されていた。
さて、射殺から続く一連の動作を行ったのは、残る三人の容疑者のうち誰なのか。
「上田さん、撃ったのは貴女ですか」
死宮にしばらく放置された恰好になっていた万里は、不意の質問に全身を震わせた。それから焦ったように忙しなく弁明を始めた。
「え、撃ったって――あっ、やっぱりさっきの音は銃声だったんですね。武智さんが撃たれたんですか? 私――私はもちろん何もしてませんよ。音がしたから恐る恐る角を曲がったらこんなことになっていたんです」
「そうですか――。その言葉を信じたいところですが、生憎貴女は私との行動中に忽然と姿を消すような人物だ」
「それは――その――」
「今までどこで何をしていたんです?」
「えーっと……」
万里はしばらく視線を足元にうろつかせていたかと思うと、ゆっくりと死宮に向き直った。その目には開き直った者の強さが宿っていた。
「怖くなっちゃったんです。あ、勘違いしないでくださいね。死宮さんがじゃなくて、この事件の何もかもが。おかしくなって、今にも叫び出してしまいそうだったから、一旦一人になって冷静に状況を見つめ直してみよう。そう思って内緒で死宮さんから離れたんです。単独行動中は少しでも皆さんの役に立とうと迷宮を調べてまわっていましたが何も見つからず……やっぱり迷惑でしたよね。ごめんなさい」
あまり論理的な回答ではないが、その場を流せるほどには弁が立っている。伊達に教師はやっていないということか。
「ふむ、なるほど。ひとまずその答えで信じておきましょう」
「ありがとうございます」
万里はぺこりと頭を下げた。
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