フロントエンドエンジニアとして 3 年勤めたので、退職してフリーランスになろうかと思っている
退職した
仕事を辞める前に、仕事をやめたら自分は後悔するだろうなということを見越して、なぜ仕事を辞めるのかというのを書き出しておいた。地獄みたいな現状を残しておくことで、「よくこの地獄から抜け出してくれた」って思えるようにしておく。
どんなかんじで仕事をしていたのか
28 歳のとき未経験で今の会社に入ってフロントエンドエンジニアになった。で、3 年とちょっとの間はたらいた。
そのとき自分が住んでいたのはすごい田舎で、ハロワに行って「プログラマー」って検索すると、5 件しか出てこなかった。で、とりあえずそのうちの未経験でもいいって書いてある 2 件に応募して、面接して、採用になったのが 1 社だけで、そこではたらくことになった。
はじめはデバッガというか PM 補佐みたいな感じの仕事ばかりやっていて、正直すぐにしんどくなって辞めてえなあって毎日思っていて、通勤して駐車場についてもなかなか車から降りられない状態になったりしてた。
当時は、とりあえず「未経験」ってラベルを剥がすためだけに会社に行っていたところがある。自分は PM の補佐よりも、プログラマになりたくて、オフィスにそのときひとりだけだった先輩プログラマに「どうやったら開発にいけますか」って訊いて、「とりあえず、自分で勉強してプログラミングできるようになったら、役員に言ってみれば? けっこうやりたいことやらせてもらえるよ」って言われて、そのときは ralavel をちょっと書けるくらいのスキル感だったので、どの言語を勉強すれば良いのか訊いて、javascript と typescript って教えてもらったので、家で勉強しまくった。
そしたら先輩プログラマが、役員に伝えてくれたらしく、開発の方に行けるようになった。
9 月入社だったから、だいたい 1 ヶ月でプログラマになれたことになる。
開発になる以前のツイートは、辞めたいとか、会社行きたくない、とかばかりだけど、開発になってからのツイートは、わりと楽しそうなツイートばかり見受けられる。プログラミングは好きだったので、仕事でプログラミングできるのは純粋に楽しかった。
この頃は教育系のアプリを create.js で作ってて、今思えばいちばん平和な時期だったなと思う。
ただ、毎年新入社員と同じ数だけ退職者がでるような会社だったから、案件もぼろぼろで残業が増えて、転職したいなっていうのはずっと思っていた。案件にアサインされてからは、徹夜で会社に止まることもあって、「定時退社とは?」みたいな感覚になるくらいには脳みそがイカれてた。
それから少し大きな案件にアサインされる。物件と顧客のデータ管理アプリで、electron, react を使ってのデスクトップアプリケーションだった。ちょうど flash が終わるタイミングでのリプレイス案件で、「仕様書はありません。現行のアプリが仕様書だから、現行のアプリ見ながらつくって」っていういま思えばアホとしか思えない状態である。
現行アプリを動かしたり、actionscript のコードを読んだりして、機能と仕様を理解して、typescript で記述していく。これ、当時は何も知らなくて当たり前のことだと思っていたけれど、リプレイス案件だからっていう理由で仕様書がない案件ってのはただただやばい案件ってことを後々しることになる。この案件は徹夜と休日出勤は当たり前で、精神が死んでいた。しかもちょうど 36 協定が厳しくなった時期で、社長や役員から「一定の残業時間を超えた場合、残業時間をもにょもにょする。そのぶん給料には、能力給としてもにょもにょするから」みたいな話が出て、だいぶ香ばしい匂いのする会社だなって思った。上乗せされた能力給と失われた残業代を比較すると、損してたんじゃないかって思うけど、当時の徹夜続きのシナプスが壊滅した頭ではなにも考えられなくて、死んだ魚の眼でよだれを垂らしながら実装をすすめることしかできなかった。
こんなかんじで、IT 起業の洗礼みたいなデスマ案件を渡り歩く旅人になっているうちに、スキルも自然と身についていた。当時デスマではあったけれども、プログラミングは楽しかったので、わりと寝る間を惜しんで勉強してた。
そうやっておれはデスマのオーバーワークにより死んだり生き返ったりを繰り返して、精神はツギハギになり、それでも蓄積される経験によっていびつな技術筋肉を手に入れたフランケンシュタインになった。それからはデスマ仕込の技術筋肉で降りかかる火の粉を払い除け、アサインされた案件はわりと炎上することなく終わらせられるようになった。ただ社内にはパイロキネシストがいるらしく、社内のどこかしらは常に燃え盛っていて、消火隊員として火の海に突き落とされ、フランケンシュタインは燃えて死んだ。南無🙏
で、本当の限界が来て、おれは仕事中におもむろに立ち上がり、目の前の席の CTO に会社をやめたいという思いの丈を、通り魔のような唐突さで伝えたのだった。入社から 3 年が経っていた。フランケンシュタインとして 3 年間生きてきた。おれはシャバに出ることを決める。陽の光を浴びたい。燃え盛る案件の炎に包まれたフランケンシュタインの魂の叫びだった。「ア……、アッス、アノッスネ〜、……カ、カイシャ、ヤメ、……ヤメヨウト、オモ、ッス。ア〜、ッス……」。度重なるデスマによって人語を失った化け物のような言葉だった(ただのコミュ障)。それでも会社を辞めるということを伝えた日の退社するときのおれの心には、数年ぶりにナギ節が訪れる。ついにおれはシンを倒した。年内いっぱいははたらくけど、それでもあと数ヶ月で開放されると思うと、いまの環境にも終わりという有限性ができたことを思うと、にやけが止まらなかった。
会社を出て、ビルを見上げた。燃え盛るオフィスはさながら金閣寺のようだ。美しい。
仕事をやめようと思おもった理由
仕事で良かったこと
プログラマとして経験が積めた
わりとモダンな技術を採用してくれていた (typescript, react, electron)
これくらいか。
でも未経験で採用してくれたことと、開発に移動させてくれたことには本当に感謝している。感謝してもしきれない。開発に移動できてなかったらすぐ辞めてたと思う。
仕事で嫌だったこと
感情的な人との人間関係
支給 pc に lanscope という監視ツール
デスマをつくりだす環境
通勤
自分には合わなかった。
そのうち会社にいるだけで吐き気がするようになってきて、昼休みなんかはひとりで近くの公園で安らぎをもとめてさまよったりしていた。
公園の野良猫だけが癒やしだった。かわいい〜。
公園でひとりで毎日ご飯食べて昼寝してたら、いよいよホームレスだと思われたのか、ホームレスから仲間の証に金麦を貰ったこともある。申し訳ないけど、さすがに飲みはしなかった。
髪は仕事やめて、感情を取り戻したので切った。9 ヶ月ぶりの美容院来訪には、担当の美容師さんも苦笑いだった。
仕事をやめると言ったときのこと
いよいよ感情が会社を拒絶しはじめて、また自分の手に負えないような新しいタスクをぶん投げられたタイミングでおれの感情が溢れた。
気づいたときには立ち上げっていて、前の席の CTO に「ア……、アッス、アノッスネ〜、……カ、カイシャ、ヤメ、……ヤメヨウト、オモ、ッス。ア〜、ッス……」と言っていた。理由はその場で適当につくろった。そのときは、これですべてが終わったと思ったけど、なぜか他のすべての役員にも仕事をやめる旨を個別にチャットで伝えないといけないみたいな話になって、なんて面倒くさい会社なんだと感動さえした。
辞めることさえできれば何でも良いので、役員全員にメッセージを送った。そのときのメッセージがこれ。
改めて読むと配慮が足りない文章だなと思うけど、このときのおれの精神状態ではこれが限界だったし、とにかく辞めたいということを一刻も早く会社全体に伝えたかったので、校正とかせずに書けたら速攻でチャットを飛ばした。
会社の不満点を書くと、そこを改善するから残れと言われる可能性もあるから、現状に不満があるとは一切書かなかった。ポジティブな理由だけ書いて、引き止められるフックをなくすことで、摩擦なく退職したかった。
本当に勢いだった。会社を辞めるのは、転職先を決めてからにしろとよく言われるけど、そんなこと考える余裕なんてないくらいに感情は死んでいた。そんな状態でとりあえずの逃げ場として選んだ次の職場よりも、いちどやめて、冷静な頭で選んだ職場の方がきっとベターな選択ができるんじゃないかって思う。後付の理由だけれども。
おれが辞めるという話がようやく全役員に浸透したとき、給料を上げてくれるという話もでたが、もう決めた話だからと断った。そして年末に退社することが決まった。
決まったはずなのに、「やっぱり 3 月までいてくれないか」という話が出てきた。理由はおれと同じ時期に他にも二人辞めるから、同時に三人辞めるとなると、社長の機嫌が悪くなるというものだった。流石にこの話が出たときは精神が崩壊した。ただ、3 月までという話は結果的になくなって、年末退職でいいということになった。
そしてなにはともあれ、無事に年末に無事退職できた🎉🎉🎉
仕事をやめてからの生活
これは自分でも驚きなのだけれども、外注として週に16時間程度、金閣寺(暗喩)から案件を引き受けることになった。あまり気が進まなかったけれども、次の仕事が決まるまでのあいだ、自分がやっていた案件の保守なら精神衛生的にも大丈夫だからと引き受けることにした。ただ現在、契約外の案件のタスクも回ってきて非常に後悔している。金閣寺を信頼したおれが阿呆だった。新しい仕事が決まったら、速攻で契約を終わらせてもらおうと思う。
仕事を辞めたことを後悔はするだろうなとは覚悟していた。
社会的信用、安定という意味において、この会社社会では会社員というのは強いし、その会社員というカードを失うダメージはどうやっても食らうはずで、だからこそおれは会社を辞める前に、会社をやめようと思った理由をすべて吐き出すように書き出してメモしておいた。
そういえば仕事を辞めることを宣言したあと、パートナーが妊娠しているということがわかった。だから退職のタイミングとしては、安定した仕事を失うタイミングとしては、わりと最悪だったりもした。
ただパートナーが妊娠四ヶ月目でつわりがひどかったときに、家事やパートナーの身の回りのサポートにフルコミットできたのは、間違いなく退職したおかげ。仕事してるときは終電で帰ることも多くて、もしそうだったらパートナーのサポートや家事に手が回らなくて、どうなっていたことかと考えるとぞっとする。
仕事を辞めて、なんでもできる環境になった。(ただの無職)
とりあえず読書した。暇人といえば読書と相場が決まっている。そしてめちゃめちゃ良い本に出会う。それが『具体と抽象』と『勉強の哲学』。この本の紹介にいては、また別の機会にするけど、視界がばっと開けた本だった。
これからについて
いったんフリーランスでやろうと思っている。
仕事は嫌いじゃないし、嫌いなのは会社に所属することによるしがらみみたいなものだと気づくことができたから、それならいちどフリーランスをやってみるかーっていうめちゃめちゃ軽いかんじだ。合わなかったらまた会社員に戻れば良いいし。
会社員としての社会的信用や安定は失ってしまうけれど、自分が呼吸のしやすい場所で生きていきたいと最近よく思う。いま findy やレバテックなんかのエージェントのひとと話しながら案件を決めている。エージェントの仕様がよく判ってなくて、まだ案件は決まってないけど、いまのスキルだったらとりあえず案件に困ることはないらしい。
条件は react, next.js, electron などの技術を使っていて、フルリモートで、月単価が 60 万円以上。これまで紹介してもらった案件は、なんか絶妙に興味をそそられないプロダクトだったので、辞退してしまっていたけれど、そろそろ仕事をとらないとなって思い始めているので、次に提案される案件は入れてもらえるように依頼しようと思う。
提案を辞退してしまっていたのは結局のところ、いつから働くか決めていなかったのが原因で、はたらくってことを先延ばしにしてしまっていた。いつから仕事を始めないと生活が苦しくなるとか、そういう現実的な締切みたいなものがないと、仕事をするっていう気持ちになれない。だから仕事をするなら、思い切っていつから仕事をはじめるっていう有限性を設定しないといけない。行動するためには有限性が必要ってことを思い出した。
フリーランスになるにあたって、これまで会社に任せっきりだった健康保険、年金、税金なんかも自分で管理する必要が出てくる。いままでぜんぜん意識してなくて、これからはちゃんと税金の勉強して、簿記の勉強して、これまでブラックボックスだった部分を自分でハンドリングするようになるんだなって思うとちょっと楽しみな部分もある。
最近『不便益という発想~ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも 行き詰まりを感じているなら、 不便をとり入れてみてはどうですか?』という本を読んだけれど、ブラックボックス化されてると楽(ラク)なのだけれども、知る面白さとか、工夫する楽しみなんかは失われるよねみたいなことが書いてあって、身の回りのブラックボックスをひとつずつ解体していくっていうのは、これからの人生を豊かにしてくれそうな気がしている。プログラマーをやっているとなんでも自動化、効率化の世界だからこそ、仕事以外では非効率や不便を楽しみたいって思ってるのかもしれない。
今月中に仕事を決めることが目先のタスクなのでがんばるぞという感情がある。