鑑みるは姿勢だ
結果も過程も重要ではない。
鑑みるべきは己の姿勢、それだけだと気付いた。
もしも一秒ごとに己を問うことが出来たらと考える。
そうなると理屈としては未来も過去も無くなる。時間の流れから断絶されて、ただ全力で取り組む今だけが残る。
人にも物にも、もっと誠意を持てるだろうと思う。
ぼくたちは生きてる限り途上だ。
革を志した十代、自分の未熟さに苛立ちながら、目指すものに達することを求めた。
真剣に向き合って、三十代を迎えた。
目指すものが遠くにあるのは同じだけれど、今は目指す日々そのものに感謝と自負を抱いている。
絶対的なものを求めて日々を生きるのでなく、日々を、瞬間を、絶対的なものと捉える。
そこで問われるのは姿勢だ。
ぼくは手を動かしながら、問い続けたい。
最近はこんなことをぼんやり考えています。
友人に話すと「禅の思想に近いのでは?」
本を読んでみると、うーん、近いような遠いような…
ぼくは悟りたい訳じゃない。死の間際、俺、悟ったな〜 より、真剣に生きたな〜 の方がしっくりくる。
鑑みるは姿勢だ。