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エッセイ・「すこしあかるいしずかなこと」
エッセイ本をつくりました。『すこしあかるいしずかなこと』という本です。タイトルをつけるのに、とても長い時間がかかりました。全34篇の文章をすべて書き終えたあとで、全体を眺めながら、砂の中から砂を見つけ出すような心許ないきもちで決めたものです。けれど、今となってはけっこう、気に入っています。
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表紙絵は、暮らしの風景の絵を描いていらっしゃる、平林香乃さんにお願いしました。たまごがぎっしりすぎて、パンの白いとこがふくらんでるような……というわたしの欲望を受け止め、これ以上ないほどに、すばらしく仕上げてくださいました。平林さんの食べものの絵は、もともと大好きでした。しっかりと緻密に描かれていながら、どこか儚げなんです。遠いむかしの記憶や、ひるまに見る夢のようにおぼろげで、やわらかいのです。それが好きでした。
ところで、すでに過ぎ去ってしまった時間や出来事、ふとんの中で見る夢、考え事をしているとき、頭の中に浮かんでくるものたち。これらは、なんなのでしょうか。物質として目の前にあるわけではありませんが、わたしたちはいま、たまごサンドのことを想像することが出来ます。それは「ないもの」として扱えるのでしょうか。ものすごく、「ちゃんとある」ように思えるのですが。
表紙をめくったはじめのページに書いた文を、記します。
たまごサンドを、つくったことがありません。それは、たやすいことです。ゆで卵をつくり、つぶして、塩こしょうとマヨネーズで和え、食パンにはさめばよいのです。たった、それだけのこと。やろうと思えば、わたしはいつだってやれたでしょう。
ぼーっとしているのが好きです。ものぐさにもほどがあると思うのですが、好きなのだから仕方ありません。ぼんやりと、目の前にあるものを見ているのが好き。しずかにして見つめているとき、水中に潜ってゆくように感じます。ひとつの世界がわずかに遠のく。すると、もうひとつの世界が、のろのろと近づいてくる。
わたしたちは、いまこの瞬間に、たまごサンドを想像することができます。やわいパンのふくらみと、たまごのみちみちたようすを。さらには、どこでこしらえてもかまわない。海辺のレストランの厨房でもいいし、そら豆いろのちいさなキッチンでもいいし、旅先のキャンプカーでもいいし、教会のほんの片隅の、朝霧の中でもいい。
ちいさな頃は、よく、空想の世界にでかけました。それは今も、ある程度つづいています。現実はたいてい、とても明るくて、とても賑やかですから、そこでうまくやるってのは、それなりにくたびれることです。
ものを書くことや、読むことは、ふたつの世界を行き来しているようなもので、この本をひらいて下さっている人のそれぞれの胸に、たまごサンドはうまれます。どれもおいしそうです。どれも、ほんとうにすばらしい。
さすれば、現実とは、どこにあるのでしょうか。
この本は、いちおうエッセイ集ということにしてありますが、過ぎ去ったすべての時間は、今はもうただの記憶になってしまいました。実体がないのだから、もはや、あるんだかないんだか分かりません。けれど、書くことにしました。不確かなものというのは、おもしろくて、大切だと思います。基本的には、さまざまな食べものとひもづけた文章です。食べなければ死んでしまうので、食べものが好きなんです。
たくさん書きました。下らないことも書きましたし、まじめなことも書きました。
しずかなことを大事にしたいと思っています。できたら、少しだけ明るいのがいいです。明るすぎない方が、いいのです
明るすぎるところがにがてでした。小学校に行けなくなった『食パンはんぶん』。東京のネオンに目がくらんだ『あんみつさみしく』。マリオカートがへたくそすぎる『ぼくらのおにぎり』。友人の華やかな恋を見つめる『メロンパンが好きよ』。働けなくなった日の『そうめんが在る』。
表通りから、細い裏道に入ると、そこはたいていしずかです。そしてどこかの家から、ちいさくラジオの音が聞こえたり、おふろのお湯のにおいが漂ったりします。キッチンの窓辺に、青い石鹸が置いてあるのが見えたりもします。だれかがそこに居ることが分かります。そこに居てくれることが、よくよく、分かります。
だから、すこしだけあかるいしずかなことを集めました。目立たぬけれど、自然や宇宙のように、過不足なく豊かなものだと思っています。みずうみの見えるファミレスや、給食のけんちん汁。母の本棚にあった、小花柄のレシピブック。ようちえんのころに「かみさまのたべもの」と呼んでいた、おやつ。葬儀場のクリームソーダ。教室でともだちが半分くれた、チョコレート味のカロリーメイト。哲学講義の後の、取るに足りない雨の日の会話。友人の家にあった、クラゲのかたちのランプ。
すべてそこに在りました。在ってくれました。いつかなくなるまで、生きていくだけです。すべての人が、それぞれのちょうどよい光のもとにいられることを願います。この本がほんの少しだけ、その光の具合を整えるものになれたなら、それ以上のしあわせはありません。もしよかったら、この本を手に取ってみてください。どうぞ、よろしくお願いします。
今後のお知らせ
2/5(wed) 19:00より、ウェブストアにて販売開始します。
書店さまでのお取り扱いにつきましても、随時お知らせ予定です。(新たにお取引をご検討頂ける書店さま、募集しております。各SNSでのDM( X / instagram)、またはメールアドレスまでお願いいたします。)
また、2/3までネットプリントを配信しています。こちらでも、新刊についての詳しい内容を書いていますので、ぜひぜひ、よろしくお願いします。
ネットプリントをコンビニで印刷していただけます。「YX7364DTPD」をご入力下さい。新年のご挨拶や、新刊『すこしあかるいしずかなこと』についての文です。去年、健康診断に行った時のこともちょっと書いています。たぬきはそのとき遭遇しました。今年いちねんも、すこやかにお過ごしください。 pic.twitter.com/zPSNWnNJcJ
— ごはんとアパート (@gohan_apart) January 4, 2025
それでは。
この本を通して、多くの方に出会えたらうれしいです。楽しみにしています。