知らぬが仏
表裏一体
反対でありながら、運命共同体。その二つは密接に関係している。
逆と言われることのすぐそばには逆のものがある。
仲良しと不仲で例えれば、喧嘩するほど仲が良いと言う。
確かにそれは事実だと思う。
喧嘩する=自分の思いをぶちまけられる
そしてその意見を言える相手だと思っている。理解してもらおうと思っていないけど、本音を語れる相手。それは相手をよく理解しているから。
何かのきっかけで相手と同じ思いになった時、最高のパートナーとして迎えられる。
きっかけがないのか、相手を理解していることをプライドや羞恥心が邪魔して言えないのか。大体どちらかだと思う。
認める=相手に負けたみたいに感じてしまう。
それは自分のプライドが許さない。
またはその相手と仲が良いと思われることが自分の立場や評価を損なうかもしれない。
認めているということは相手の思考も自分の中にはあるということ。
表があると裏もある。
表が存在するから裏が存在する。
自分が良いと思っていることの裏には自分が良くないと思っていることがある。
良いと思うからこそその対義的ものを探すし、自分が良いと思っていることを肯定化しようとする。
だが、自分が思っていることが自分にとって良いことだと思っているようにその対岸にあるものを良いと思っている人がいることも考えてみるのはすごく重要だ。
自分がなぜ良いと感じるのか、なぜそれを認めているのか、より一層理解できるかもしれない。また、考えてみると案外良いとは思わないかもしれない。
自分が良いと思う選択を多くできる人生の方が誇らしい。そうあった方が人生は過ごしやすいものになる。
自分が見えていないものに目を向けることで、人生の過ごしやすさが大きく変わるかもしれない。見えないものは見ようとしないと目に入らない。
賢い人間が、時に目の前のことに気づかないこともある。それは目の前のことを見ようとしていないからだ。自分が正しいと思うばかりに。
目の前のこともじっくり見てみないと思わぬ落とし穴に入れられる。
知らない方が良いこともあるということを知っておくことも。