中年期に差し掛かり、私はなぜ野菜を作るようになったのか
中途半端な地方都市に嫌気がさして上京したはずなのに。ひょんなことから地元で畑をやっている方のお手伝いをするようになった。
幼い頃からミーハーだった私は、華やかなマスコミの世界に憧れ、大学卒業後、末端人員として入り込むことができた。思っていた通り、そこはキラキラした世界。ちなみに私の職業はやや特殊というか、突き抜けた天才も多く、そんな彼らと話をしているだけで物凄く刺激を受ける現場でもあった。
私の20、30代を振り返れば仕事しかしていなかった。自分で選んだ道だ。そこに後悔など一ミリたりともない。
そして40代になった今。現場の世代交代が進むと同時に、少しずつ仕事のお誘いも減るようになった。自分の実力不足もあるので仕方あるまい。時間が出来るようになってしまった。先にも述べた通り、人生の前半は仕事しかしておらず、これといった趣味もなし。昼夜逆転生活も長く続いていたので、週末は昼過ぎまで寝過ごすことも多々。テレビをつけっぱなしで寝た日には、春風亭昇太の「また来週~」という声に起こされ、誰に怒られもしないのに、ひどく落ち込む日曜日。テレビの画面は福澤アナに引き継がれ、TOKIO、ウッチャンと変わっていく。チャンネル争いもない一人だけの静かな部屋で、理由もなくテレビを垂れ流していた。代わり映えのない環境に、人はどんどん腐っていく。そんな鬱々としていたある日、明け方まで起きていた私は偶然にも『ボクらの時代』を目にした。
高校時代、とあるお笑いの寄席に行ったことがあるのだが、それに出演していたのが彼女だった。終演後、観客に紛れてソファーにちょこんと座っていた光浦さんの背中はなぜか今も克明に覚えている。まだ駆け出しで、「オアシズ」という女性コンビの名はそこで初めて知ったのだが、気が付けば彼女は瞬く間に売れっ子芸人の仲間入りを果たした。芸能界で唯一無二のポジションを築き上げ、ぼそっとつぶやく一言が抜群に面白かった。
私にとって、それこそキラキラした世界の住人だった人気者の光浦さんが、50を前に芸能界のポジションが奪われつつある現状に悲観していたというのだ。それを知り、私はひどくショックを受けた。彼女ほど才能を持った人でも椅子取りゲームから陥落するのか…と。しかし、そのショックは急速に薄れていく。彼女は気持ちを切り替え、次の目的地に向かって、足取り軽く歩を進めているというのだ。
「もう一つの人生も回収したい」「行動を起こさなくても、決心するだけで心境は変化する」。そんな光浦さんの言葉に私はハッとさせられた。現在、光浦さんは念願だったカナダにいる。有言実行。現状を嘆くばかりでなく、しっかりとギアを入れ、突き進む姿はキラキラして見える。表面的な輝きではなくて、内面から滲み出るそれだ。私は多いに共感し、刺激を受け、そして我が身を振り返った。
たまに地元に帰って、土を触る。この夏はトウモロコシやナス、ピーマンなどを収穫した。無農薬なので、野菜の茎には見たことないような虫がぎっちぎちに付き、内心「ひいい…」と思いながら、手で払いのけた。足元を見るとバッタやらなんやらの昆虫が所せましと集まっている。大葉が好きだから苗を買って植えてみたら、とんでもない繁殖力で、ジャングルみたいに生い茂ってしまった。それも一生大葉を食べるに困らない分量だ。
畑をやり始めたと古くからの友人に話すと、皆一様に「まさか?!あんたが!?信じられない…」と口を揃える。まあ、自分でも驚いているくらいだから友人の驚くのも無理はあるまい。
誘われるままに始めた畑仕事だけど、目にするもの全てが新鮮で、ひとつひとつの作業に意味があることを初めて知る。地元にちょくちょく戻ることで、これまで気にも留めなかった地元の風景や良さ、住んでいる人たちの暮らしが見えてきた。私もまた光浦さんと同じように私の人生を変えたい。残りの人生について目をそらすのではなく、しっかりと向き合いたい。こうして書くことにまた向き合うようになったのも、その表れなのかもしれない。
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