私は私の悲しみを癒していく。
母を亡くしてからよく考えるようになったことがあります。
それはどんな人のどんな言葉も本当の意味では自分を癒してくれないんだ
ということ。
癒してくれない、は上から目線ですね、、笑
でも本当にそう思ってしまうんです。
世の中の皆さんがどうかは分かりませんが少なくとも私は、自分が辛い時、苦しい時
自分が世界で1番不幸だと思ってしまいます。
正確には思っている、という意識よりも先にそう思い込み、信じ込み、疑わない、という感じです。
だから、あなたには私の苦しみなんてわかるはずない。なんなら、そんなわかられてたまるか、って心の奥底では思っているのかもしれません。
他人の優しさや気遣いを素直に受け止める余裕がないのだと思います。
そして、私はこれをずっと悪だと思っていました。
相手の優しさに素直に感謝できない自分はひねくれていて悪い奴だとずっと思っていました。
だから、他人に優しくされると
相手への嫌悪感も自分への嫌悪感も生んでしまっていたんです。
母が亡くなってから約2年。
バイトを休んだり、学校を休んだり、バタバタしていた生活から多少落ち着いたからこそ色んなことを考えるようになりました。
その中のひとつが初めに書いた「それはどんな人のどんな言葉も本当の意味では自分を癒してくれない。」ということ。
他人にどうにかしようとしてもらわない。
それはきっと一人ぼっちで生きていく、ということではないと思います。
自分の傷を癒す手段の1番初めに"他人"を持ってこない。
私はこれが大切だと思います。
だって、笑っているあの人も私にはわからない、目には見えない深いところで悲しみや痛みを感じているのかもしれないのだから。そして、私はそれを癒すことはできないのだから。
誰も皆違うようで同じなんだと思います。
過去が苦しくて苦しくてたまらないとき
思い出しては悲しみ嘆き、また悲しみ、、
繰り返して終わりが見えないとき
絶望感に打ちひしがれそうになりますが、、
それでも確実に過去の記憶は少しずつ薄れていきます。
絶対です。
そう思うと過去を思い出す痛みも少しだけ大事に思えるかもしれません。
私はそう思うようにしています。
私のこの記事にたまたまありついた人がしあわせでありますように。
今日も一日お疲れ様でした(^^)