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ノーブルな生き方を志すノーマルOLの華麗なる社会見学記録①

こんなたいそうな自己紹介文を書いておきながら、それらしい記事を書いたことがないことに気づき、フォロワーさんに申し訳ない気持ちになったので、ついに書きますよ。

ちっともノーブルじゃありません。志しているだけなので。たまに悪口書きます、きっと。だって社会見学記録だから。嘘偽りなく、社会見学して、感じたありのままを綴りますワ🥀


顔がいい人って

他人に褒められるような顔をしている人には、時々「同性に嫌われる」という人がいる。
きれいな顔をした人にそんな悩みを打ち明けられたら、みんなこう言う。

「それ絶対嫉妬だよ」

わたしは顔のいい人はすきだ。神様の本気だ、、、と思うから。
でも、褒められるような顔を持つ人は、(大体が)生まれつきのもので得をしており、そのようなものを持たない人からすると鼻につくのだろう。
きっと“顔のいい人たち”も、何でも顔のおかげと言われるなど、苦労もあるにちがいない。

ただ、一部「ん〜いや多分そういうとこ〜〜〜!」という人もいる。
嫌われるの、嫉妬じゃなくて、多分そういうとこ、みたいな人。
でも、きっとそういう人たちの周りには、これからも「それ絶対嫉妬だよ」と慰める人の方が多く、本人たちは『あ〜美人/イケメンって大変🥲』と思いながら生きていくのだろう。
たぶん本当の原因これやで、の方には気づかず、直さず、生きていくのだろう。

そして、特に直さなくても、やたら同性に嫌われるな、と思っても、大して困らないのだろう。

顔がいいって、いいですね。

年の差がある人

わたしは最近、上下二つ以上離れている人の方が、一緒にいて楽だと思う。特に下の方がいい。

それはきっと「距離感がある」から。

わたしは精神的なパーソナルスペースが広い。
こんな不特定多数に発信しておいて??という感じだけれども。
他人と精神的に親密になるのが、どうも苦手。
グイグイ来られると引いてしまう。

でも年の差があると、いくらプライベートで遊びに行くほど仲良くなっても、なんとなく上下関係がうっすらあると思う。日本人だし。
逆に、大学のように、浪人等で実年齢は1,2歳違っても学年は同じで、普段の生活で年の差を実感しないような関係性だと違うのかもしれない。

とにかくわたしは、結構遊ぶようになっても、敬語を使い、使われ、一応年上を敬っているような関係性がちょうどいいと感じる。
この絶妙に一生距離感がある感じが心地いい。

とはいえ、時々、言ってしまえば“馴れ馴れしい”年下もいる。
わたしは後輩にフランクに接するタイプの先輩。だって“国民のお姉様”だし。
職場でも、いちばん親しみやすい、話しやすいと言ってもらえる(見た目が無害なのもある)。
そうすると、急に距離を詰めてくる人もいる。すごい勢いのノリを仕掛けてくる。

やめてほしい。

わたしの性格の悪さを舐めないでほしい。
こちらからフランクに接するのと、そちらからフランクに接するのは話が違う。
こっちはやるよ?でもそっちからはやめて??
ちょっとそのへん、弁えて?

私が年の差がある人、特に年下の方がいいと思う理由が、ただの「先輩風を吹かしたいから」だったらウケる。

「人と関わることがすき」ということの落とし穴

わたしは就活生の頃、やたらと「人と関わることがすき」と言っていた記憶がある。
多くの就活生のありがちなアンサーだろう。
わたしは学生時代から様々な課外活動をしてきたし、他人と何かをすることも多かったし、アルバイトはずっと接客業だった。

人見知りもしないし、初対面の人でもそれなりに会話ができる。

でも、社会人になって気づいた。
わたしは多分、人と関わることが好きなわけではない。
「自分の好きな人、興味のある人と関わることが好き」なだけだ。

世の中には色々な人がいる。
その“色々な人”との交流が、いつでも楽しいわけではない。
“色々”とは、とにかく色々な人が含まれている。
働き出して、そんな色々な人と関わるようになって、「あ、ふつうに人と関わるのしんどいな」と思い出した。

自分は「人と関わることがすき」と思っている人は、一旦振り返って考えてみてほしい。

ある程度人が選別されたコミュニティで、自分に合う人だけが集まっていて、周りの人に恵まれているだけの可能性がある。
それで安易に不特定多数とか変わるような仕事を選ぶと、ストレスで禿げる。

自分が好きなのは「人と関わること」なのか、「その人たちとやっていたこと」なのか、冷静に考えた方がいい。

みんなの髪を守りたいから。

選ばなかった道の先

ふとSNSを見ると、大学時代の同級生が今月から海外大学院に進学するという報告をあげていた。

わたしは英文科だったため、ワーホリや語学留学に行く同級生は少なくない。
でも、彼女の新天地はわたしの行きたかった国だった。 学部時代の専攻もそれほど違わなかった。

彼女は当時から優秀だったから、嫉妬とかはない。流石だなの一言。だけど、

わたしもそのまま海外で勉強していたかった。
こんな楽しくもない労働なんてしたくなかった。
ずっとずっと気の済むまですきなことを勉強していたかった。

そんな思いがぐるぐるしている。

自分の選ばなかった、選べなかった道を選んだ人を見ると、変な気持ちになる。
そもそも人が違えば能力も違うし、自分がその道を選んだからといって、その人と同じようになることはない。そんなことは十も承知で、

「あぁその人生もあったんだなぁ」

と思うと、なんとも言えない気持ちになる。

今他人の人生を見てそんな風に思わないといけない自分の現状が情けなくて、悔しい。
満足のいく人生を送っていれば、そんなこと思わないはずだから。

わたしたちは、現実がうまくいかないとき、選ばなかった方の道の先には、よりよい結果が待っていたのではないかと思ってしまいがちだ。

しかし、残念ながら、当時の選択肢の中で最良の選択をした結果ですら“これ”な可能性もある。

わたしはまだ自分のことを信頼できずにいる。
わたしが選んだのだからそれが正しい!と思えない。
本当によく“じゃない方”を選ぶ人間だと思う。
だから、ことあるごとに立ち止まってはふりかえって、選ばなかった道の先を眺めようとしてしまう。

きっとわたしはこれからもそうやって何かを選択しては、後ろをふりかえって、あっちだったらどんなだっただろうと立ち止まってしまうのだろう。
キャリアを選んだとしたら、家庭を選んだ人の人生に何かを思うし、逆もまた然りなのだろう。
わたしって、ほんとに強欲で、傲慢で、我儘。

わたしにできるのは、選んだこの道を正解にしていくことだけ。
後ろをふりむきながらでも、「これが最良の人生なんだ」と自分に言い聞かせるの。
まだ未練があるならこれからその道を選んでみればいい。

わたしにできるかな。できるよね。

誰かも言っていたけれど、死ぬときに答え合わせしてくれないかな。
あのときあれを選んでいたらこうなってたよって。


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