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呼ばれていない結婚式

25にもなると、インスタは連日入籍報告・結婚式でいっぱいになる。

あ、そこ付き合ってたんだもあれば、交際期間中の出来事を逐一投稿していなくて、そもそも彼氏いたんだ?という人もいる。

わたしのSNSのフォロワーは大学時代の人がほとんど。
小学校~高校時代の人とは、片手程度の人とのみつながっている。
わたしはその限られた人たちの投稿から、かつての同級生たちの今を知る。

わたしは本当に地元が嫌いだ。
東京に憧れて、東京が大好きだったということ以上に、そもそも地元が大嫌いだった。
東京に出たいというよりも地元を出たい。
思えば小学生のときからずっとそうだった。

わたしの地元は本気の地方の本気の田舎だ。
小学校の全校生徒は数年前から100人を切っている。
わたしのときも小学校は1クラス10数人だった。
イオンモールが最大の商業施設であり、お出かけスポットである。

本気の田舎にある公立小学校というのはすさまじい。
中学受験という文化もないため塾に通う人も少数派で、習い事のレパートリーも少なく、大体みんな同じスポーツ少年団なるものに入っている。
今でこそスマホや多様なゲームが普及しているため、遊びには困らないのだろうが、当時はDS lite、3DSが出始めたくらいの時代だ。
娯楽といえばその程度で、そういう地域で時間を持て余した子どもたちが何をするかというと、いじめである。

物を捨てる系は当然で、箸箱にアルコール消毒液を詰めて校庭に埋めたり、机や椅子を外に出したり、家まで行ってピンポンダッシュしたり、外にとめてある自転車の空気を抜いて部品を捨てるなんてことをする人も、まぁ普通にいる。

いじめっ子はどんな人たちかというと、すごく顔がいいとか、勉強ができるというわけではない。50m走が速いとかそんなレベルである。
クラス替えがないため、基本的には6年間同じ人が覇権を握っている。
近隣の複数の小学校が一つの中学校に集まるが、どの学校のいじめっ子も似たような感じだった。
決して才色兼備、文武両道、実家が裕福とか、そういう漫画に出てくるようないじめっ子はいなかった。
今思えば、そんなんでよくいばれるな、と思う。

ゲームも与えられず、家に閉じ込められがちだったわたしは、みんなが外で遊んでいる頃、わたしはずっとテレビやインターネット、本の世界に没頭していた。
その結果、幸か不幸か、同級生より早々に外の世界に気づいてしまった。こういうの、普通じゃないんだ、と。
小学校高学年で海外にかぶれ出してからは、海の外の価値観にまで触れてしまい、わたしはもう、「町の当たり前」になじめなくなっていた。
こんな人たちみたいになりたくないし、関わりたくない、と思っていた。
町だけでなく、同級生も大嫌いになった。
頭がいいわけでも、何かを成し遂げたわけでもない人が、なぜこんなに他人の人生を狂わせることができるのか、意味が分からなかった。

当然わたしがいじめの対象にあるターンもあったが、将来偉くならなさそうな人たちに何かされてもどうでもよかった。小さな町の小さな学校内だけでの権力で終わりそうな人しかいなかったから。

でも大人たちは知らない。このすてきな町で~的なことを言ってくる。
たまに誰かが泣いて事が発覚すると、しょうもない学活の延長みたいな話し合い(笑)があるだけで、何も解決してくれない。
そのくせヤンキーの親にはへこへこする。
正直、こんな町、早く消滅すればいいのに、と思っていた。

わたしが外に出たがっているのを、流行りもの好きで、東京のキラキラした部分に憧れているだけだと思われていた。

幼少期を過ごした場所を地元というのであれば、わたしはまったく帰省をしたいとは思わないし、学生時代から一度も帰っていない。
当時は同級生とそれなりに仲良くしていたとは思うが、大学進学を機にLINEもインスタのアカウントも消した。
県内の大学だったが、同じ高校から行く人はほぼいなかったし、通学の都合上別の町に引っ越したため、このタイミングで地元とはほぼ絶縁状態となった。
誰がどこで何をしていようと、本当にどうでもよかった。

同じ県内でも市内かそれ以外かでは、人も文化もかなり違う。
大学の同級生は、やさしく、おだやかで、教養のある本当にいい人たちばかりで、この小さな県にまだ希望はあったんだと感心した。
だから大学の同級生とは今はほぼ会うことはないけれど、SNSを通して切に幸せを願っている。

新しい人生を始めて数年経った最近になって、他人のインスタのストーリーを通して、地元の同級生の結婚を知ることが増えた。
当然もうつながりはないので、わたしが呼ばれることはない。
大体相手は学校の先輩だったり、友達の友達的な「見たことある」人だったりする。
ちらっと映っているほかの参加者も、知った顔が多い。

風の噂に聞くところによると、いまだにずっとその町の実家に住んでいる人も多いらしい。実家を出て一人暮らしをしているのは、県外の大学に進学した人か家庭を持った人くらいだろうか。

中学時代、騒がしかったいじめっ子グループも、丸くなったくらいで、ほとんど見た目も変わっていない。男子も女子も。
数年前流行ったいわゆる「やりらふぃー」的な見た目を想像してもらえればいい。それだ。
東京で関わる人たちでは、まるで見ることのない風貌をしている。
いいとか悪いとかではない。本当に違う世界なんだと思う。
でも自分が大人になって、どんなに洗練された紳士・淑女と交流しようと、自分が人生の大半を過ごした場所は“これ”なんだと改めて痛感する。
自分の憎んだこれが、今のところ自分のアイデンティティの大部分を占めるのかと思うと、内臓がちぎれるような感覚になる。

わたしは、ライフステージの変化に合わせて交友関係は変化するのが当然だと思っているので、あれから十数年経ってもまだ顔ぶれが同じことが衝撃だった。

わたしからすると、あのグループ、まだ仲いいんだ・・・という感想だが、参加者たちのほとんどに彼らがいじめっ子であったというような記憶はないのだろう。

あの十数年間、同じ地域で生きて、共通の知人も大勢いて、同じ思い出話ができるはずなのに、見ていた景色は全く違うんだろう。
あぁ、本当にもう人生が交わることはないんだろうな、と思った。

あんな狭い地域では、できる経験も大差がなかったので、似たり寄ったりの10代を過ごしたはずなのに、こんなにも人生が違うことがあるのだろうか、と。

どんなに努力しても変えることのできない10代の記憶が、彼ら彼女らにとってはそんなに美しいものであったことが、うらやましくてならない。
わたしにとっては黒歴史でありトラウマであり負の遺産ですらあるのに。

10年経っても結婚式に呼ぶような関係が続いていることも、うらやましいという言葉が適切かは分からないが、いいなぁと思う。

25にもなって不必要な「東京ゲーム」に泣くこともなく、慣れ親しんだコミュニティで、適齢期に結婚して、子どもを産んで、家を建てるのだろう。

東京出身の人は「帰れる場所があってうらやましい」なんて言うけれども、わたしにはそんなものない。語りたい10代の学校生活の思い出もない。
大人になってから素敵な出会いもあるけれど、その人の昔からのつながりには勝ちようがない。

外の世界を知ったからこそ、当時あの環境や状況を「気味が悪い」と思って、ひたすらに出たがっていたけれど、あの世界の「当たり前」に溶け込んで、みんなと仲良くしていればよかったのかなぁと思う。


ふとLINEを見ると、東京で出会った友達から勉強のお誘いがきていた。

荷物をまとめて小走りで外に出ると、東京タワーが見える。

あの頃、わたしの夢見ていた日常がここにはある。

変えられない過去には今も胸がぎゅっとなるけれど、それは冬の寒さのせいにして、想像もできない未来のために今日も歩みを止めないことにする。


Xアカウント: @urstella_

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