美しき延命
「好きなことで生きていく」「いやなことを手放しましょう」
そういう生き方が最近のトレンドである一方で、現実としてはやはり「何とか“やり過ごす”スキル」というのも必要です。
家庭がある場合、特に自分の気持ちだけでどうこうできない人も多いかと思います。
真に仕事が心底楽しくて、朝が来るのが楽しみで仕方がない人は、どれだけいるのでしょう。「莫大な資産があったとしても、今の仕事をしたい」と思えている人は、どれだけいるのでしょう。
とりあえず今日退勤までは頑張ろう、今週は頑張ろう、今月末までは頑張ろう、〇年目までは頑張ろう・・・
そうやって今日までやってこられた方が多いのではないでしょうか。
わたしは今年で社会人3年目です。
本物の地方の田舎町で都会に憧れた10代を経て、新卒での就職先は勤務地(東京)と給与だけで選びました。
当然この会社で成し遂げたいこともなければ、業界にも会社にも業務にも一寸の興味もありませんでした。
そんな基準でしか選んでいない環境ですから、人も合いません。
「結果を出せ」的なことを言われても自分事として向き合えず、会議で声を荒げる偉い人を眺めながら、あの公演のチケットの申込期限っていつだっけ、と考えていました。
思えば、入社日から会社でのわたしはほとんど死んでいたのです。
入社3か月目頃には、最初の転職活動に着手した覚えがあります。
それでも毎月月末になると振り込まれる給料が、わたしの求人を探す手を止めました。
どれくらいの給料だったかというと、1年目が日本人の年収の中央値、2年目には平均年収に到達していたので、同世代、特に女性の中ではもらっている方というような感覚です。
とても総合商社や外銀のような高給取りの部類ではないけれども、何の華もない経歴と面と何よりもこのやる気のなさに対して与えられる金額としては、十二分でした。
それを目的として入社しているので、特にありがたみも感じず、当然のように享受していましたが。
とはいえ、給料日と休日に対して毎月の労働日数の方がはるかに多いわけですから、月のほとんどは鬱々とした気分でした。
やがて、どういうわけだか商社マンと付き合うことになったわたしは、「東京ゲーム」の世界を本格的に覗くことになるのです。
正直、芸能人やインフルエンサーの世界を見ても、特に何も思いません。
1番“来る”のは、同じ「会社員」という土俵の人たちのことです。
社会人2年目の頭に予備校に入ってからは、わたしの周りには、幸か不幸か、将来を約束されているような優秀な人たちしかいませんでした。
特に社会人受験生は、働きながら難関資格を取ろうなんて気概のある人たちですから、すでに社会に出れば「エリート」と呼ばれるような人が大半なわけです。
社会人で難関資格を取ろうとするのは、現職でろくな成果を挙げられてないからだ~なんてよく言いますが、わたしの周りはたまたまバリバリの外資金融マンしかいませんでした。みんな現職に不満があるわけではない前向きな動機を持って参入しています。
そんな環境で、わたしは仕事について聞かれたとき、いつもはぐらかしていました。
何の誇りもない仕事について、堂々と話せるわけもありません。
自分が誇れるものは同年代の平均よりは高い程度の給与くらいです。
でも給与の話なんて大っぴらにするものではありません。
だからわたしにとって仕事は「恥ずかしいもの」くらいになっていきました。
その頃から私生活が変わっていきました。
ブランドのバッグやジュエリー、服を買い、高級ホテルに泊まり、頻繁にディズニーや旅行に行き、挙句の果てに面積に対しておかしな家賃の家に引っ越してみたり。
昔から美しいものが好きだというのは確かにあるのだけれど、今となっては精神状態が異常だったと思います。
そうやって美しくて豪華で派手なものに囲まれていれば、気が紛れるから。現実がぼんやりしてくるから。
いつかあのタワマンに住める日を目指して必死に走り続けていれば、今日の虚しさに気づかずにいられるから。
まるでドラッグのように摂取していました。
わたしはこれでよかったんだ。わたしは労働時間の充実よりも私生活の充実を選んだんだ。わたしは自分の手でしあわせを掴み取ったんだ。
他人に対してよりも自分自身を納得させたい気持ちの方が強かった。
次第に、心の充足感とクレジットカードの請求額は反比例していきました。
そんなこんなで3年目として迎えたこの夏、身内よりも身内のような存在の大親友が、かつて抱いていたとある夢を叶えました。
それはとても人気の職業で、とてつもない倍率を勝ち抜く必要があります。
彼女は、自分で「人生に挫折がない」と言い切れるタイプの人で、“そういう星のもと”に生まれた系の何ともまぶしい存在。
わたしがそっちの道に進んだらいいのに~と何となくつぶやいたことがきっかけで、あれよあれよという間に事が進んでいき、夢が叶う瞬間にもたまたま居合わせました。
しかも、どういうことだかそれはたまたま夢の国にいるとき。
心底うれしかった反面、心の奥深くで何かがプチっと、つぶれたのかちぎれたのか、そんな音がしたのを覚えています。
帰りの有楽町線でぼーっと考えていました。
この会社の社員としてのわたしの命が、いつか救われるのではないか、つまり「これでよかったんだ」と真に思える日が来るのではないか。
そんな願いがわたしにはうっすらとあったのかもしれません。
でも、なんだかもうわたしは息をしていない気がする。電気ショックを与えても、正常には戻らない気がする。
わたしがしていたのはただの延命治療に過ぎず、もう助からないとわかっている命の最期を、1日でも先延ばしにするための行為かもしれないと思いました。
救われようとすればするほど、わたしの内面は傷ついているように感じました。
豪華で美しいもの、高級なドラッグで一時的にハイになることで、思い描いているのとは全く違う自分の人生を、1日、また1日と延ばしてきたのです。
ドラッグの効能も切れてきた頃、わたしはなんとなく4日間の休みを設けました。
そして、わたしに残ったのは
「そんなにこの命、延ばしたいかな?」
ということでした。
そもそも死にたくなってまで守るようなキャリアでもないし、キャリアなんて横文字で呼んであげられるほど立派な経歴でもありません。
スタートから失敗している。もはや始まってすらない。
今のわたしに必要なのは、アルハンブラを買えるようになる努力ではなく、アルハンブラがなくても幸福を感じられる状態になる努力だと。
先日、わたしは仕事を辞めました。
4連休を自製した人間の結末は、無事速攻退職でした。
叩き割る勢いで石橋を叩いて渡るわたしが、こんなに突拍子もない決断をするのはいつぶりだろう。
泣きながらでも続けてきた仕事を手放すのは本当に怖かったけれど、それも上司に声をかける瞬間がピークでした。
何をあんなに怖がっていたのだろうというほど、案外簡単なものでした。
辞められること以上に、ただ一人自分のためだけに、こんな決断をできる勇気が自分に生まれたことが、本当にうれしいのです。
人は選ばなかった道の先の方に期待をしてしまうもの。
でも、わたしはこの会社だったからこそ、ほしいものが買えて、予備校に通えて、行きたい場所に行けて、憧れの街に住めたことには間違いありません。
当時わたしが選べた選択肢の中では、最良の選択だったと思えます。
これまでのことは後悔しないでいようと思います。でも、これからの人生を後悔しないためにわたしはこの選択をしました。
「思ってたのとは違うけど、まぁこのルートも一応成立はしたよ」と2年前の4月1日のわたしに言いたいです。
これからのこと?どうなるのでしょうね。
ただ一つ言えるのは、こんなに何もないわたしに、愛情を与えてくれるあたたかい人が沢山いること。
しばらく筋トレと掃除と勉強しかすることがないなんていう時間を楽しみたいと思います。
わたしは、運命を迎えに行く。
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マシュマロ(記事内でまとめて答えます):https://marshmallow-qa.com/scswbk6jatrj30y?t=lo7mew&utm_medium=url_text&utm_source=promotion