#11 正念場の2学期
2学期の模試
2学期に入ってからの1週間は流石に夏休みの疲れが出てきたのもあり、
少しサボリ気味でした。
2週目辺りからは本腰を入れて再度頑張り始め、
9月の終わりには模試がありました。
例のごとく、模試中にお腹が鳴りそうになり、
あまり集中できないときもありました。
(実際何度も鳴ったことがあります・・・)
ただ、夏休みの成果をどうしても出したかったので
いつも以上に全力で臨みました。
翌月結果が返ってきましたが、
思っていたほどの結果は出ず、
3教科で59くらいでした。
その後10月の模試では
62くらいになり、
ここでようやく伸びてきた実感がありました。
ただ、早稲田に受かるためには全く喜べない結果でした。
今度は秋の合宿へ
どうしても成績を伸ばしたかったので、
ほとんど誰も参加しない秋の軽井沢合宿への参加も希望しました。
こちらは英語のみの合宿で、
他校含めて20~30人程度でした。
※夏は100~200人はいたと思います
こちらも2泊3日あったのですが、
友達のほとんどは参加しませんでした。
そのため、参加者の合格への熱意はすごく、
『何がなんでも受かりたい!』
という生徒ばかりでした。
自分もその1人で、
58~63くらいで低迷していた英語の偏差値を65以上にどうしても上げたく、
この合宿に望みました。
この合宿では、
長文と文法と単語テストをひたすら解くというアウトプット全振りの授業で、
合宿用に作られた特製テキストをひたすら解いてました。
日本史の暗唱とは違って、結構楽しくできました。
そして、あっという間に3日間が終わりました。
(当時のことがほぼ思い出せませんでした・・・)
学校をサボって受験勉強をし始める
学校でも僕の受験熱は誰よりも強く、
「ランクくんは早稲田合格に燃えている」
「受験に人生を掛けている」
というのが周りの共通認識でした。
4月の模試で学年1位を取ったこともあり、
他大クラスの中では
「受験といったらランクくん」
といったイメージを持たれていました。
あとは、毎日の通学中に日本史の用語集を読みながら歩いていたので、
それもかなり目立っていたと思います。
また僕の受験勉強への熱に感化されて周りも勉強するようになったと、
三者面談で担任の先生から言われたことがあるほどでした。
そんな僕は
学校の授業中もどうしても受験勉強をしたかったのですが、
運悪く席替えで一番前の席になってしまいました。
これを機に
停学以外で無遅刻・無欠席・無早退を貫いていましたが、
ついに11月ころから学校の午前中の授業を少しずつ休むようになり、
朝から自宅で受験勉強をしてから登校するようになりました。
どうしても早稲田に受かりたかったので、
もう学校の先生の目を気にしている場合ではなくなってました。
結局1月の受験直前まで、1~2限は休んでました。
人生の正念場
塾は週5回+土日に池袋の校舎に追加授業を受けに行ってました。
塾の先生から掛かる発破の勢いも増し、
『ここで手を抜いたら人生終わるぞ』
『この2学期で本当に今後一生の人生が決まるからな』
『成績伸びてないやつは頑張りが足りない』
『早稲田合格したやつは血尿出るくらいまで頑張ってたぞ』
『一生に一度何だから、この時期くらい本当に死ぬ気で頑張れ』
と本当に数え切れないくらい毎日煽られてました。
その激励を受け、
本当に毎日焦りと緊張感を持って、
落ち着いて休むこともなく、
寝る直前まで毎日勉強漬けの日々を繰り返していました。
本当にこの数ヶ月で人生が決まると覚悟して、
「もう二度とこんな辛い思いはしたくない」
「来年は最高に幸せな大学生活を送るんだ」
「この世の大学は早稲田以上のみ!」
「早大卒エリートになって順風満帆な人生を送るんだ!」
「もし落ちたら人生終了だ!MARCH以下に人権はない!」
「MARCH以下の勉強すらまともにしないカス共と同じ空気を吸いたくない!(暴言ですみませんが当時は本当にそう思ってました)」
と自分に言い聞かせてひたすら勉強を繰り返しました。
(※浪人なんてこの世に存在してはいけないものだと思ってましたが、来年まさかこの自分がなるとは・・・)
11~12月 低迷する偏差値
毎月模試を受けては、
その結果に凹んでいました。
日本史は偏差値70を超えたこともありましたが安定せず、
酷いときだと60以下のときもありました。
国語は全然伸びず、60を超えることがあまりありませんでした。
英語は62~65のときが何回かありましたが、
60以下のときも多々あり、平均すると60もなかったと思います。
早大模試の結果も散々で、
偏差値50くらいでした。
どれだけ頑張って勉強しても
なかなか安定していい成績が取れず、
早稲田はC~D判定のことが多かったです。
ちなみに、志望していた学部は
法、商、一文(現文学部)、社学でした。
※結局法学部は諦めて、最後に教育学部に変えたのでした。。。
過去問の正答率もなかなか合格点を超えることがなく、
焦りながら何度も赤本を繰り返していました。
滑り止めの、法政(法)や明治(法)(経営)、日大(法)の赤本も解いてましたが、
早稲田より簡単だったので、比較的安定して合格点は取れてました。
(なのに、本番ではまさかの全滅でした・・・)
そんなこんなで、模試や過去問でひたすら実力を試しつつ、
各教科の問題集を何度も解き直したり、
日本史の暗記をし直したりと、
終盤に向けて最後の追い込みのつもりで勉強を続けました。
つづく