サンタクロースがプレゼントをくれるストーリーは、こんな解釈もできる
まだ10月だというのに、2日連続でクリスマスについての記事を書くなんて、どうかしています。
季節感のないやつだと思われそうですが、サンタクロースにまつわる面白い話を聞いたので、そのことを書いてみます。
◇
先日、我が家では、サンタクロースの正体が子どもたちにばれて、クリスマスのファンタジーが崩壊しました。
それは、真相を知りたがる子どもたちに、うちの夫があっさりと暴露してしまったことによるものです。わたしは、子どもの頃だけに存在する、ファンタジーを心から信じられる時期を大切にしたい気持ちがあったので、それを残念に思いました。
…ということを、アメリカの友人に話したら、こんな答えが返ってきました。
「サンタクロースっていうのは、つまるところ、キリスト教信仰の予備練習なのよ」
え、それはどういうこと?
「ほら、いい子にしていたら、それをサンタクロースがちゃんと見ていて、クリスマスの日にご褒美にプレゼントを運んできてくれるっていうストーリーでしょ?」
ふんふん。
「つまり、わたしたちの一挙手一投足は、どこかで「誰か」に見られていて、いつかその「誰か」にジャッジされるっていう構造なんだよ」
……なるほど。言わんとすることがわかりました。興味深い。今までそんなふうに考えたことがありませんでした。
「わたしはキリスト教徒じゃないから、その構造があまり心地よくないのよね」
へえ。わたしは目をぱちくりしてしまいました。そんなふうに感じる人もいるんだ。
ちなみに、彼女はわたしがキリスト教徒でないことを知っているので、こんなふうに明け透けに話しています。彼女は、キリスト教を否定しているわけではありませんが、こういう視点は、人によってはとてもセンシティブなので、立場が違う場合には、話題にしないのが普通です。
この話を聞いたら、わたしのサンタクロース神話への思い入れが、とっても薄っぺらいものに思えました。わたしは、サンタクロースをただのファンタジーの世界のおじいさんとしか思っていませんでしたから。
アメリカにいると、こうやって宗教の意味の重さをピリリと感じる瞬間があります。
(おわり)
読んでくださってありがとうございます。
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