他人に「常識」を期待するのはやめようと決めた話
またやってしまった。
誰かの言動に勝手にイライラして、負の感情をむき出しにした会話をしてしまった。
◇
娘の習いごとが終わって、駐車場まで歩いて出てきた。そのときに問題の一件が起きた。
前向きにとめたわたしの車の横に、白い車が斜めづけにしてとまっていた。大きな木があるために、並行してまっすぐ車を入れられず、斜めに突っ込んでいる。その結果、わたしの車のおしりの部分を若干塞ぐ形になっている。
ああ、こんなとめ方するなんて。
そもそも、白い車がとまっているところは駐車スペースではない。まだ雪が残る駐車場で、できるだけ入口に近いところに停めたかったんだろうという想像はつく。でも、少しでも他人のことに思いを巡らせることができるなら、こんなとめ方はしない。
前方が空いていたら、そのまま前から出てしまえばよかったのだけど、前にも車がとまっている。後ろをかわして出るしかない。見たところ、出られるかどうかは五分五分といったところだった。
しょうがない。やってみるか。
そろりそろりとバックした。そうこうしているうちに、白い車の持ち主らしき女性が出てきた。すぐ隣で、わたしのハンドルさばきを傍観している。
ハンドルをゆるくきりながら少しバックしたところで、ブレーキを踏んだ。やっぱり白い車にこすりそうな気がしたからだ。
わたしの空間把握能力や車の操作能力がもっと高ければ出られたかもしれない。でも、わたしの腕では難しそうだった。バックカメラには映らない角度なので、目視するしかないが、運転席から斜め後ろの距離感がいまいちよくつかめない。
わたしは、ちらっと白い車の彼女に目をやった。すると、彼女は何食わぬ顔でこっちを見ている。吹き出しをつけるなら、「なんで止まるの、そのまま行きなよ」という表情をしていた。
いや、ちょっと待って。そもそも、アンタがこんな非常識なとめ方をしたのが悪いんじゃないの?そのせいで車をこするなんてまっぴらだ。わたしはそんなリスクは犯したくない。
イライラのギアが一段階上がるのを感じた。ウィーンと窓を開けて、彼女に声をかけた。
「これ、あなたの車?先に動かしてくれる?」
言外に、こんなとめ方しないでよ、という響きが入っていたと思う。
わたしは、バックした分、車を前に動かした。すると、コンコンと窓が鳴った。彼女がなにか言っている。もう一度窓を開けた。
「もっと前に出て」
もう前の車につめつめに接近しているのに、もっと前に出ろという。ていうか、そもそもアンタがそこに...…(以下略)
こうやってごちゃごちゃしているうちに、前にとまっていた車が出て行って、前方にスペースができた。あ、このまままっすぐ出られるな、と思ったときに、彼女が横から言った。
「これで出られるわね!」
いや、言われなくてもわかる。ていうかさっきから全く悪びれた素振りがないのが気に食わない。そもそもアンタがそこに...…(以下略)
わたしは力を込めて答えた。
"I know!!!”
増幅されたイライラが心を削る。
でも、彼女が視界から消えて、車を走らせているとすぐに冷静さが戻ってきた。
◇
非常識。さっきから何度も心の中で叫んでいた言葉だけど。
よく考えてみると、「じゃあ常識ってなに?」ということになる。わたしがほとんど無意識に考えていたことはこうだ。
これは日本人にとっては常識といっていいんじゃないだろうか。
でも、ここはアメリカだ。移民の国だ。この国で生まれ育った人もいれば、世界のあちこちからやってきた人もいる。異なるバックグラウンドを持つ人たちが共存している。そんな集合体であるこの国における常識ってなに?
もちろん、この社会にもルールは存在する。でも、その縛りは日本とは比べものにならないくらい緩くて、振り幅は限りなく広い。行動するときに、他人の目線なんてカケラも気にしない人なんて結構いる。いや、かなりの確率でいる。
それがいいとか悪いとかはいまは置いておこう。とにかく、そんなことは、ここに8年も住んでとっくに知ってたじゃないか。
それでもまだ、わたしは、他人に日本的な常識をもって行動することを期待している。そしてその期待が外れると、勝手にイライラしている。
もうこんなしょうもないことでいちいち心乱されるのは嫌なんだ。これっきりにしたい。
そのためには、どうしたらいいだろう。ちょっと考えてみた。
まずは、相手に「常識」を求めるのをやめることだ。他人の行動パターンはわたしには変えられないから。一人であーだこーだと考えても仕方ない。
ただ、こういう状況に遭遇したときに、ちゃんと対応できるようにさえしておけばいい。声を荒げたり、喧嘩する必要はない。自分の利益が損なわれないように、自分を守ることに集中すればいい。障害があるなら、その障害を取り除けばいい。
今回のことで考えてみる。
そもそもわたしは、苛立ちを含ませたトーンで話す必要なんかなかった。相手の表情を見ただけでイライラのレベルを上げることもなかった。
ただ淡々と、相手に車を退けさせればそれでよかったのだ。そして、こんなもんだと大きく構えて、相手の言葉や表情みたいな細かいことを心に留めたりせずに、鼻歌でも歌っておけばよかったんだと思う。
◇
この日の夜、こうやって一人反省会をした。次に同じようなことに遭遇したときは、もう少しうまくやれるといい。
読んでくださってありがとうございます。
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