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【日記】ぼちぼちやろうぜ
この数日、息子はいつも以上に熱心に、学校の宿題に取り組んでいた。
なぜかというと、提出期限が迫っていたからだ。冬休みに入る直前の日である今日が、その提出日だった。
うちの子どもたちは、アメリカの小学校に通っている。小学2年生の息子の宿題はちょっと変わっていて、月単位で出されている。
宿題は2つのパートに分かれている。
ひとつは、読書。本を読んで、記録をつける。といっても、あらすじや感想を書く必要はない。本を最後まで読まなくてもいい。何月何日に何々というタイトルの本を何ページ読んだという記録を、表のマスに埋めて書く。
シンプルに、本を読む習慣をつけましょうということだ。
もうひとつは、作文。お題リストが添付されていて、そこからお題を選んで書く。お題をいくつ選んでもいいし、一つにつきどれくらいの長さを書いてもいい。横線だけが引かれた用紙が4枚ついていて、好きなだけ埋めて提出せよという。
宿題をやるときの息子の方針は、「最低限はやるけれど、それ以上はやらない」。問題なく切り抜けられればそれでいいらしい。
この数日、息子は、まもなく提出期限がくることを見越して、ラストスパートをかけていた。いや、ラストスパートというより、いままでのんびりし過ぎたゆえに、やっつけ仕事でなんとか挽回し、「ちゃんとやりました」と言える体裁を整えるために努力をしていた。
今朝、その宿題を学校に持っていくんだと言いながら、息子が夫に宿題のプリントを見せた。「僕はこれだけやったんだ」というニュアンスで、息子は話していた。
でも、表紙にある読書記録の表は、15くらいマスがあるのに、そのうち3つしか埋まっていない。しかも、ここ数日、締切りに追われて慌てて読んだものばかりだ。
「こんな少しでいいのか?」
と夫が聞いた。息子は疑問を呈されて、さっと身構えた。
「先生は、最大で5つまでって言ったよ」
息子が答えた。若干口先をとがらせている。
それを聞いて、夫が首を傾げた。その横で、わたしも首を傾げた。本読みの宿題で、先生が「1か月に読むのは5回まで、それ以上は読むな」なんて条件をつけるだろうか?
「それ、最大限じゃなくて最低限だろ?」
夫がすかさずつっこむ。
息子は一瞬ひるんだ。「あ、そうかもしれない」と思ったのだろう。
でも、このままあっさり引き下がるわけにはいかなかったのか、「最大限5つ」説の立場を譲らなかった。だって、「最低限5つ」を認めてしまったら、やるべき基準まで達していないことになってしまう。
なんとなく空気が淀んで、息子の心には、もやがかかってしまったように見えた。ぷいっと息子は別の部屋へ姿を消した。
作文のページをめくってみると、選んだお題は2つで、白紙の4枚のうち2枚がそれぞれ何行かの余白を残しながら、辛うじて埋まっていた。
読書記録の「最大限」か「最低限」かの問題はともかくとして、息子としては、今回の宿題もやるべきことはやりましたよ、ということなのだろう。
1か月も時間があったことを考えると、どう見てもこの量は少ない。でも、こういう自由度の高い宿題だと、どれくらいを狙って「できた」とするのかは、子どもの意識とやる気にかかっている。
息子は息子なりの基準で、宿題をちゃんとやろうとしている。どうでもいいとは思っていない。親が口うるさく言わなくても、自分である程度まで仕上げて提出できる。そこはえらいと思う。
でも、「ちゃんとやる」の「ちゃんと」の中身にはピンからキリまで幅がある。親としては、底辺すれすれで満足せずに、少しずつでいいから、その先へ挑戦してほしいと願う。
だけど、それをストレートに言っても息子には響かない。
宿題をしない子どもに「しなさい」というのは簡単なんだけど、もうある程度やっている子どもに「もっと頑張ってみようよ」と言い聞かせるのは容易ではない。両者は同じようなことを言っているようで、違うことを諭している。
今朝、子どもたちをバス停まで送って帰ってくると、キッチンのカウンターに息子の宿題のプリントの束がぽつんと残されているのに気がついた。数日だけとはいえ、頑張って仕上げたのに、こともあろうかカバンに入れ忘れたらしい。
あ~あ……
どうしようか一瞬迷ったけれど、わたしは車で学校まで届けることにした。普段ならここまではしない。翌日に自分で遅れて提出すればいい。
だけど、今回は、明日から冬休みが始まる。今年最後の宿題を出し忘れて、新しい年を迎えるのもすっきりしない。
教室まで届けると、息子がわたしに気づいてぱっと表情を明るくした。そして、わたしの手に宿題が握られているのを見つけて、まず驚きがあって、それから安堵したような表情を見せた。
宿題をちゃんとやったんだよね。だから、持ってくるのを忘れてがっかりしたんだよね。
息子の顔を見たら、彼が彼なりにちゃんと取り組んでいることがよくわかった。
だから、最低限で満足せずに、一歩ずつ階段をのぼっていくのは...…、
まあぼちぼちやろうぜ。
(おしまい)
読んでくださってありがとうございます。
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