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センスを感じずにはいられない子がいる
わたしはピアノを教えている。
最近、新しく通ってくるようになった子がいる。仮に名前をボブとしておこう。
ボブは8歳の男の子である。小さい頃から音楽が好きで、4歳か5歳くらいのときに、リトミッククラスを受けていたらしい。
「この子、音のセンスがいいんです」
ボブのお母さんが、申し込みのときにそう教えてくれた。ピアノを習うのは初めてとのことだった。
ふむふむ。音楽好きの子なんだな。やっぱり音楽が好きというのは、ピアノを始める上で欠かすことのできない出発点である。
それからほどなくして、最初のレッスンをした。
正直にいって、わたしは驚いた。ボブのお母さんが言っていた「センス」が、思った以上だったから。
まず、音をとるのがうまい。
簡単な音当てクイズなんて朝飯前といった様子で、一つも外さない。それに、短い曲なら、わたしが一度弾いてみせるだけで、そのメロディを鍵盤の上で再現できるのだ。
このときやったのは「きらきら星」で、よく知っている曲ではある。人差し指一本で、音を探って行きつ戻りつしながらでもある。でも、初回でこれができるのはすごい。
それから、音楽の創作意欲がある。
レッスンの途中で、「僕が作った曲を弾いてみてもいい?」と言い出した。わたしが「うん、聞かせて」と答えると、得意になって披露してくれた。まだ音符は読めないし、書けないので、すべては彼の頭の中にあるのだ。短い曲だったがちゃんとメロディになっていた。
彼は、音楽の湧いてくる泉を持っている。そして、それを表現する術を求めている。
そしてもう一つ。音楽の鑑賞方法を自然に身につけていること。
レッスンの最後に、わたしが「エリーゼのために」を弾いて聞かせた。かつてわたしにとってもそうであったように、初級者がひとつの到達点として目指すにふさわしい曲である。最初のフレーズが始まるやいなや、彼は目を輝かせて叫んだ。
「この曲、知ってる!」
そして、曲の大半を鼻歌で歌いながら、メロディを追うのだ。自然と体をゆらゆらと揺らしながら、まるで音楽を体全体で吸収しているようだった。
彼は8歳にして、教えられずとも音楽の価値を理解している。
この子には驚かされっぱなしである。
こういうのを「センス」っていうんだろうな。
普段、センスなんて言葉はあまり気にかけない。そんなもの、あるかないか考える時点でないと思った方がいい。でも、それでガッカリすることなんて全然なくて、そこをスタート地点にしてできることをやればいいだけの話だと思っている。
でも、世の中には、センスを持っている人が確かにいる。
周りより抜きんでたもの。
能力と興味とやる気が、一つも欠けずに高い水準で揃っている状態。
能力の部分は、努力すればある程度なんとかなる。でも、興味とやる気が欠けた状態で、嫌々能力だけを磨いても、さほど遠くへは行けない。
何度めかのレッスンで、わたしはボブに尋ねた。
「ピアノで弾いてみたい曲はある?」
教本の練習曲ばかりだと、単調でつまらなくなってくる。わたしにも経験があるのでよくわかる。なので、ときどき生徒の好きな曲を挟むことにしている。
すると、彼は「あるよ」と言って、ディズニー映画やアニメの主題歌をいくつか挙げた後に、さらりとこの曲を加えた。
グリーグ作曲の「ペール・ギュント」第1組曲の第4曲「山の魔王の宮殿にて」。
この曲はもちろん知っているけれど、英語名を知らなかったので、すぐには頭の中で変換できなかった。まさか、8歳児の好きな曲リストに、こんなクラシックの名曲が出てくるとは思わなかったから。彼が歌ってくれて、「ああ、あれね」となった。
やっぱりこの子には、ほかの子とはちょっと違うものを感じる。
あっという間にわたしの手に負えなくなるかもしれない。そんな嬉しい悲鳴をあげてみたい。
読んでくださってありがとうございます。
《ピアノのことを書いた記事》