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ベーグルを買いに行ったら、見知らぬ人との間に妙な親近感が生まれた話
日曜日の朝。
「ベーグルを買ってくるよ」
と、起き抜けに夫が言った。
我が家では、1か月に一度くらいの頻度で、朝ごはん用にベーグルを買いに行く。
わたしは、いいね、と賛同した後に、続けてこう言った。
「いつものオニオンベーグルをちょっと減らして、エッグベーグルを増やしてくれる?最近エッグベーグルの方が好きなんだ。それから、シナモンレーズンと、ほかにフルーツ系のがあったらそれも。でも、全体が真っ赤なストロベリーは買わないでね。真紫なブルーベリーもやめて。着色料使っただけって感じがするから」
ここまで一気にわたしの希望を伝えたら、夫が一言こう答えた。
「……君が行ってきたら?」
わたしは2秒ほど沈黙した。うまい具合に買いに行く役を交代させられたような気もしたが、ショーケースに並ぶベーグルの中から好きなものを選んで買うのも悪くない。
わたしが「オッケ」と答えると、横にいた娘が「わたしも行く!」というので、二人で出かけることになった。
我が家御用達のいつものベーグル屋さん。一歩入っただけで、焼き立てベーグルのいい匂いにふわあっと包まれる。思わず脱力してしまう。日曜の朝にこのベーグルの匂いをかぐだけで、なんだか幸せな気分になる。
ベーグルのまとめ買いは、1ダース、つまり12個が一単位だ。1ダース買うと1個おまけしてくれる。もちろん、1個からでも買えるし、半ダース、つまり6個でもいける。
レジで注文をした。
「ベーグルを1ダースと、中サイズのロックスクリームチーズ*をください」(*スモークサーモン入りのクリームチーズ)
ここまで言ったところで、娘が後ろで、「ママ、これも!」と叫んだ。娘の指差したところを見ると、クリームチーズの並ぶショーケースに ”Fruit salad" と書いた札が貼ってあった。
フルーツ入りのクリームチーズ?
わたしは、レーズン、クランベリー、パイナップルなどのドライフルーツを刻んでクリームチーズの中に混ぜ込んだものを頭に思い描いた。娘の指差したクリームチーズには、確かにそんな雰囲気の、いろんな色の小さな塊が見えた。
それ、美味しそうだね!買おう買おう。
「フルーツサラダ味のクリームチーズも追加で」
注文を終えて、おまけ分も含めた13個のベーグルの味を選んだ。オニオン5つ、エッグ5つ、ブルーベリー2つ、シナモンレーズン1つ。
蓋を開けてみたら、結局いつもと同じ顔ぶれになった。ブルーベリーは買わないつもりだったのに、娘が「ゼッタイ2つ!」と譲らないから、仕方なく数に入れた。
ベーグルとクリームチーズがそれぞれ入った大小の紙袋を受け取って、車に戻った。何の気なしにクリームチーズの包みをのぞいて確認したら、ロックスクリームチーズと、普通のカットフルーツが入っていた。
...…あれ?
わたしが注文したのは、フルーツサラダ味のクリームチーズであって、フルーツサラダそのものではない。
わたしはクリームチーズの入った袋を掴んで、もう一度店内に戻った。きっと、さっき注文したときに店員さんが聞き間違えたんだ。確認して良かった。
レジの人にかくかくしかじかと説明した。注文したものと受け取ったものが違う、と。
レシートを見せて、と言われたので、ポケットからレシートを出してぐいっと差し出した。その人は注意深くその紙切れに目を凝らしてから、
「注文どおりで合ってるわよ」
と言った。
うん、レシートのとおりかもしれないけど、わたしが注文したのは、フルーツサラダ味のクリームチーズであって、フルーツサラダそのものではないの。ほら、ここにあるフルーツサラダ味のクリームチーズ。わたしはこれがほしかったの。
話しながら、ショーケースの「フルーツサラダ」と書かれた札を指し示した指に、力が入った。
このやりとりを聞いて、ほかの店員さんたちが、なんだなんだとわらわら集まってきた。みんなでレシートを覗き込んで、なにが問題なのかを理解しようとしている。
ちょっとちょっと、こんな単純明快なことに、4人がかりはないでしょう。なかなか伝わらないもどかしさを感じながら、わたしはもう一度説明を繰り返した。
「ほら、ここにフルーツサラダ味のクリームチーズがあるでしょ。わたしがほしかったのはこれ……」
再びショーケースを指し示しながらそう言いかけたところで、「それはね、」と話を遮られた。わたしの後ろでレジの順番を待っていた男性だった。
「ハラペーニョ味だよ。フルーツサラダはこの奥」
突然とびこんできた新情報。彼の指に操られるように奥に視線を移すと、普通のフルーツサラダが山盛りになっていた。
ん?……んん?
ショーケースは手前と奥の2列になっていて、1つの札に、手前と奥のふたつの商品名が並べて書いてあった。確かに、その札をよく見ると、「フルーツサラダ」の隣に「ハラペーニョ」と書いてある。
手前がハラペーニョクリームチーズ、奥がフルーツサラダ。
わたしは、努めて落ち着いて視線をもとに戻した。
さっきまでわたしが「フルーツサラダ味のクリームチーズ」と連呼していたものをよく見ると、フルーツなんて一個も入ってない。
ハラペーニョや。これ、ハラペーニョクリームチーズや。
一瞬時間が止まった。わたしと、店員さんたちと、指摘してくれた男性の三方が、顔を見合わせる。スローモーションの時間が1秒、いや2秒ほど流れた。瞬きすらも長く感じられる。異様に凝縮した時間。
そして、誰かがパチンと指を鳴らしたかのように、急に空気がふっと緩んだ。それと同時に、どかんと笑いが起こった。
やだー。フルーツサラダ味のクリームチーズなんて最初からなかったのね。わたしが一人でぎゃーぎゃー騒ぎ立てて、勝手にこの場をかき回していただけだったのね。
「いやいや、いいんだよ。ほかに何かいるものはある?」
レジの人が、優しく聞いてくれた。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
わたしはクリームチーズの入った紙袋を手に取った。この滑稽なやりとりがまだおかしくて、こらえきれない笑いを抱えたまま出口へ向かった。すれ違いざまに、さっきの男性に、
「教えてくれてありがとう」
といって肩にぽんと手を置いた。彼もまたおかしそうに、くくくっと笑っていた。
緊張と緩和。この空間と笑いを共有したことで、関係者の間に妙な親近感が生まれた。
あの人たちと今度またこのお店であったら、慣れ慣れしく肩に手をまわしちゃったりなんかして、最近どうよ?とか言ってしまいそうな気がする。
(おわり)
読んでくださってありがとうございます。
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