文章をどのように推敲していますか
noteに記事を書くと、投稿する直前に必ず一度ざっと読みなおして、必要と感じたところは直すようにしている。加えて、投稿した後にも、少し時間を置いてから、もう一度読み返すことにしている。
書いているときの主観的視点を離れて、一読者のような客観的視点をもって読んでみようというわけだ。すると、この部分は言い方がくどいな、とか、この段落とこの段落の間に少し説明があった方がいいなとか、書いているときには気付かなかったことに気付いたりする。
昨日もいつものように、書いたものを読み返していると、娘がトコトコとやってきて、「これなに?」と聞く。「ママが書いた文章だよ。」と答えると、「ほんとに?」となぜか信じてくれない。「ママにそんなことできるの?」とでも言いたいのだろうか。
私の書いた記事を上下にスクロールして、一通り全体を眺めてから、
「読んで。」
と娘が言った。
「え?読むの?音読?…まあいいけど。」
そして、私が昨日書いた文章を、頭から終わりまで、娘に読んで聞かせた。
読んでみて気が付いたのだけど、自分が書いた文章を音読するって、なんだかとても恥ずかしい。書いたものを誰もが読めるプラットフォームに載せて、ぜひ読んでください、なんて言える厚かましさはあるのに、声に出して誰かに読み聞かせるとなると、途端にこっぱずかしくなってしまった。
だが同時に、声に出さずに読み返していたときには何とも思わなかった箇所が、気になったりした。主には、ニュアンス的なことだ。この表現、ちょっと格好つけ過ぎてるな、とか、上から目線で偉そうかもしれない、など。
もしかして、書いた文章を推敲するときに、音読は有効な方法なんじゃないかと思って調べてみたら、ライターの古賀史健さんの記事に、こんなことが書かれていた。
やっぱり音読が推奨されている!
この記事で、古賀氏が音読を推奨している理由は、耳から聞いて、あるいは声に出して初めて気付くことがあるから。つまり、黙読だけでは気付かなかったことに、気付くことがあるというわけだ。
ちなみに、この記事で触れられている「異読」、「ペン読」を簡単に要約すると、
プロのライターは、こんな手間のかかる推敲をしているのか…と衝撃を受けた。質の高い文章を量産し続けるというのは、大変なことだ。
noteの記事に、毎回「ていねいに小骨を取り除く」レベルの推敲までできるかどうか自信がないが(なにせ時間が限られている)、プロの教えを頭の片隅に(隅っこよりは中央寄りに)置きながら、実践してみようと思う。