遠いアメリカで、日本という国の恩恵を受けて生きている
少し前から、子どものプレイデイトのお誘いをしてくれていた人がいた。
彼女は、娘のクラスメイトのママさん。冬休み前から連絡を取り合って、プレイデイトをしようと日程調整をしていた。でも、お互いに年末年始のドタバタがあったり、子どもの習いごとでなかなか都合が合わないまま、1月も半分が過ぎてしまった。
それが、この週末にようやく実現した。
ママさんの名前は、ジアン(仮)。ちゃんと面と向かって話すのは初めてだった。
彼女たちがコリアンであることは娘から聞いて知っていた。でも、韓国系アメリカ人ではなくて、ごく最近に韓国から引っ越してきた韓国人であることは知らなかった。アメリカへ来て、まだ1年と少しだという。
「英語がまだうまく話せなくて」
と、ジアンは折に触れて繰り返した。そんなの気にすることないよ、ここは移民の国だから。
いずれにしても、彼女にとっては、英語がネイティブではないけれど共通言語が英語になるわたしのような存在が、話し相手にちょうど良いみたいだった。
わたしが日本人であることがわかると、ジアンの日本への愛が溢れ出てきて止まらなくなった。
まず聞かれたのが、
「キンキ・キッズは知ってる?」
ええ、もちろん。わたしが頷くのを見て、彼女は目を輝かせた。ごめん、その熱を共有するほどのものは、わたしにはないんだけど。でも、なるほど、アナタはそのあたりが好きなのね。
聞くと、中学生から高校生にかけて、日本のアイドルやドラマ、アニメなどにはまっていたらしい。彼女は、当時を振り返って、”addicted”(中毒だった)と表現した。
ひとしきりポップカルチャーの話をすると、今度は日本食の話へ。
「わたしたちは、外食するといつも寿司なの。寿司が好き過ぎて」
彼女だけでなく、旦那さんもお子さんたちもみんなこぞって寿司が大好物らしい。わざわざ車を30分ほど飛ばして、お気に入りのお寿司屋さんへ食べに行くんだそうだ。
わたしたちが住むエリアに、おススメの日本料理レストランはあるかと聞かれた。わたしがいくつか名前を挙げると、
「あのお店はちょっといまいちだと思う」
などと玄人めいた発言をした。
わたしも、あえて言うならこのお店、という感覚で言っている。このあたりの日本料理屋さんは、どこも日本人ではなくて、韓国人か中国人、あるいはタイ人やベトナム人が営んでいるものがほとんどだ。本場の味と比べたらがっかりするのが目に見えているので、もうずいぶん前から、日本料理のレストランに日本と同じレベルを期待するのはやめた。
それでも、寿司に特化したレストランで、まあまあ美味しいと思うお店をいくつか挙げると、彼女はそれをメモっていた。次回試しに行ってみるそうだ。
こうした会話の合間にも、ジアンはときどき思いついたように、日本語を使って話そうと頑張っていた。日本文化への興味が高じて、日本語を独学で勉強しているらしい。日本語だけで会話を成り立たせるのはまだ難しそうだったが、考えながら文章を組み立てることはできるようだった。
聞くと、小学5年生の息子さんも、『NARUTO -ナルト-』から日本アニメにはまり、Duolingoを使って日本語を勉強しているそうだ。
わたしは、頼むから、その情熱を我が家の子どもたちに分けてほしいと切実に願った。
こういう話は世界のあちこちに転がっている。けれどわたしは、改めて日本文化の威力を思い知った気がした。
彼女たちは、日本語が話せなくたって生きていける。それよりも、まずは英語のはずなのだ。ここはアメリカだから。
就職のためでもない、学校生活に必要なわけでもない。それなのに、この複雑極まりない日本語をわざわざ勉強したいと思わせるものが、日本には存在している。
そして、ついでに言うと、日本人であるわたしは、この文化に属していることで、大いに恩恵を受けて生きている。日本文化と結びついて、最初から良い印象を持ってもらえる土台がある。
もちろん、みんながみんな日本文化のファンではない。でも、ここアメリカでは、日本は総じて肯定的に受け入れられている。日本人だと言って、いやな思いをしたことは一度もない。
先人たちが築いてくれた文化を糧に、下駄をはかせてもらっているように感じる。
そんなことに思いを馳せていたら、ジアンの肩越しに、ウイスキーの「響」と「山崎」がキッチンの棚に並んでいるのが見えた。探せば、この家のあちこちから、日本に関係するものがいくらでも出てきそうに思えた。
(おしまい)
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