アメリカで食べたネパールの国民食が絶品だった話
先日、一風変わったレストランを見つけた。
そこは、うちから少し離れたところで、全然地理感のないところだった。子どもたちが招待されたお誕生日会の会場がそのあたりにあったのだ。
子どもたちを会場におろし、ホストである親御さんと挨拶をかわしてから、夫と二人で会場を出た。どこかでランチをすることにした。
子どもたち抜きで、夫と二人だけで食事をするなんて滅多にないことである。
たまに、ベビーシッターに来てもらって、大人だけでディナーに出かけたりしていた時期があったけれど、お世話になっていた数人のベビーシッターがみんないまは仕事を請け負えなくなってしまった。
なので、この日みたいなたまたま子どもたちが手を離れる状況が降って湧いてこない限り、大人だけで食事をするチャンスはない。
さて、この貴重な時間。なにを食べようか。
グーグルマップで調べてみると、夫が先になにかを見つけて、わたしに携帯の画面を見せた。
「ネパール料理だって」
画面を見ると、お皿いっぱいに小龍包っぽいものが盛られていた。その隣には、炒め麺も見える。
いいね。そこにしよう。決定。
ネパール料理という目新しさに魅かれた。アメリカの中でも、国際色が強く、多様性に富んだ地域に住んでいるけれど、ネパール料理のお店は珍しい。
しかも、草の根的な小さなお店で、メニューもごく限られている。経験上、こういうお店は、大当たりか大外れかのどちらかである。ハイリスク・ハイリターン。
これがお金の投資だったらためらうが、今日のランチなら賭けてみてもいい。
グーグルマップのいうとおりに目的地へ着いた。なのに、肝心のお店が見当たらない。
「あー、潰れたのかなあ」
二人であたりを見回していると、目の前のぼろぼろの建物の看板に店名が書いてあるのを夫が見つけた。これ、わたし一人だったらたぶん見つけられていない。
穴場感がハンパない。穴場すぎてあやうく見失うレベルである。
中に入ってみると、大きな道路沿いによくある普通の売店だった。
あれ?ここにレストランなんてなさそうだが?やっぱり潰れたのかな?
きょろきょろしながら奥に入ってみると、フライドチキンのお店があった。それもテイクアウトがメインらしい小さな一角である。
その前にはテーブルが2つ置いてあったが、売店のドリンクが陳列されたケースの真ん前である。とりあえず感が漂うレイアウトである。
「あの、ここにネパール料理のお店はありますか?」
と、フライドチキンの店員さんに聞くと、
「あ、それ、ウチです!」
という答えが、満面の笑みとともに返ってきた。
え、でも……、とフライドチキンのメニューに目をやった。が、こういう展開にも慣れっこなのか、彼はささっと中から出てきて、違う面の壁を指さしながら、「これだよ」と教えてくれた。そこには、ネパール料理のメニューが控えめに貼ってあった。
聞くと、彼一人でフライドチキンのチェーン店とネパール料理のレストランの両方を、同じ場所で切り盛りしているらしい。
メニューを見ながら、「おすすめはこれだよ」とか「これはこんな味で……」などと詳しく説明してくれた。わたしたちが、「2つの味を試したいけれど、一皿の量が多いね」と話していたら、メニューにはなかったけれど、半量ずつで出してくれることになった。
ネパール出身という彼は、小さいながらも自分の城であるこのお店で、客を喜ばせることに心血を注いでいる様子が見受けられた。
そして、出てきたのがこれだった。
これがめちゃくちゃ美味しかった。「モモ」というネパールの国民食らしい。
見ためは小龍包そのものだが、肉汁がたぷたぷした感じはなくて、むしろ小さな肉まんといった方がいいかもしれない。でも、皮は薄めで餃子のようでもある。中のお肉の餡がぎっしり詰まっていて、小ぶりだが食べ応えがする。
ネパールというと、ヤクとか羊の肉を食べるイメージがあるけれど、ここのお店のはチキンだった。単に材料調達の難易度とコストの問題かもしれない。
赤くて辛そうな方は、見ためのとおり火を噴きそうに辛かった。さっきと同じモモを、玉ねぎや人参などの野菜の入った赤辛いソースで絡めている。辛い中にもうまさやちょっとした甘みがあって、後を引く味である。わたしたちのレパートリーにはない珍しい一品だった。
夫は、あっさりモモより、この赤辛モモが気に入ったらしい。わたしは辛いのが得意ではないので、あっさりモモ派。だけど、辛いのもひいひい言いながら2つ食べた。
この二皿を平らげたら、もう二人ともお腹いっぱいになった。
帰り際、ネパール人の彼が声をかけてくれた。
「どう、おいしかった?」
わたしたちは同時に頷きながら、「とっても美味しかったよ!」と声をそろえた。
「こんなに美味しいんだから、いつかレストランを持つべきだよ」
この売店の一角ではなくて、自分のレストランを、という意味で夫が言った。すると、彼はこんなことを話してくれた。
「実は何年か前に、ここから少し行ったところにレストランを開いたんだ。でも、その直後にパンデミックが始まって、行き詰ってしまって。でもまた資金ができたら自分の店を持ちたいと思ってる。そのときは、また食べにきてよ」
彼は、人懐っこい笑顔を向けた。そこには、コロナ禍に店を手放さざるを得なかった過去への悲壮感はなくて、気持ちいいくらいにからっとした表情だった。
店の奥では、彼の家族だろうか、年齢がばらばらの何人かが食材の準備を手伝っている様子がちらりと見えた。
きっと彼は、またいつか自分の店を持つに違いない。そんな希望を抱きつつ、店を後にした。
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