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アメリカに住んで良かったこと

わたしは、アメリカに住んでいます。

生まれ育った故郷である日本を恋しく思う気持ちは、いつも心の中にあります。あの頃の生活が戻るなら、ちょっと戻ってみたいような気もします。

でも、アメリカの方が心地よいと感じることもまたあります。

いまぱっと思いつくのは、お酒を飲まなくて済むことです。

わたしは、飲まなくていいなら飲みたくない。

体質的にあまりたくさん飲める方ではありません。すぐ酔っ払います。それでも、お酒そのものが嫌いというわけではありません。酔っ払うのが嫌なんです。

でも、飲むことを覚え始めた若かりし頃は、飲み会が好きな方でした。

お酒があれば、そんなに仲良くない人とも、一気に距離を詰められるような気がしていました。味わうというよりは、起爆剤のようなものでした。いつもよりもハイな気分になって、発散して、わけがわからない感じになって、ああ、遊んだぜという気分とともにスッキリすることが、ある種の快感でした。

それが変わったのは、20代後半の頃です。

仕事でセッティングされる食事の席で、飲まざるを得ない機会が何度もありました。

いま考えれば、なにも無理して飲まなくても、「わたしは飲めない」と強く言って断れば良かったんだとわかります。でも、当時は、これも相手との関係を円滑にするため、ひいては仕事の一環だと思って、勝手に頑張っていました。

わたしが遂行すべき業務は、そんな体を張ったものではなかったはずなんですけど。

自分の許容量を超えた飲み方は、当然ながら、後でツケが回ってきました。その日の夜は気分が悪くて眠れないし、翌日は頭がガンガンします。

無理して飲むお酒なんてこりごり。もう飲みたくない。

その一時期を抜けてから、わたしはお酒を飲むのが嫌になりました。会社の飲み会や異業種交流会でも、できたら飲みたくないなーと思いつつ、酔っぱらわない程度に、一杯だけ我慢して飲んでいました。

日本では、飲めることはいいことで、飲めないのはちょっと残念みたいな価値観があるように思います。誰かともっと知り合いたいなと思うときは、「今度飲みに行きませんか」が挨拶がわりになるし、飲み会で「ウーロン茶にします」というと、「なにいうとんねん、ワレ」的な扱いをされます。

この、「もちろん飲むっしょ」と迫ってくる空気が、わたしは苦手でした。いや、正確にいうと、最初は好きでしたが、途中から苦手になりました。30代を過ぎた頃から、飲み会のたびに、お茶会にしてくれたらいいのになあと思っていました。

アメリカにくると、そもそもお酒を勧められる機会があまりありません。会社勤めをしていないからな、と思いかけましたが、会社勤めをしている夫も、飲み会なんて出張したときくらいしかありません。年に1、2回の頻度です。

ホームパーティや子どもの誕生日会など、各種パーティに出席する機会はまあまあありますが、そんなときも各自が飲みたいものを勝手に飲めばいいスタイルです。他人がなにを飲もうが、ご自由にどうぞという感じです。

飲まなくても全然かまわない。人間関係を構築する上で、お酒があってもなくてもどっちでもいい。

わたしみたいな飲みたくない派には、プレッシャーもなく、放ったらかしてくれるこの感じが、とても心地よいのです。


読んでくださって、ありがとうございます。

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