アメリカ人の夫に日本語を教えていたはずが、途中から大喜利になった話
前にも書いたことがあるのだけど、わたしが作る夕飯で、家族の誰もが文句なしに喜ぶメニューがいくつかある。
その筆頭が、肉まんである。
日本にいたら、肉まんを手作りするなんて思いつきもしなかったと思う。だって、出来たての美味しいものが気軽に買えるから。特に、わたしの故郷では、551というあるだけでみんなを幸せにする豚まんがある。
でも、ここはアメリカ。残念ながら、551は進出していない。551的な店も近くにはない。肉まんを買いたければ、アジア系スーパーで冷凍ものを買うか、中華料理のレストランからテイクアウトするしかない。でも、心動かされる肉まんに、わたしはまだ出会っていない。わざわざ買いに行きたくなるような肉まんがない。
だから、手作りすることにした。決して難しくはない。ただ、手間と時間がかかる。よーし、今日は肉まんだ、と気合いを入れて臨むメニューである。
先日、年が明けてから、今年一番の肉まんを早速作った。
準備に時間がかかったのに、食べるのはあっという間だった。
食事が終わって席をたつときに、夫が神妙に手を合わせた。
「ゴチソーサマデシター」
私に向かって、日本語で力を込めて言った。わたしが手間と時間をかけてこの夕飯を作ったことを、夫はよくわかっている。そして、ありがたがってくれる。
いつもは、「いいえー」とだけ答えるのだけど、この日はふと思いついて、こんなことを言った。
「こういうとき、どう答えるか知ってる?」
夫は首を傾げた。”I don't know.”
「お粗末様でしたって言うんだよ」
わたしは、お粗末様の意味を英語で説明した。そんなにたいしたものじゃなかったですけどね、と謙遜しているということ。
この謙遜という概念は、アメリカでは通用しない。なんの前知識もない人にいきなりこんなことを言うと、「あ、これは、たいしたものじゃなかったんだ」とそのまま受け止められる。
夫は日本に住んだ経験があり、これまで、わたしから日本語や日本文化について度重なるレクチャーを受けている。その成果もあって、日本の美徳である謙遜の概念をよく理解している。
ただ、そんな夫も、「お粗末様でした」というフレーズは初めて聞いたらしい。一度も聞いたことのない外国語がいきなり耳に入ってくると、まったく意味がつかめないどころか、呪文のように聞こえることがある。
オソマツサマデシタ
「粗末」という言葉がまずあって、その冒頭に「お」がついていること、さらには、語尾に「様」がついているといった言葉の構造は、日本人なら自然に理解できる。でも、それが掴めていない夫の耳には、完全にカタカナで聞こえていたはず。
自然な反応として、夫はこの聞きなれないフレーズを再現しようと試みた。
「オソ*^$&%$デシター」
最初の「オソ」と、ビジネス日本語で叩き込まれた語尾の「デシタ」だけはちゃんと頭に残ったらしい。でも、その中間が完全にバグっている。
わたしはもう一度、模範解答をゆっくりと発音した。続いて夫。
「オソ$%&*^$デシター」
違う。
「オソ&$$&*#デシター」
違う。
「オサマビンラディンデシター」
話題が変わってる。
そして、最後に出てきたのがこれだった。
「オスモウサンデシター」
いや、絶対に違う。
然るべきタイミングでめちゃくちゃ早口で言ったらそれっぽく聞こえるかもしれないが、いずれにしても違う。
(おしまい)
読んでくださってありがとうございます。
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