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わたしの人生に登場した3人のイケメンたち

20代のある時期、やたらとイケメンに惹かれてしまう危なっかしい時期があった。

イケメンに惹かれる。なんとも先行き不安の漂う響きである。

人を見るときに顔で判断してはならないというある種の真理がある。でも、多かれ少なかれ、みんな自分の好みというものがある。意識的にも無意識的にも、この好みはわたしたちの判断に影響を与える。特に恋に落ちるときは、この好みというやつが抗いがたい効力を発揮する。

何が言いたいかというと、イケメンに惹かれるというのはごく自然な反応であって、わたしはなにも悪くないということだ。

あの頃、わたしの人生に登場したイケメンは3人いる。

先に結論を言っておくと、わたしはこの3人の誰とも付きあっていない。わたしは付きあってもよかったんだけど、イケメンにはわたしの良さがいまいち伝わらないらしい。実に残念な事実だ。まあ、いまとなってはどうでもいいことだが。

一人目、S男。知的でどこか不思議さを漂わせる男。なんだか存在そのものがふわふわしていて、つかみどころがない。彼の行動には、ここを押せばこの音が鳴るみたいな確かな法則がない。いつも気まぐれに時々ごはんに誘われて、後で何を話したのか思い出せないような会話をした。そのうちに、なんとなくこうやって付き合うことになったらいいのにな、なんて思うようになった。

ある日、彼を知る友人が言った。

「S男くんって彼女いるよね?」

わたしが接近しているのを知ってか知らないでか、そんな話になった。わたしは、「え」と一声発したまま、フリーズしてしまった。

知らんかった。S男はなにも言わなかったどころか、そんな素振りすら見せなかったぞ。まあ、わたしが聞かなかったから、わざわざ言わなかっただけなんだろうけど。でも、彼女がいるのに一対一で女性を食事に誘うか?いま思えば、そんなの関係性次第では全然あり得る。けれど、当時のわたしには考えられなかった。なんだか騙された気になったのを覚えている。まだなにも始まってもいなかったけれど。

続いてK夫。仕事の取引先の人だった。一時期、彼の会社との間で密に仕事をした時期があって、そのときに知り合った。彼は上司の信頼が厚く、チームを率いて見事に仕事をさばいていた。そこにほれぼれしてしまったのが始まり。軽い雰囲気をまといながらも、しっかり仕事をするそのギャップが良かった。そのプロジェクトが終わった後も、複数人のグループで何度か遊んで、そのうち二人でごはんに行くようになった。

予めいついつと約束して、レストランを予約していくこともあったけれど、大抵は仕事終わりの時間にぴろんとメッセージが来た。7時とか8時くらいに。

「もう飯食った?まだなら今からいかない?」

こういう誘われ方が、すごく打ち解けた感じがして好きだった。どうでもいい残業のときは、迷わず仕事を放っぽりだした。

この人には想いを伝えて振られた。これには落ち込んだなあ。彼はかっこいいだけじゃなくて、いつも人より少し先を見て、人知れず努力をする人だった。そういう姿が眩しくて。いずれ独立するといって着々と準備していたっけ。今ごろどうしているだろうか。

もう一人、T雄。この人はぶっちぎりで曲者だった。背はすらりと高く、爽やかでとにかく顔がめちゃくちゃ整っている。一緒に歩くと、すれ違う人たちがおもしろいほどみんなT雄にくぎ付けになるのである。なんか変な薬が含まれた空気をまき散らしながら歩いてないか?と疑うくらい、見る者すべてが放心する。やばいのに出くわしてしまったと思った。

そのうち仲良くなって二人で会うようになった。でも、この人にも彼女がいた。ただ、これだけ目立つイケメンだと、彼氏と彼女という平凡な枠には収まりきらないらしくて、常に彼を取り巻くドラマがあちこちに同時多発していた。わたしも不本意ながらそのドラマの登場人物になったりもした。

問題の根本は明白だった。彼がこのドラマを取り仕切らないからだ。人間関係に線を引かない。それぞれの相手との関係にラベルを貼らないのだ。あえてしないという戦略だったんだろう。

いま考えると完全に笑い話だけど、当時は心揺さぶられた。わたしがほしい関係はこんなんじゃない、ということが何よりもよくわかった。

ふと我に返る自分がいる。こんなことを書いて、わたしは一体なにをしようとしているんだろうか。

最近イケメンがどうとかいう記事をたまたまいくつか目にして、そういえば、と自分の過去が蘇ってきたのだ。そうしたら、こんな記事ができあがってしまった。こんな恥ずかしいことまで発信できるようになるなんて、慣れと習慣とは恐ろしいものだ。

(おしまい)


読んでくださってありがとうございます。

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