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アメリカにいても恵方巻が食べたい!

アメリカにいても、節分には恵方巻を食べようじゃないか。

2025年のわたしは、これまでとちょっと違う。日本の文化や習慣を、今までよりも大切にして過ごしている。

その背景には、子どもたちが、自分のアイデンティティなるものに次第に意識が向き始めていることと関係している。

子どもたちは、様々なバックグラウンドを持つクラスメイトに囲まれながら、自分はジャパニーズであるという認識が明確になりつつある。

本人たちのアイデンティティが健やかに育っているのは文句なしに良いことである。わたしはそれを横で見守りながら、この流れを確実にし、もっと確かなものにするために、わたしにできることはないかといつも探している。

この節分の行事を継承することも、その一つなんじゃないかというわけである。

前日から子どもたちに予告しておいたとおりに、わたしは恵方巻を作った。中身は、サーモンときゅうりとほうれん草。我ながらシンプルだ。

卵は息子が嫌がる。カニカマは夫が嫌がる。かんぴょうはアメリカの普通のスーパーでは手に入らない。アボカドはあれば良かったけれど、買い忘れた。こうやって引き算すると、こんな3色巻きになった。

食卓につき、早速恵方巻を食べようとする子どもたちを制し、食べ方をレクチャーした。

「いいかい、君たち。『いただきます』をしたら、縁起のいい方角に向かって、黙ってこの恵方巻をガブリと食べるのよ」

今年の恵方が西南西であることを説明し、方角を指し示してみせた。

せーの、で始めようとしたら、子どもたちから質問が出てきた。

息子「これを全部黙って食べなきゃいけないの?

ずっと黙っていないといけないのは、どうやら息子には苦痛らしい。

確かに、大人なら何口かでガブガブっと食べられそうだが、子どもらはちょっと時間がかかりそうだ。沈黙のディナーになりそうである。

息子「一口めだけってことにしようよ」

いいね。採用。じゃ、黙って食べるのは一口めだけにしよう。

娘「向く方角を間違えちゃったらどうなるの?

いい質問だね。ママもよく知らないけど、起こるはずの良いことがちょっと減っちゃうんじゃない?(ほんまか?)

適当に思いついたまま回答したら、娘はまるで良いことが減ってしまったかのようにしゅんとした表情になった。大丈夫、大丈夫、間違えないようにみんなで一緒に同じ方向を向いて食べよう。

夫も席につき、みんなで西南西に向かって、せーの、でガブリといった。

静かにもぐもぐと口を動かしていると、思いがけず口を開く者がいた。

あー、この寿司ロール、美味しいねえ

夫だった。あれだけ確認したのに、さては、わたしの話をちゃんと聞いてなかったな?

子どもたちとわたしが一斉に夫をばっと振り返り、目力で夫を制した。察した夫は口をつぐんで、「あっ、ゴメンナサイ」という顔をして、もぐもぐと黙って口だけを動かした。

夫よ、減ってしまったかもしれない良いことを、どこかで気合いで取り返しなさい。

いずれにしても、今年が幸多き年になりますように。


読んでくださってありがとうございます。

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