山本七平著 日本人の人生観 講談社学術文庫 歴史を持たない国、日本
養老先生の本は、ほとんど読んでいる、この先生、いつも同じことを書いて、なんて勝手に思いながら、やはり読んでいる、そして最近読売新聞の連載があった
戦争に負けて、昨日まで大事に使っていた、教科書に墨を塗るというくだりがあり、いつもの伝だと思ったのだけれど、山本七平さんの本にもこのことが書かれていたのだ
山本七平さんは、これが日本に歴史が無いってことなのだと云うのだ
歴史と云うのは、その国の言語と深く関わっている、そう、その国の人々の考えかたそのものが反映されるとのだろう
山本七平さんは、欄外(トサフィスト)に元となる本に注釈なりを入れてゆく、何世代にも渡って行う、そしてある時代に再編集される、この様な伝統がセム系の思想にはあると指摘する
聖書も天地創造から、終末までを意識したものであって、時間時空が一方向に流れて行く、そう、わたし達が習う英語の言語の時制そのものだ
中国だって、各王朝の歴史が書かれていて、聞くところによると、正式には、次の王朝が歴史をまとめる
ところが日本には、この様な考え方が無い様に思える、どうも言語体系の中に時間軸が明確に組み込まれて無いのだ
だから、毎回、その時のご都合で「歴史」なるものを書き換えるのだ、万世一系の皇国史観から、敗戦後にすっかり書き換えてしまう、その象徴が教科書に墨を塗ることなのだ
今日から、新しくって訳だ
わたしたちは、いつでも心機一転!なのだ
だから、歴史を習うと年号と事件ばかりを覚えることばかりで、鎌倉幕府成立の年号など変わったらしくて、それすら怪しくなってきた
また、つい最近は、仁徳天皇陵も消え、聖徳太子の名も忘れられつつあるらしい
ついこの間まで、お札の肖像にもなっていたのに、その事さえ知らない人が増えきて、誰も辿れない、分からなくなるのだ
わたしたちは、正しい歴史なるものが存在すると云う強迫観念に囚われているからこそ、毎回、毎回、ご都合により歴史を「正しく」書き換えてしまうのだ
山本七平さんの云うように、わたしたちは、歴史を持っていないのだろう、そのすべすら知らないのだ、どう残す、一旦書いたものをキチンと残し、そこに注記、註釈を入れ、再構築する、言霊の國貞には、無理なのか、はじめに言葉が必要なのか、嗚呼