横浜 元町 蕎麦屋の木の芽
横浜の元町は、ちょっとどころか、結構気取った街だ、ここで過去形にするかどうか悩ましいところなのだけれど
銀座の様にデパートなどがあれば、見える風景が違うのだろうけど、要するに個人商店の世代交代が上手く行っていないのか、櫛の歯が抜けるように見慣れたチェーン店が入る様になって来た
横浜らしい輸入雑貨、家具、洋服、カバン、パン屋、ケーキ屋、食品等々、貧乏サラリーマンは、空気だけを求めて、深呼吸しに行った、そして、中華街の癖の強い安い店で腹ごしらえをしたものだった、順番は、逆だったかも
その昔は、家業ってのがあって、百姓は百姓、医者は医者、地主は地主、商売人は商売人だった、でもそこは良くしたもので、日本では、養子さんという制度が発達していて、例えば、「三原屋傳兵衛」を代々継いで家業を絶やさないのがそこの当主の大事な勤めだった、十代も続けると、二人やそこいらは、他家から御養子さんを迎えているものだ
社会を構成する要素は、絶やさず、実は人は、結構入れ替わっている
その昔、イギリスの階級社会、要するに所属するクラス内の人の入れ替わりを議論した経済学者がいたが、日本の封建時代の人の交流は、大変なものだったはずなのだ、でも必要な家業は、絶やさなかったのだ
そう言う意味では、残るべくして残ったパン屋はあるし、もう必要が無くなった家業は、その土地しか活用できないのかも知れない
今の日本は、下り坂もそう、30年近くになろうとしている、とある方は、今40歳が分水嶺と教えてくれた、40才以下のひとは、物心ついてから、ずーっと下りだった
それ以上の人々は、今日よりも明日は、給料が上がる、こんな幼児体験を入社の時にしている、そう、銀座からタクシーチケットで帰った世帯なのだ、少なくともそれを観ていた
この分水嶺、45歳かも知れない
そして、一周回って、横浜元町にも、なんと蕎麦屋が出来ていたのだ、それも安くて、角の立った蕎麦、蕎麦湯で汁を飲むと鰹節の香りがする、お昼には、丼と盛りかかけの蕎麦のハーフ&ハーフがあるのだ
そろそろ次の波が来る予感がする、向かいながらの上手くて安い蕎麦屋の話しでした