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創作の難しさって話

このnoteでも折に触れて感想なりを書いてきたドラマ『セクシー田中さん』の原作者、
芦原妃名子先生が亡くなられてしまいましたね。

考え得る中で最悪の結果になってしまったなぁという感じですし、
事の発端というか、騒動が明るみに出てからの展開が早すぎて、
訃報を知った晩は、ほんと悪い夢のようで、現実のことだとは思えなかったです。


納得のいっていないものが世に放たれる辛さ

脚本家の方が~、ていう声がたくさん上がっていますし、
実際、件の投稿も読んだ上で、確かにとてもいい大人のやり方だとは思えませんが、
ここでまた個人を責めることを、先生自身望まれてるとは思えませんし、
それに何より個人的には、
結果的にご本人も全く納得のいっていない脚本のまま、
『セクシー田中さん』の9・10話が放送されてしまったことのショックがとても大きかったのではないかなぁと。
(ただ、事の経緯をご本人がXで開示されてましたけど、
 とてもじゃないですが、納得のいく形まで持っていけるような状況にはなかったと思います。
 納得のいかないまま放送に至ってしまったのも、本当に“致し方のないこと”だよなと。
 つまり先生の落ち度ではない)


もちろん、いつもかつも10割納得のいっているものを発信し続けることは出来ないかとは思いますが、
(プロはそれが出来るものなのかもしれませんが)
創作者として、自分自身が3割程度も納得のいっていないものを、
そのまま自身の名前で世に放つことになってしまうって、
むちゃくちゃしんどいことなんじゃないかなと。

で、実際、ドラマ放送後の評価としても、
とても「よかった」で終われるようなものではなかったと思いますし。
(そもそも自身が納得がいっていない時点で、
 他人からどれだけ賞賛されようが、苦しさが解消されることはないかと思いますが)

こういうのって、自覚しているからこそぐさっと刺さるというか。
芦原先生ご自身のお言葉は、件のXにて初めて拝見したんですが、
とても丁寧で、優しそうなお人柄が窺えるものでしたので、
芦原先生がそのようなメンタルに至るかどうかは分かりませんが、
その自覚はない、自分としては100%かそれに近い自信を持って発信したものであれば、
誰になんと言われようが、さして突き刺さってこなかったりするもんなんですよね。

自分自身なんかは正にそうで、ネガティブな意見をいわれようが、
「へ~、そう思ったんですね」とか、
もっといえば「この良さが分からんとかセンスな!」て思って終了ってなぐらい。

そもそも先生ほどのキャリアの方であれば、
これまでだって、少なからずマイナスな意見を受け取ることはあったでしょうし…。

なので、飽くまで自分自身の中の問題として、
全然満足のいっていない状態のものが、完成形として世に出てしまったことが、
とても哀しかったのではないかなぁと。


メディアミックスの難しさ

まぁ今回のことを受けて、一番思ったのは「メディアミックスって本当に難しいんだな」と。

実写化に限らず、アニメ化、ゲーム化、等々でも、
きっと、一気に携わる人間の数が膨大になるんじゃぁないでしょうか。
となると、原作者の方が納得のいくレベルでコントロールするのも、
とても容易なことではなくなってくるでしょうし…。

個人的には、メディアミックスをするのなら、
もう、「煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」とするか、
(但しこの場合は、自分が原作者さんなら、
 「自身はこの作品(例えば実写化ドラマならドラマ)には一切タッチしてません」て明確に公の場で宣言しますね。
 自分自身、自分の作品がどう形を変えようが、割と…というか全く気に掛けない性質ですが、
 自分の名前でクソダサいもの出されるのは、我慢ならないので。
 あくまで原作を書いたのみ、原案提供しただけって、立場を明示したいです)
もしくは徹底して断るか。

と、もうこの2択しかないのかなと思いました。


でも、原作者さんであったり、原作ファンであったり、
別媒体に形を変えた作品が、なぜ不満足なものに終わってしまうのかって、
あらすじなり、キャラ設定なり、セリフなり、
それらが変更されている云々とかではなく、
突き詰めると、制作陣が
「その作品の本質を理解しているかしていないか」に尽きるのではと思っていて。

“本質”というのは、何を一番に伝えたい作品なのか、というところもそうですし、
ファン目線でいえば、「なぜこの作品が好きなのか」
「この作品のどういったところが“一番”好きなのか」といったところかと思います。

例えば、とにかくいいセリフ、心に響くセリフが多くて、
それゆえに人気を博してるんですという作品であれば、
特にキーになるようなセリフは決して落とすことなく、
また、一字一句違わずに再現するべきでしょうし、
とにかくキャラクターのビジュアルが最強なんです、みたいな作品なのであれば、
爆イケメンと美女を揃えて、かつ、
本来のビジュアルイメージにピッタリはまるようなキャスティングは必須でしょうし。

逆にいえば、そこ(“本質”)さえ押さえていれば、
多少あらすじが変わっていようが、キャラクター設定が変わっていようが、
セリフが一字一句同じじゃなかろうが、
結果的には満足度の高い、メディアミックス成功例になれると思うんですよね。


まぁ、この「本質を理解しているかどうか」
「本質を理解しようという姿勢」というのも、
原作・原作者の方に対するリスペクトから生まれるものでしょうね。

とにかく。
芦原先生が苦しみから解放されておられることを願いますし、
今後のためには、誰かを責めるというよりは、
もっと契約の内容であるとか、種々の取り決め方などの問題点を追究することが、
より建設的な対応となるのかなと思います。

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