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唐突に訪れた札幌ジンギスカンへの衝動。

「だるま5.5店」2021年3月8日(月)

何かに追われるように、時が途切れなく過ぎてゆく。
背中を押されるように前進しても、スクラムのように前進しがたい。
追うように進んでいるつもりなのに、追われて前に進まない。
この矛盾した状況下において、どう身を処するか?
“仕事を愛せよ”
かのスティーブ・ジョブズの尊い箴言は、明快であり重厚な意味を帯びてくる。
愛する仕事ということと、仕事を愛すること、という意味合いの異なる相関関係に悩まされつつも、息をつくひとときさえ惜しまれる時が続いた。

そこに唐突な空隙が生じた。
それは何かを惹起する。
焼鳥の開拓という意識で急激に芽生えた。

21時過ぎであった。
時短要請期間が終了したとはいえ、街を埋め尽くすものは冷風と閑散と若者達の野放図な歓声であった。
その足は、次第にすすきのの深みへと導かれた。
そこに一点の輝きを見出す。
ジンギスカンの名高い本店の灯は、焼鳥の欲望を軽々と打ち消した。
店内を覗き込むと入店を拒むほどの満席で、それは一層ジンギスカンの欲望を掻き立てた。
必然的に本店のそばにできた支店に足を向けた。
すると、入口手前のカウンター席だけが辛うじて空席を保持していたものの、賑やかな声音と肉を焼く音が反響していた。
バッグとコートをロッカーに入れ、カウンター席を陣取った。
ジンギスカン鍋がすかさず目前に置かれた。
いよいよという時、『閉店は23時となりますので、ラストオーダーは22時30分となります』
賑やかな音に塗れて提示された閉店時間は、コロナ時代の閉塞の象徴なのかもしれない。
が、ひとりジンギスカンに1時間30分は要することはない。
しかも、メニューの選択肢が少ないことも有難い。
生ビールの大ジョッキと「成吉思汗」、そして「キムチ」と言い放った。
待ち侘びることもなく、艶めいた深みを帯びた赤身の羊肉が置かれた。
ジンギスカン鍋の頭頂で踊る脂を肌を満遍なく撫でるように塗り、羊肉を置いた。
その途端に脂が弾けると、すかさず棘と成して指に突き刺さった。
いよいよだ、と自らに言い放った。
赤身が急激に焦茶色に化けて、ジンギスカン独特の香りがたゆたう。
それだけでも生ビールが軽々しく消えゆくのだが、油断をすれば焼き過ぎてしまう。
それゆえに肉を載せ過ぎることはあり得ない。
羊肉とビール、野菜とキムチの好循環と焼き過ぎない均衡は、程良い緊張感を司る。
細やかな弾力と豊潤な肉の頼もしさ、それこそがまさに札幌ジンギスカンの誉である。
生ビールの喪失に、3枚目のジンギスカンとハイボールを頼む時、22時30分を迎えた。
23時の閉店を知らぬ客が次々と到来しては諦念とともに去ってゆく。
ジンギスカンのタレにお湯を注いでもらう。
それはこの店の締めの隠れた流儀だ。
愛する仕事か?
仕事を愛するか?
それはともかく、ジンギスカンとの不意の対峙は、何と愛おしいことであろう…

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