【孤読、すなわち孤高の読書】夏目漱石「こころ」
作者:夏目漱石(1867〜1916)
作品名:「こころ」
刊行年:1914年刊行(日本)
明治から大正へと移り変わる激動の時代に描いた、恋という原罪。
[あらすじ]
明治時代末期の日本を舞台に、人間関係、恋という罪の意識、そして孤独といった根源的なテーマを描いた作品である。
「先生」と呼ばれる謎めいた男性と、その先生に惹かれる「私」(語り手)との関係を中心に物語は進んでゆく。
三部構成の物語は、第一部では大学生の「私」が海岸で偶然に出会った「先生」に興味を抱き交流を深めていく。
「先生」は知識人でありながらどこか人を遠ざける影を有し、その謎めいた過去に「私」は、徐々に先生が心に深い悩みや苦しみを抱えていることに気づく。
第二部では、「私」が実家に戻り、父の病状が悪化していく過程が描かれる中で、「私」は「先生」からの手紙を待ちながら、先生との会話や彼の態度について思いを巡らせる。
第三部では、「先生」の長い手紙が語られ、彼の過去が明かされれる。「先生」は若い頃、親友の「K」とともに下宿生活をしていたが、やがて「K」が「先生」と同じ女性に恋をし、二人の関係は複雑なものとなる。
「先生」はこの女性に恋心を抱いていたものの、Kの気持ちを察して罪悪感に苛まれ葛藤の末に、「K」は自ら命を絶ち、その出来事が「先生」に深い精神的な傷を残す。
[読後の印象]
『こころ』を初めて手に取ったのは、私がまだ12歳か13歳の時分だった。
幼い私の目に、夏目漱石のこの作品はあまりにも重く、あまりにも鋭く、そしてあまりにも大人の世界を映し出していた。
頁をめくる度に、その文字は幼心に焼き付くような印象を残した。
読後、私の心にはただ漠然とした苦渋のような感情だけが渦巻き、深く理解するには、私はまだあまりにも未熟だったことを覚えている。
それでも、恋愛、友情、そして自殺というテーマが、まるで重なり合いながら迫りくるのを感じた時、その内容はあまりに深く私の心を揺さぶった。
先生と私、そしてKの三者の関係を軸にして描かれる人間の罪悪感と道徳観の揺らぎは、私にとって未知の世界であり、触れることさえもどこか背徳的に思えた。
先生が背負う罪と、その罪が彼の存在そのものを蝕んでいく様を見た時、私はただ無力にその苦悩を見つめることしかできなかった。
最も記憶に残っているのは、やはり孤独というテーマである。
先生と私の間には、まるで一筋の細い糸で繋がれたような関係があるが、その糸は決して強固ではなく、時には切れそうなほど脆い。
先生は決して私に心を完全に開くことはなく、その距離感は終始私を不安にさせた。
彼の孤独は、私にも伝染し、読了後には私自身もまるで広い闇の中に独り立っているかのような錯覚を覚えた。
Kとの過去を語る場面で、彼が抱えていた重荷は私にとって理解しがたいものであったが、それでもその哀切な孤独に胸が締め付けられる思いがしたのだ。
明治の終わりという時代背景もこの作品の深みを成している。
古き伝統が崩れ去り、近代という名の新たな光が差し込むその時代において、人々の心は混迷し、孤立を余儀なくされていく。
先生という人物はまさにその象徴であり、彼の孤独は近代日本の精神的変遷そのものであった。
文明開化という名の進歩が人々を豊かにした反面、精神の深淵にある孤独や罪悪感は誰にも癒されることなく残されていく。
私がこの作品を閉じた時、その事実に気付き、胸がざわめくのを感じた。
大人になって再び『こころ』を手にするならば、私はあの時とは異なる感情でこの物語に向き合うことになるだろう。
あの時の衝撃と、大人になった今の私がどのような新たな洞察を得るか、その比較こそが、この物語の持つ深遠さをより鮮明にしてくれるに違いない。私は、その時初めて、本当の意味で『こころ』の核心に触れることができるだろう。
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