【人生最期の食事を求めて】台湾料理の逸品と戯れる横浜日の出町の夜。
2024年6月20日(木)
台湾料理 第一亭(神奈川県横浜市中区)
大岡川に沿って連なるその街。
妖しげで艷やかな灯り、古錆びた家々から放たれる荒んだ生活臭、そこで暮らす人生の陰影を背負った人々。
そこは、かつては近寄りがたく、触れてもならず、仮に足を伸ばせば戦争直後の混沌がのさばるような場所だった。
目を合わせることはもちろん、そこを通ることすら憚られた街も、今では一見すると浄化の途を歩み、穏やかで感情を失った表情のように見繕っているように思えた。
其処此処にはまだ淫靡なネオンがきらめいてはいるものの、以前のような負の空気はすっかり失われていた。
否、失われていたとはきっと正確ではないだろう。
様々な浄化作戦によって封印された、と言ったほうが良いのかもしれない。
ただ、夕刻の黄金町や日の出町を恐れずに堂々と歩くことができるになったのは事実だ。
鮮明な赤い暖簾が微風に揺れる店前に、会社員と思われる男女が立ち尽くしていた。
そこは私が目指した店であった。
「並んでいるんですか?」
と恐る恐る尋ねると、
律儀そうな男性は、
「そうなんですよ、これからあと2人が来ます」
と丁寧に応えた。
撤退しようかという迷いも一瞬、店の扉が開くと幸運にも先に案内された。
店内は、地元らしき常連客や会社員らしき複数組の客で賑わい、大衆中華というよりは居酒屋的喧噪に包まれていた。
L型のカウンター席に通された。
数日間封印していた生ビールを、私は何の躊躇もなく求めた。
端的な表現のメニューに気を取られていると、すぐさま生ビールが置かれた。
他の客たちの様子を何気なく眺め、次々と入る注文名に耳を傾ける。
聞き慣れないメニューが連呼されていて、私はメニューを再び眺めながら店員を呼び止めて「チートのしょうが炒め」(650円)、そして「いか炒め」(850円)と言い放った。
調理はつつがなく進んでゆく。
そして置かれたチートのしょうが炒めは、どこかグロテスクな容貌を纏って沈思しているようだった。
チートとは豚の胃を言うらしい。
一口食べると、それは心地よい歯応えとともに生姜の程良い風味と塩味が交錯し、次々と食べるように催促してくる。
まさしく舌を打つ妙技に違いなかった。
だからこそ客のほとんどが注文するわけだ、と私は心の中で独りごちた。
続けざまにいか炒めを食すると餡に覆われたいかや野菜が混沌とした中に、正当な後味に浸ることができる。
再び耳を済ませると、「パタン」という言葉が飛び交う。
すると、カウンター席の奥でサングラスをかけながら雑誌を読んでいる妖しげな男性が不意に無言のまま立ち上がり、サングラスを外して調理場に入ってフライパンを握り始めた。
その男性は意外にも調理人だったのだ。
調理人は注文が落ち着くと再びサングラスをかけ直してカウンター席の最奥に座り、何事もなかったように無言のままフライパンから雑誌に持ち替えるのだ。
私は感心しながらその様子を何気なく見守り続けた。
サングラスという存在は、公と私、自己と他者、調理人と私人を線引きするための道具であり象徴なのだろう。
またも「パタン」という聞き慣れない名が飛び交う。
私もそれに乗じて、
「ビールのおかわりとパタンをお願いします」
サングラスの男性はまたも無言で立ち上がり、サングラスを外して調理に取り掛かる。
訪れたそれは、驚くことにパスタか焼きそばのような黄色い麺、それとスープだった。
もはや締めの状態になってしまったが、ともあれ挑んでみると胡麻油の風味を制圧するように力強いにんにくが加わった。
それは、ペペロンチーノに例えられるだろうが、食べ進める度毎ににんにくの圧力に屈するとどころか魅了されてしまう逸品といえる。
しかしながら、これで終了するにはまだ早すぎる。
もちろん、痛風との格闘中であることも忘れてはならなかった。
ハイボールに切り替えると同時に、封印していた内蔵に目をつけて、「レバみそ炒め」(650円)、そして中華料理の王道たる「餃子」(550円)を求めた。
夕刻から夜に映る頃合いともなると、来店客はその頂きを迎えていた。
それを察してかどうかはともかく、注文した料理は滞りなくやってくる。
臭みがなく程良い味噌味のレバの、なんと深い味が潜んでいることか。
薄い餃子の皮から溢れる餡の、なんと調和著しい旨味であることか。
それに乗じてハイボールを次々と注文した。
あの均一的な表情をした中華街とは異なる、横浜の影の存在たる日の出町の台湾料理の逸品に包まれる夜は、終わらぬ賑わいの中で満ち足りながらゆっくりと更けてゆくのだった。……