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【人生最期の食事を求めて】大阪庶民感覚を体感する難波の破格うどん。

2024年11月14日(木)
天政(大阪府大阪市中央区)

小春日和と呼ぶにはあまりに烈しい午後の日差しが、関西の空を掌握していた。
伊丹空港を発ったバスが難波に到着したのは、時刻にして14時頃である。

伊丹空港(大阪国際空港)

ちょうど1年ぶりの大阪はその喧騒と混沌を微塵も損なわず、むしろ誇張された輪郭をもって私を迎えた。
難波駅の近辺を歩むうち、巨大な南海ビルが忽然と眼前に立ちはだかる。
大阪高島屋を擁するその壮麗なるアールデコ調の建築は、あたかも時代を拒絶する均整のとれた巨岩のようだ。
東洋の観光客たちがその入口付近に群れをなしている姿はどこか異様ながら、むしろそれがこの地にはふさわしいに思われた。

南海ビル

人の波を避けようと歩を進めるたび、湧き出る泉のように新たな群衆が現れる。
それもまた大阪に宿命づけられた性分なのだと自らに言い聞かせ、私はさらに難波の奥へと足を踏み入れた。

たこ焼き、串カツ、お好み焼きの看板が次々と視界を圧迫するたび、朝から何も食べていないという事実が私を責め立てる。
だが、空腹の域を越えると食い倒れの都たる大阪の食文化は、重苦しくさえ感じられるようになる。

天政

ふと、記憶の片隅にある一軒のうどん屋がよぎった。
過去の旅路の中で出会った黄色い看板が、今や鮮やかに脳裏に蘇る。
“安くて・早くて・うまい”——その謳い文句は、この地の気質を象徴している。
店先に並ぶ背中の列がその活況を物語っているのを見て、私の空腹はもはや臨界点に達した。
意を決して巻きつけられた暖簾をくぐる。

広々とした店内には、コの字型のカウンター席が奥へと延びる。
その大半は埋まっていたが、昼時の喧噪は既に過ぎ、客の入れ替わりは比較的穏やかだった。
カウンター奥では3人の男性スタッフが黙々と麺を茹で、汁を注ぐ作業に没頭している。

私はカウンター席の角に腰掛け、
「肉うどん」
と目の前にいた恰幅の良い男性にスタッフに一声かけた。
だが、そのスタッフは作業に集中したまま何の反応もない。
もう一度少し声を張り上げて注文を繰り返すと、彼は無言のまま頷き、手際よく調理を始めた。
やがていつの間にか違う男性スタッフが私の前に立ったかと思うと、
「肉うどんになります!」
という威勢の良い声とともに丼が目の前に置かれた。

肉うどん


新緑のようなネギの繁茂と牛肉が麺を覆い隠している。
その奥底に横たえるうどんの実在を箸で突き止めるために、ネギを掻き分け、牛肉を排除すると野太い麺がその白肌を露にした。
なんと艶めかしい白皙であろう。
蓮華の不在は素手で丼を持つことを強要するが、持ち上げられないほどの灼熱ではない。
見るからに優しそうな汁は、余白だらけの私の体内を撫でるように駆け巡り、染み込んでゆく。
重たげな麺を持ち上げ、一息に啜った。
讃岐の歯応えとも福岡の柔和とも異なる、絶妙に歯切れ感が音もなくわななき駆け巡る。
牛肉が生来有している甘みがその中で存在感を誇示しながらも脇役に徹しようと噛むまでもなく溶けてなくなりそうであった。
また隣の客がいなくなったかと思うと、女性客がひとり座り、
「わかめうどん、ください」と関西アクセントで発した。
常連客かどうかは定かではない。
が、スタッフたちは誰もが常連客であるかのように、食べ終わり去っていく客に対して、
「ありがとうございました。おおきに!」
と生き生きとした声音を背中に投げかける。

私も気がつけば完食を迎えつつあった。
「ごちそうさまでした」
と、敢えて幾許か大きな声でカウンター越しに投げかけると、
「ありがとうございました。おおきに!」
と私の背中を押した。
肉うどんの余韻に浸りながらも、大阪に来たという実感が外の喧騒と混沌とともに私の中で小さな興奮の波紋を広げていくのだった。……

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