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【人生最期の食事を求めて】京都にしんそばを再び求めた飽くなき欲求。
2023年10月8日(日)
松葉本店(京都府京都市東山区)
どこまでの曇り空が広がっているものの、天気予報に反して雨は降りそうで振らない。
雨が降ればすぐにでも京都を去ろう。
そう私は心に誓っていたのに、雨は落ちてはくれなかった。
外国人観光客の往来は相変わらず多く感じはするが苦になるほどではなかった。
私の中で徐ろに後悔の念が頭をもたげ始めた。
京都で朝食を愉しみすぐさま名古屋に戻る、という他者からすれば一見贅沢に思われる試みは、私の中でどこか取り留めのない寂寥感を吹き荒れた。
それは、想定していたよりもオーバーツーリズム化していないことに起因した。
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とまれかくまれ、名古屋に戻らなければならない。
後ろ髪を引かれる思いで私は歩き続けた。
八坂神社を経由し再び四条大橋を通り抜け、京都駅までの道程を歩む。
そのはずだった。
その時だった。
「松葉本店」の前を通り過ぎ去ろうとした。
程良い空腹が私の下腹部で頭をもたげた。
時刻は12時を過ぎていた。
期待もせずに入店し満席ならすぐさま諦めて名古屋に戻ろう。
すると、何の滞りもなく2階に案内された。
ともあれ、想定とは壊れるためにあるものだ。
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2022年、「松葉北店」で味わったにしんそばの再注文は揺るぎなかった。
そこでメニュー表を確認すると「にしんそば(鰊しぐれご飯付)」(1,925円税別)に心が踊り、すぐさまそれを注文した。
私は窓に広がる曇り空をしばらく眺めた。
この地で160余年という歴史を有し、今なお続いているという伝統の堆積。
そして、おそらくは様々な辛苦と困難を乗り越えて現在に至る道程は、私の想像を及ばないはずだ。
その感慨を打ち消すように、それは訪れた。
にしんの欠片だけが丼の片隅から剥き出しになっているほかは、何の飾り気もない麺と濁りのない汁だけであり、白皙のご版の上にも褐色のしぐれが置かれているだけの質素さに覆われていた。
が、ひとたび箸で麺を持ち上げると、黒と焦げ茶色が混濁したにしんの身が堂々と横たわっている。
淡白ながら深みのある出汁とにしんの調和は絶妙で、麺を啜るごとに独特の厚みを増して私の口内や喉を驚かせる。
そうして、ご飯に塗れた鰊しぐれは、蕎麦のそれとは違うエッセンスを訴える。
主張し過ぎず、濃厚過ぎず、蕎麦とご飯とにしんの見事な均衡を体現している。
そうとしか言いようがない。
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束の間の昼食の贅が終わった。
私は再びこう思ってしまった。
『このまま長く京都にとどまりたい』と。
理由は多く語るまい。
しかし、あの“そうだ京都、行こう。”というキャンペーンコピーの登場以来、京都に魅せられた者にとって聖書の一句のように心に深く刻まれているのだ。
ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教も、聖地エルサレムを目指すように……。
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