【孤読、すなわち孤高の読書】ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」
著者:ヴィクトール・E・フランクル(1905〜1997)
著書名:「夜と霧」
刊行年:1946年刊行(オーストリア)
極限の絶望下で生の意味を問い続けた、魂を揺さぶる必読書
人間が極限に追い込まれた時、その魂はいかに生き抜こうとするのか?
本書はまさにその究極の問いに対する著者自身の血と肉と涙が滲む回答である。
アウシュヴィッツ強制収容所において、彼は一切の希望を踏みにじられ、すべての自由を剥奪された。
それでもなお精神の最も深淵な力を見出し、生きる意味に向かって歩み続けることを選んだ。
本書はその狂気の中で生き延びた者のみが語り得る真実であり、さらに言えばその狂気と対峙したときにこそ浮かび上がる人間の本質そのものである。
強制収容所における著者の目は冷徹を貫き通し、その視線は絶望の深さと生への意思を有し続けてすべてを記録している。
著者の記述には単なる恐怖や苦痛だけではなく、宿命とも呼べる人間の「意志」が脈打っている。著者が見出したのは状況がどれほど過酷であろうとも、自らが「生きる意味」を選び取る自由、それこそが人間の根源的な力であるという真理である。
死の影が覆い尽くす場所で彼が希望の炎を守り続けたのは、この自由があったからにほかならない。
本書は、生きることに疲れた現代人に対する冷酷なまでの啓示である。
人間は無力であるがゆえに無限であり、絶望の淵に立たされてもなお意味を見出すことができる。
著者が「生きる意味」に辿り着くその過程は、あたかも太陽のような情熱と、鋼のような意志が交わる瞬間である。
そこには自己陶酔も、ただの救済もない。
あるのはひたすらに冷徹で峻厳な現実と、それに対峙する魂の孤独な戦いである。
「夜と霧」は精神の武器を研ぎ澄ませ、自己と対峙するための書であり、読者にとっては魂の再生を促す剣である。
この書を読むことは己を深く掘り下げ、存在の根源に触れる行為であり、暗闇の中でこそ輝く火花を求める人間の探求である。
何かに行き詰まったら、この書を再び読むがいい。
生きることにおいて、すべての現実は瑣末な砂のように細やかなことに過ぎない。
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