【人生最期の食事を求めて】北海道随一の立喰い蕎麦の本領。
2023年9月1日(金)
ひのでそば(北海道札幌市中央区)
日本を代表する大衆的食文化といえば、立喰い蕎麦という人も多い。
そもそも立って食するというスタイル自体、海外ではドリンクやデザート、あるいは屋台でしか見ることができないような気がするが、この国においては旅先の駅構内、そして見知らぬ街のご当地蕎麦を気兼ねなく楽しめるのも立ち食い蕎麦の醍醐味である。
では、日本において立喰い蕎麦というスタイルは、いつから根づいたのだろう?
諸説あるようだが、やはりイメージ通り江戸時代に端を発しているようだ。
夜鳴き蕎麦が生まれ、そこから独自の進化を遂げて日本中に広がっていき、現代においてそれは和的ファストフードの象徴のひとつとなった。
人口約197万人を有する世界屈指の豪雪都市、札幌。
1年の約半分は雪に閉ざされ、冷厳な外気にさらされる気候も関係してか、他の大都市とは異なり立喰い蕎麦の店数は少ない。
その状況下で長年愛されている店といえば、「ひのでそば」である。
この店が誕生したのは1971年で、札幌冬季オリンピックが開催された翌年である。
ファッションビルが建ち並び、再開発で次々と新たなビルが計画されるこの地の中でも最先端エリアであり、夥しい乗降客が擦過する札幌市営地下鉄南北線「大通」駅を間近に、その店は青いネオンと深みのある出汁の薫りを放ち、人々を惹きつけ呼び寄せている。
狭い厨房には、常に女性スタッフが3〜5名が立ち、細やかな連携プレイで無造作に注文される蕎麦を次々と小気味良く仕上げていく。
陽気な女性スタッフたちは、束の間でも来店客にも気さくに接することを心がけながらも、実に見事に多くの注文をこなす。
この日も日ざかりの過ぎた午後だというのに、カウンターの中央には小さな行列ができていて、次々と注文を受け入れては手際よく蕎麦を仕上げていた。
最高齢らしい女性スタッフが私に話しかけてきた。
「ご注文は?」
「天玉そばの大盛に、ネギを多めで」と私は空腹に任せて返答した。
「はい、天玉そば大盛、ネギ多めね」
まるで谺のように最高齢らしい女性スタッフが口火を切ると、さっそく隣にいる女性スタッフが丼を用意し麺を茹で、他の女性スタッフが天ぷらと玉子を用意していた。
ものの1分もしないうちに、
「はい、天玉そば大盛にネギ多めね」という声音に乗って丼が置かれた。
かつおを中心にいくつかの出汁が輻輳していて、そこから放たれる薫りは立喰い蕎麦という境界を超えた奥行きであることは間違いない。
濃厚な味を称える汁の深みもまた視覚的に訴えているように思えた。
一味をふりかけてから箸先で玉子を優しく突き、熱い汁の底に沈めた。
出汁の絡んだ麺は程よく柔和で、歯切れよく口底に沈んでゆく。
天ぷらも同様で乾いた食感は一切なく、麺と同様に溶けて消えてゆくようだ。
何よりも、私が立喰い蕎麦を愛する理由は、どの客もスマートフォンに目を奪われることなく寡黙を徹して蕎麦をすする姿である。
スマートフォンを手にしながら、あるいは雑誌を読みながら、さらに雑談しながら食する、いわゆる“ながら食い”は、私を途方もない嫌悪感に包み込み、その空間を共にすること、さらには食そのものをも不味くする作用を私の脳内で働かせる。
つまり仕事同様、食事においてもマルチタスクではなく、シングルタスクこそ最も純粋で崇高な手法であり作法であると考えているからである。
その具体的な究極こそ、立喰い蕎麦なのである。
底に沈めていた玉子の様子を窺った。
未熟な黄身を少しだけ揺らすと、濃厚な出汁の中で溶け混じり、あるいは浮かび上がりながら、絶妙なまろやかさを広げ、いつしかネギの食感と苦々しさをも巻き込んで完食への大団円を導くのだった。
そうしてまたひとり立ち去ったかと思うと、再びまた誰かがぶっきらぼうに注文する、という光景が降り積もる雪のように、これからも幾重にも幾重にも繰り返されていく。
もしもこの世界から突発的に、あるいは余裕もなく去る時、最期に立喰い蕎麦という選択も悪くない、と思いながら古びたビルの階段を昇っていくのだった……。
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