聞き上手になりたい
『プロカウンセラーの聞く技術』(東山紘久 著)、『プロカウンセラーの共感の技術』(杉原保史 著)の2冊を読んだ。
聞き上手になりたい、と考えたからだ。職場でもプライベートでも、相手の話をよく聞くことは、円滑な関係を築く上で重要だと思う。
また、相手との関係が近いほど聞き上手であることは難しく、遠距離の恋人と電話をする際、自分ばかり話していることがあったり、相手の話を素直に聞けず、「でも」と遮ってしまうことがあったりするのも気になっていた。
子どもの頃はもっと聞き上手だった気が…
思えば、子どもの頃はもっと聞き上手だった気がする。クラスのそれほど親しくない人からも、「◯◯にはなんか話せちゃう」と打ち明け話をされることが少なくなかった。
中学校の掃除の時間、サッカー部で性格も明るく、人気のある男子から、友達との関係でちょっと揉めて悩んでいる、という話をされたときなど、「私にその話をするんだ」「こんなキラキラした人も人間関係に悩むんだ」とびっくりしてしまった。
当時は、まだあまり自分の中で「こうしなければいけない」「こっちの方が望ましい」というような価値判断の基準が定まっておらず、他の人の話をそのまま受け入れ、そうなんだ、と素直に聞くことができていたのだと思う。
また、小中学生の頃は特に、嫌われないよう、クラスメイトに少しでも偉そうな態度をとるようなことはしてはいけないと強く思っており、アドバイスをしようとか、有益なことを言わなくちゃとか、変に力が入ることもなかった。そっか、大変だね、辛いね、くらいしか言葉を挟まず、静かに聞いていた。
大人になって、関係の深い人の話を聞く難しさに気付いた
ところが、大人になるにつれ、人の話、特に関係の深い人の話を聞くのは難しいと思うようになった。
仲の良い友人や恋人の話を聞くと、反発を感じてしまうことがある。もちろん直接口には出さないが、彼氏の愚痴ばかり言う友人に「そんなに嫌なら別れればよいのに」と思ってしまったり、残業が大変だとこぼす恋人に「自分で選んだ仕事なのに」「大変なのは自分だけではないのに」と感じてしまったり。
成長するにつれ、「嫌なことがあったら、文句ばかり言うのではなく、行動して環境を変えていくことが重要」とか、「自分で選んだ道を最善のものにすべく努力することが大切」とか、「自分にばかり目を向けず、周りの大変さにも気付くのが大人」とか、信念のようなものを持つようになったため、自分のものさしで周りの人の話の中身をはかってしまうようになったのだろう。
近しい人のことは好きだし、期待もしているし、幸せに過ごしてほしいと願うからこそ、色々と考えてしまう。
反発を正面からぶつけることはなくても、「私も」と共感するような言い方をしつつ自分の話をしてしまったり、「でも」と相手もわかってはいる正論をちょっぴり主張してしまったりして、気まずくなることがあった。
聞き上手になりたいと読んだ2冊
そこで、聞き上手になるために参考になる本はないかと探し、読んだのがこの2冊である。
『プロカウンセラーの聞く技術』(東山紘久 著)
『プロカウンセラーの共感の技術』(杉原保史 著)
結論から言えば、非常に参考になった。読んで良かったと心から思える本だった。
「相手の気持ちになって、しかも相手と自分を混同しない」「他者の話に反発を覚えることがあるのは自然なことで、その感情をありのままに受け入れ、置いておくのが重要」といった指摘は、とても新鮮で、印象的だった。
私は相手に寄り添おうとするあまり、相手の愚痴の対象を一緒になって憎んでしまうなど、相手と自分を混同していたのだろう。また、反発を覚えること自体が悪いと感じて罪悪感を抱いたり、横に置いておけず相手に滲み出してしまったりしていた。
共感とは相手と全く同じ気持ちになることではなく、相手と自身の相互作用なのだということを忘れず、素直に、丁寧に、他の人の話に耳を傾けるようにしたいと思う。