スローシャッター : 実直に生きる田所敦嗣と即興に生きる永田ジョージのゼロ地点
旅先でトラブルに遭ったことは、ありますか。
僕は、多々あります。
「可愛い子には旅をさせよ」
このことわざが言わんとするのは、日常を飛び出し予測できないトラブルに対峙し、脳みそと心をフル回転して乗り越えることで、生き抜く力がレベルアップするということである。知らんけど。
僕たちは、平穏な旅じゃ物足りない。
あ、自己紹介が遅れました。わたくし、ピアニストの永田ジョージです。僕の主な仕事はピアノ演奏、子育て、レコーディング、そしてたまに作曲です。
突然の連絡、ふたたび
話は昨年の12月に遡る。
「永田大先生」
突然、フェイスブック経由で連絡が来た。
僕がマイクロ投資している気鋭の出版社「ひろのぶと株式会社」の関西人社長からだ。
突然、と書いたものの、そもそも連絡とラブストーリーは突然に来るものだ。「今から連絡していいですか?」と連絡してから連絡する人はいないし、その連絡だって突然だろう。
はてさて、なんの先生でもない僕が人生の大先輩に「大先生」と呼ばれるときは、なんらかの無理を通すお願いに違いない。
ひろのぶと株式会社から出版された小説「全恋」こと「全部を賭けない恋がはじまれば」のPVに続き、僕の曲を何かに使いたいという要望でしょうか。望むところです、謹んでお受けしましょう。
予想を越えすぎて時空が歪んだ。僕が以前ピアノで弾いた曲をPVに既に使ったと。無理くりを通すのかと思ったら、くりがいつの間にかマロングラッセになって今夜出荷されるという。
僕が気鋭の紀行本作家・田所敦嗣さんだったら「いいかげんにしてほしい」と静かに突っ込むところだ。
「曲の無断使用にまさかの事後承諾!
うちも商売なんで!5000万ベトナムドン!
振込!ありがとうございます!」
「最高裁まで行く」
「これたら来い」
ちなみに「うちも商売なんで」は僕の言葉ではなく、その社長が呟いてた便利な言葉だ。
ブーメラン
紀行曲の誕生
更に半年前に遡る。
玉石混交な文が投稿されるNoteで、いい塩梅のクスリとホロリを混ぜ合わせた紀行文を定期的に投稿していた田所敦嗣さん。
しかめっ面のサムネ画像からは想像しづらい、実直さと誠実さが感じられる彼の文章が好きで、世界の果てで起こったドラマを「読む旅」として楽しんでいた。
サントリーニの青い屋根や、アンテロープキャニオンの光の洞窟、ウユニ塩湖の鏡面ジャンプなどの「映え」は一切出てこない一方で、旅先で過ごす非日常的な日常と、知らない人や土地が身近になっていく様子がユーモアを交えて綴られている。
旅好きな人にもそうでもない人にも、読んだらほぼ確実に刺さる珠玉のエッセイ集。それが、ひろのぶと株式会社から書籍化されると知り、旅のインスピレーションで即興演奏をTwitterに上げた。「ありがとう」と「おめでとう」の気持ちを込めて。
旅って、ドキドキする。飛行機は飛ぶのか。荷物は出てくるのか。約束の相手に会えるのか。電車に乗れるのか。スマホやパスポートを旅先で失くさないか。
僕の場合は家を時間通りに出ることからドキドキは始まる。
時間通りに出られたことは一度もない。
昨年末の熊本出張も、最寄りのバス停に間に合わなさそうで最短距離で行くためにスーツケースをフェンスの向こうに投げ、ハードルさながら飛び越えて、隣の家の敷地を通らせてもらった。
「あら永田さ…」
ピョーン
「すみません!バスの時間ギリギリで!」
「あーはい、いってらっしゃ…」
女子高生がパンを口にくわえて走る勢いで家から出るので、空港に時間通りに着くことが僕にとっては毎回奇跡なのだ。
100万分の1の確率で時間通りに出たとしても、それはすなわち何か大切なものを忘れていることを意味する。財布、携帯、楽譜、ワイヤレスイヤホン、コンタクトレンズ、鍵、靴下、革靴、ノートPC、そして充電器。
井上陽水「探しものはなんですか?」
僕「全部です、大切なものを、毎日探しています」
世の中の親たち「で、どこに忘れてきたの?」
僕「それがわかったら忘れてないよ、気付かないから忘れてるんだよ」
脱線した。
バスに乗らねば。ご近所さんの裏庭を通ったおかげで、ぎりぎりバス停に着き、定刻に乗れた。
そして駅に着くと安心してついスタバでコーヒーを買い、トイレにも寄るので発車ギリギリになる。羽田に着くと安心してメルセデス・ベンツカフェのピアノを弾いてるとセキュリティが激混みで離陸20分前に滑り込む。ゲート近くになると安心して「ねんりん堂」のバウムクーヘンを買っているところにキレ気味に名前を叫びながらグランドスタッフが小走りにやってくる。
いつもこれの繰り返しだ。
都度、安心しすぎではないか。
ラッセンした。ここでやけに青い海面とやたら美しいイルカの絵を想像して和んでほしい。
とにもかくにも、大なり小なり旅にはトラブルがつきものだ。行く先々で起こるドラマは、観光地でウキウキと撮ってみても全然バエなかった風景写真よりも、はるかに鮮明に記憶に残る。
インドネシアで飛行機に乗ろうと思ったら、グーグルカレンダーが時差で2時間ずれていて乗れなかったこと。
「なんとかならない?」と言ったらスタッフが「お前ミュージシャンなのか、かっこいいな。30分後のに乗れるから急いで行きな!あ、みんなこの人有名らしいから集まって!」と有名でもなんでもない僕と写真を撮ってくれたこと。
セキュリティを越え土産屋で乾燥デーツを物色していたら思ったよりゲートが500メートルも遠く、また飛行機に乗り遅れそうになったこと。
毎度そんな珍道中を終えて、羽田に降り立ち、電車を乗り継ぎ、日比谷線を降りて、ちよだ鮨で600円の寿司を買い、本願寺の横道をスーツケースをガラガラ引っ張って歩くときの、ささやかな達成感といくらかの寂寥感。
コロナですっかり旅をすることが減ってしまったが、そんなことを思い出しながら弾いた、僕なりの紀行曲だ。
グリッチ、ごちそうさまです
そんなイメージソングをTwitterに上げたものの、なぜかグリッチしていた。
肝心な紀行曲も、なぜかペキパキとしたノイズが載っていた。
その不完全さが、終わった瞬間から薄れ行く旅の記憶を象徴しているかのようだったのでそのままにしていたものの、もし「ジョージ大先生、あの曲めっちゃいいですねぜひPVに使わせて下さい、楽曲使用料は50万ほどで」と依頼がきたら、最高峰のスタインウェイとめっちゃ高いコンデンサーマイクで、最高品質の音源を提供しようと思っていた。
その見通しは、ひろのぶとを創業するずっと前に電通で幾多のCMを制作してきた田中泰延氏(別名・地球始皇帝)に打ち砕かれた、もちろん事後承諾で。
まったく正しい。もし事前に聞かれてたら僕はカーネギーホールを押さえ、タワマンが買えるお値段もするベーゼンドルファー・インぺリアルを借りて、マイケルジャクソンを録ったという伝説的エンジニアにお願いして録音するつもりだった。
ところが、なんということでしょう。
完成したPVと合わさった僕の曲は、グリッチがシャッター音にも聞こえる。
劇的ビフォアアフターか。
狭小住宅の構造を逆手にとった匠が、テーブルにもなる収納家具を作って驚かすやつか。所ジョージ&江口ともみ、顔ワイプで唸るレベルや。
そんなやり取りを経て(経るまでもなく)、僕の曲は動画に載ってリリースされた。
そして、次の日には田所敦嗣さんの処女作「スローシャッタ―」が発売され、あっという間に大手書店でもトップセールスの本となった。
旅する人生と、人生という旅
もう少しだけ、昔話をさせて下さい。
更に2年半ほど、さかのぼります。
田所さんが僕の音楽をじっくりと聴いてくれたのは、コロナ禍1年目の5月。CDをWebshopで注文してくれて、こんな感想を書いてくれていた。
ジャズという即興性の高い音楽は、音を出したが最後あっという間に消えてしまい、二度と再現できない。このアルバムは、最高峰のスタインウェイを誇る「神楽坂Glee」という会場でのライブを収録したものであり、その場に集った50名弱のお客様のエネルギーが声と拍手で記録されている。
とはいえ、それも結局はデジタルデータだ。写真、記憶、デッカード、ブレードランナー。ライブ会場に居た人にだけ、その興奮が記憶されている。音も、エネルギーも、時空は越えられない。
コロナ禍ではライブも制限され、クラスターのやり玉にあげられ、お客様は鬱々とマスクをしながらライブを聴き、歓声を上げようものなら鬼のように吊るし上げられていた頃。
お客様もミュージシャンも、ぜんぜん元気がなかった頃にTwitterで田所さんが呟いた感想に、涙すら出てきそうになった。
その年の6月、「旅する音楽」をテーマにGleeでレコーディングした。北米から南米から北欧から湘南まで様々な曲を収録し、タイトルは"Crossborder"すなわち「越境」とした。
何年か前にサンディエゴで偶然撮った、悠々と飛んでいたカモメ。その写真をジャケットにしてCDとしてリリースし、心の旅仲間・田所さんに送った。
内面には"Life is a journey. Keep travelling." とメッセージを書いた。
僕も旅がしたいし、きっと彼も旅をしたいだろう。コロナ禍がなんだ。たとえ飛行機に乗らなくても、国境を越えなくても、人生そのものは旅だ。
ここを耐えて生き続けることが、僕らの旅だ。
言葉は時空を超える
たかだか一本のNoteで、話が何度、そして何年さかのぼったのでしょうか。
クリストファーノーランか。テネットか。いえメメントです。
でももう一度だけ、もう一度だけ時を遡らせてください。
私にあと1分間を下さい、鈴木健二。
とある古いブログのことを、つい最近読んだ田所さんのインタビュー記事で知りました。
海外のどこかで撮られた写真と、短い文章だけのブログ。ニックネームは "Eternaljourney"。2017年に更新が止まっているが、これは当時は匿名でしたためていた田所さんのブログらしい。
内容はさておき、この短い紹介文に目を見張った。
旅することは 生きること。
音は時空を超えられないが、
言葉は時空を超えていた。
メメントのように、様々な記憶が逆順に再生されていく。
彼と僕は出会う前から旅を通じてリンクしていて、デジタルデータとして記録された僕のピアノは、彼の心に届いていた。
渋谷での出会い、築地との別れ
Crossborderが田所さんの手元に届いた1か月後、彼が僕のライブに来てくれた。デジタルな世界だけでなく、アナログに実在する人物として僕も彼を認識した。笑わない芸風も期待通りだった。笑え田所。
家が彼の職場に近かったので、ちょくちょくランチも一緒に食べた。
「築地の海産物商社に勤めているのにトゥットベーネを知らないなんてもぐりだ」と言いたいのを、僕は我慢した。旅するジュエリーデザイナーの倉岡麻美子氏は、我慢を知らない。ごめん田所。
その後、僕は築地から引っ越したので会う機会も減ったけど、即興曲に"Travelogue" 〜旅の記録〜とタイトルを付けて、普段のライブでも演奏するようになった。
演奏ついでに曲の生い立ちと「スローシャッタ―」の話をすると、お客様が本を買ってくれるようになった。
時は経ち、2023年4月に重版を重ねた「スローシャッタ―」の帯が新しくなる。あらたに糸井重里さん、田中貴幸さん、スピードワゴン小沢さんが推薦のコメントをしている。
更に、ひろのぶと株式会社のオンラインストアで、CD"Crossborder"も本と共にセットで販売して下さることになった。
そこで購入すると、"Travelogue"の録りおろし音源のデジタルデータもおまけについてくるらしい。勿論、録音は神楽坂Gleeの、極上のスタインウェイだ。
1925年にニューヨークで産まれたピアノの音が、曲が、時空を超えて貴方のもとに届く。
是非、本と共に「聴く旅」として堪能してほしい。
PVでは途中までしか聴けないTravelogue、全編はこちらにて。
ご自身で弾きたい方は、この譜面でどうぞ。
自分では弾けないのでライブでこの曲を聴きたいというそこの貴方、いつかライブにいらして下さい。全国の田所さん、築地の田所さんにも是非生で聴いてほしい。きっと泣く。
うちも商売なんで
って、便利な言葉だけど、こと音楽に関しては商売にしたいと少しも思っていない。自分の生業ではあるけれど、そこで儲けようとか邪な気持ちが入るとピアノに向かうモチベーションが下がってしまう。
一方、自分のアンテナが反応したものに対しては、音で共感を示していきたいと思う。それが映画であれ、小説であれ、人であれ。
そして書いた曲、弾いた音楽が、僕の知らないところで誰かに聴いてもらえたら、嬉しいです。旅するピアノ。
今日のMCは、ピアノ・永田ジョージでした。
また、旅先で会いましょう。
Life is a journey.
Keep Travelling.