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猫なで声のガバナンス

あなたは猫なで声を出したことがあるだろうか?

読んで字の如く、猫をなでるときに出すような声という意味だが、私はこれまでの人生でほとんど出したことが無いように思う。

猫に触れ合うことの少ない人生だったからだろうか。

しかし、それ以上の理由がある気がする。

そもそも、人の話し方を「猫なで声」という比喩表現で形容する際、そこには、人間に対して話しているにもかかわらず、猫をなでながら話すときのような声で話している、ということを表したいという意図があるはずである。

一般論として、猫というのは、人間よりも低い立場にある動物とみなされていると思う。

あくまでも愛玩するためのペットの一種で、人間が管理している動物だという認識があるだろう(野良猫も去勢されまくっている)。

つまり、猫なで声というのは、基本的に上の立場にいるものが下のものに対して発する声色だということができる。

男女平等、多様性、セクハラ・パワハラ即退場の新自由主義の現代においては、これは少々、物議を醸すコミュニケーション方法になってしまうのではないだろうか。

その本質に相手を見下しているという構造を宿している猫なで声は、コンプライアンスの厳しい現代において、相手がそれを求めているということを確信できない限り、軽々しく出せない声になってしまっているのではないだろうか。

であるならば、私がこれまでそのような声を出したことがなかったのも頷ける。

「あなたは猫なで声で話しかけられたいですか?」

などというわけのわからない質問を事前に行ってからでないと、倫理にもとらない方法で出すことができない声色なのだから、出したことがないという方がむしろ自然だ。

もちろん、猫なで声は、必ずしも相手を馬鹿にするためだけに発せられるわけではないだろう。

そこには愛着や親切心などが含まれていることもあるはずだ。

しかしながら、それを許してはコーポレート・ガバナンスの名がすたる。

猫なで声は、本当に親密で、お互いのことを分かりあった相手との間にしか発せられるべきではないものになった。

現代は、自分がどんな声色で相手に話しかけているのかをも、気をつけなければいけない時代だ。

ヘタをすると、本物の猫に対してさえもそのように話すべきではないということだってあり得る時代なのだ。

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Takumiのessay
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