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耐え忍ぶとは
石の上にも3年。頑張れば神様は必ず見ている、だから頑張ろう。
本当?
根性論を良しとした教育に洗脳され、疑うことをなくし、自分で思考することを奪う先生と、奪われていることに自覚のない学生。
何が正しくて当たり前なのか、多数派は本当に多数派なのか。
やらされていることは、努力ではない。辛いことは逃げてもいい。
そんなことを学べた中学時代の話です。
私は、中学に入り野球部に入部した。少年野球を経験していたわけではない。ただ、テレビで見たプロ野球中継を見て野球をやってみたかったのだ。
野球部は一番人気で、90名以上の部員を有していた。レギュラーになれるのは9名のみ。大半が、試合には出れない。
私の中学は、大学までの附属校のため、部活の指導は中学校OBの大学生が仕切っていた。大学生からしたら、大学で部活をやるほどの熱意はないが、サークルに入る気にもならない中で、中学野球のコーチとして、90名以上を指導してきたと言えば、就職活動でのアピールにもなる美味しい活動だったのだろう。
大学生コーチに、90名以上の部員。これだけ聞くと強豪校である。しかし、毎週末行われる練習試合や公式戦含め、勝ったことがなかった。いや、正確にいうと私は試合に出ていないので、勝ったのをみたことがなかった。
そんな弱小野球部の練習は、厳しいものであった。授業が終わると、急いで着替えてグラントまで走っていかないといけない。歩いたのがバレると罰走であった。ウォーミングアップが終わると、キャッチボールを全員で行う。その後は、レギュラーと一部の部員(いわゆる1軍)だけがノックを受けたりバッティング練習を行う。その他の部員は、ボール拾いかランニングまたは声出しである。このメニューが仮入部から、引退するまで続いた。
そもそも、どうやってレギュラーを決めているのか。それは、仮入部時のキャッチボールをみて決めていたようだ。肩が強いか、ちゃんとボールを取れるかを見ていたらしい。そのため、ある程度野球経験のある部員以外はそもそもスタートラインにすら立っておらず、元々上手い子供だけが練習をして上手くなっていく仕組みであった。
指導する側から見れば理にかなった指導である。ただ、野球をしたかった私には辛い現実であった。試合には出れなくともバッティング練習やノックを受けることくらいはできると思っていたが、そんなこともできなかった。上手くなる機会がないので、当然レギュラーにもなれない。
また、不思議なことにレギュラーも側から見て上手くなっていく気配がない。むしろ、下手になっている気すらする。体が大きく、投げる球も早く、バッティング練習では、誰よりも飛ばしていた同級生は、ずっとレギュラーであったが、マウンドから投げる球は山なりになり、ストライクが入らない。バッティングも当てるだけになり、全くヒットが生まれなくなった。みんなが下手になるのだから、当然試合には勝てない。
また、練習でミスしたり試合に負けると罰走だった。しかも、罰走は連帯責任で試合に出ていないものも走らなければならなかった。
そんなわけで野球をやりたくて野球部に入部したのに、野球はできずただただ、走らされた3年間。なぜ、途中で辞めなかったのか。それは、一度入部して辞めるのが、格好悪いと思ったからである。途中で退部する人間も少なく、途中で辞めると辛いから逃げ出したと周囲から思われてしまう。それが、当時の私には格好悪くて言い出せなかった。
また、心のどこかでいつか練習に参加して、試合に出て活躍できると思っていたのだろう。こんなに辛くても頑張っているのだから、報われるはずだ。そう思って頑張っていた。
しかし、どれだけ耐えたところで現実は変わらない。むしろ、わずかに残っていた希望の火が、自分で辞める決意を止めてしまい、練習にいくことがストレスになっていた。週末の練習が嫌で、とにかく雨が降ることを願っていた。
何か変わることもなく、3年最後の大会もコールド負けであった。なんの感情も湧き上がることなく部活が終了した。
本当に何もなかった。
部活動の友情は一生ものともいうが、中学卒業と同時に全く連絡を取っていない。コーチに来ていた大学生も当然である。風の噂で、当時の監督が米寿になりお祝いをすると聞いたが、私からすれば顔も思い出せないし、なんの恩もなく、赤の他人に近い。
3年間耐えたことで、メンタルが強くなった?
いや、そんなことはない。3年間耐えたことは、自信にも繋がらずむしろ、なぜもっと早く辞めなかったんだという後悔しか生んでいない。思うに、耐えるというのは自分で目標を決めて、そこに突き進むために頑張ることを耐えるというのだと思う。誰かにやらされ、耐えたところで絶対にゴールにつながらないのは努力でもなんでもなく、思考停止に陥っているだけである。
当時を振り返っても、別の部活に入部し、放課後に野球をやる選択肢も十分にあったはずである。また、途中でやめて他の部活動に転籍することも可能であった。
けど、できなかった。というか考えられなかった。自分で入部し、周囲も辞めない中、退部という選択肢をとることで、周囲から逃げ出したと言われることを恐れてしまった。そんなことをいう人はいなかったというのに。
勝手に、周囲の評価を気にしてしまったことで、おかしな環境を受け入れてしまった。
人には輝ける場所がある。最初に選んだ道が正解であるとは限らない。自分のやりたいと願う声にしっかり耳を傾け、やりたくないことは辞めてもいい。限られた人生で周囲の評価を気にする時間はない。自分のやりたいことをやり続けよう。そして、それを応援してくれる人を見つけよう。