高校では遅すぎる、本物志向のキャリア教育とは?
近年の高校では、「課題解決型授業」が目立ちます。「探求型」や「課題解決型」といったワードで授業を組み立てていますが、一体どんな人材を育てようとしているのか。現在の「教育」について考察してみます。
「課題解決」よりも大切だった「問題設定」
探求と課題解決は全く異なる性質のワードですが、一貫して地域の「課題」を高校生が探して解決しようという、なんとも明るい地域貢献です。とは言いながらも、いきなり高校生に地域の課題を探求して、解決してみようといっても、「本当にできるのか?」と思いますよね。地域の何が課題なのかわからない先生も多く、結局わからないまま進むことが多く、その結果、調べ学習程度でお茶を濁すことも多いのです。
そこで、「課題」を設定する前に、「問題」を整理することをお勧めします。この「問題」こそがおそらく学校で取り上げる「課題」にすり替わっている気がしています。つまり、「課題解決」の前に、正しい「問題設定」が必要なのです。
アインシュタイン曰く、「私は地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、59分を問題の定義に使い、1分を解決策の策定に使うだろう」。“If I were given one hour to save the planet, I would spend 59 minutes defining the problem and one minute resolving it.”
つまり、様々な「問題」を正しく抽出しグルーピングなどして整理できれば、「解決」することに多くの時間は必要ないということなのです。問題を設定することがいかに重要かお分かりになると思います。
問題設定の「眼」は幼少期から身に付けろ!
小学校に入ると皆と同じ教育を受けます。勉強ができるからと言って上の学年に特進することは叶いません。日本では、「教育指導要領」に基づいた教育システムを児童・生徒に与えるのが「学校」なのです。そして、「部活動」に入ることも強要され、同じ生活を過ごし、勉強、テスト、部活、受験を経て高校、大学へと進んでいきます。本人の意思でなくてもほとんどの学校や家庭では、皆と同じこの道へ進みます(ここで「NOと言えない日本人」がつくられています(笑))。
他人は違って当たり前。人は見た目も考え方も違います。多様な人がいて違った意見を持つ。だからこそ民主主義なのです。しかし、現在の学校では、平等が重要視されます。個々の差があっても、誰にでも機会(チャンス)を与えられるのが「平等」であって、等しく配分することとは異なります(これでは社会主義と同じになっちゃいます)。つまり、勉強したい子どもにはどんどん機会を与えてどんどん進学させることが平等なのです。
日本の学校では、「平等」の機会のために、先生も生徒もやるべきことが多すぎて、大切なことを置き去りにしてきました。
それは、「多様性の認知」です。人は違う、人とは違うことの認識と、多様な人が共生していることへの理解が養われないまま高校生になっているのが今の世の中です。残念なことに、それは幼少期の頃から始まっています。
幼稚園や保育園で初めて親以外の人と接します。保育士さんです。理解に苦しみ、はじめは大泣きする子がほとんどですが、時間が経てば、他人と認識されて、一緒に生活することへの理解を示します。このように、本来、幼少期の頃から多様な人との出会いが大切なのです。年齢、性別、人種、国籍、性格、思想、哲学、情緒など。様々な違いを認識し認め合うことで、自分自身とその周りの環境の違いが理解できるのです。この繰り返しで、人は豊かな人格をつくっていきます。
ところが現代では、自分以外との関係は、親兄弟、親戚、友達、先生といったところでしょうか。これでは、単調化によってディスカッションや思いやりが不足します。単調な食事ばかりでは身体を壊しかねません。
多様な人との関係が豊かな子どもは、自我の芽生えとともに子どもというより一個人として成長します。周囲の大人も「子ども」ではなく、個人として接することでより豊かな人間に育っていきます。自己肯定感を高めることで成長力が豊かになるのです。そうなれば、身の周りの様々な事柄に目が向くようになり、ゲーム画面しか見えていない子どもに比べてとても広い視野を持つようになります。
このように、幼少期から多様性を認識させる機会を与えることが、問題を発見する「眼」を育てることになります。そして、「コミュニケーション能力」はこの時期に付くといっても過言ではないでしょう。
優れたキャリア人材は個性的なパーソナルから生まれる
子どもの成長時期に大人に混じって生活してみましょう。私自身も子どもの時に、近所の大人にいろんなことを教えてもらいました。その交流から社会と自分とのつながりを知ることができました。
大人とのつながりの中でぜひ行ってほしいこと、それは、子どもを「子ども」として認知するのではなくパーソナル、つまり「人」として認めてほしい。子どもだから出来ない、子どもは知らない、子どもはやっちゃいけないなどは禁句なのです。せっかく興味や好奇心が湧いた心に蓋をしてしまいます。子どもができないのは「知らない」からなのです。つまり、「教える/伝える」ことが重要であって、しっかり教えなければいつまでも「知らない」ままになります。危ないからと言って、包丁が使えない、マッチが擦れない子どもが飽和してしまいます。今の大人も知らないまま育ったことで、簡単に人を傷つけたり、他者への道徳心が無かったりします。本当に危ないことは、「教える/伝える」技術を用いなかったことなのです。
自然体験活動を行った子どもたちは、学力が伸びるだけでなく道徳心などが向上することはすでに承知の事実です。自分とは違う他者や自然環境を理解することは人間が成長する過程において必要なことであり、不思議を理解するための発想力や構想力、情緒などが今求められるキャリア人材の根源なのです。
「デザイン思考」などで問題を解決する手法があります。物事を観察し解決するための「発想力」がなければ、デザイン力は生まれないでしょう。子どものころに様々な体験で他者への理解力を培うことが、これからのキャリア人材を育てるもっとの大きなポイントなのです。
以上
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