11 強く、しなやかに
強くなりたい。そう思ったことはあるだろうか。
大変に漠然とした願いであるが、まあ分からなくもない願いであろう。重い物を運べるとか、筋肉をつけるだとかの肉体的強さ。折れない心、困難に打ち勝つ気力といった精神的な強さ。私は欲張りなのでどちらも欲しいと常々考えている。どちらも一朝一夕で手に入らないから悩み苦しむ人が多いのだろう。つい先日、特に心の強さについて考える機会を持てたので、備忘録としてここに残しておきたい。
大学時代の友人が開く個展に足を運んだ。この備忘録において、以後友人をAと呼ぶことにする。
Aはアフリカに魅せられ、アフリカを人生の師匠とする友人で、自身の体験や想いを絵や文章として昇華させていた。友人を知る人々をはじめ、多くの人が訪れていたように思う。
私はアフリカを知らない。中学校や高等学校で聞いたり、本で見たりした範囲の知識しか持ち合わせていない。金属が採れて、暑くて、砂漠があって、バオバブの木があって。この程度だ。
Aは、同じように人生においてアフリカと接点を持ち心を動かされたり救われたりした過去を持つ人たちと共に活動をしている。そんなメンバーの自己紹介文を読んでいた時に感じたことが、今回のメインテーマである心の強さである。メンバーたちは境遇は違えど、皆が何か大きな困難にぶつかった経験があった。Aについても、詳細に把握していないが悩みを抱えた時期があったことは知っている。そんなメンバーたちが、自身が救われた経験をもとに、感じたものや幸福を述べ伝えようとしているのだ。そこに人としての強さを感じる。
Aをはじめとしたメンバーに限らず、私が出会う中で心が強いなと思う人は、何か大きな困難や苦難、逆境を経験しかつ乗り越えた人である。これは十分条件であり、必要条件ではない。例えば、過去に自分が苦しめられたことを次の世代の人たちにやり返すような人もいて、このような人たちを強い人とは思えないからだ。苦難を乗り越えてはいるが、自身の代でその苦しみの歴史に終止符を打てていない。
心が強いなと思う人に出会うたび、この境地に至るまでに一体どれほどの苦難や悲しみにさらされ向き合い続けていたのだろうかと、想像を禁じ得ない。人には誰しも事情があって、人には言えない過去も持ち合わせている場合もあるだろう。そんな仄暗い過去を見せず、流したであろう涙も隠し、今関わる人々に愛を与える人はなんと強いのだろうか。とても敵わない。私もそんな心の強さを持つ人になれるだろうか。どんな人生を送れば、他者に愛を与えられる人になれるだろうか。自分への問いかけは、とどまるところを知らない。
Aの個展は愛で溢れていた。これまでに関わってきた人々、アフリカという場所、天候をはじめとした自然、そして世界。あらゆる対象に向けた愛を感じた。
アフリカという場所が持つ大きな懐、大自然の厳しさ。その一部を克明に切り取り、Aの持つ暖かな言葉たちで彩られたたくさんのメッセージは、私に愛と強さを訴えかけた。
強くしなやかに、愛を持って生きていこう。
誰も明日のことは知らない。そんな世界で。