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「平和ぼけ」ではなく、「平和認知症」
前回、「平和認知症」という、おそらく相当な違和感を持たれたであろう標題にもかかわらず、多くの方々からスキをいただき、とても嬉しく、またありがたいことと感謝しております。
私は記事を一人でも多くの人に読んでもらいたいと、あえて「はてな?」と思われるようなキャッチコピーを標題に掲げたのですが、これほど多くの方々から共感をいただけるとは、正直なところ、思っていませんでした。
今、日本人に対して批判的に使われている「平和ぼけ」という言葉は、単に平和を当たり前と思う意識を超えて、戦争に対する危機意識の欠如を嘆き、周辺国への敵がい心を煽り、軍備増強を正当化する根拠にされていると思います。
これまで、日本人が平和を当たり前と思える社会を築くことができたのは、日本人が平和ぼけして、何も考えずに生きてきたからではなく、先の戦争の苦い経験を経て、平和憲法を受け入れ、それを78年間守り続け、ことあるごとに反戦平和を訴えてきた、先人たちの血の滲むような努力の賜物なのです。
今、平和がいかに脆いものかを、身をもって体験した世代が減っていくなかで、「平和ぼけ」という、戦争に繋がる危険な言葉に惑わされることなく、将来にわたって平和を守り続けていくためには、これまで以上に、私たち一人ひとりの不断の努力が必要になります。
そこで、私は「平和ぼけ」に代わる、新しい前向きな言葉が必要だと考え、平和の尊さを忘れないという自戒の意味を込めて、「平和認知症」という言葉を提案したのでした。
新しい言葉には違和感がつきものですが、この言葉が平和を守る合言葉として、これから少しでも多くの人に拡がっていくことを願っています。
力不足は否めませんが、私は平和を守るために、これからも私なりの努力を続けていくつもりです。