1985年10月16日の ”アレ”
21年ぶりのアレがきっかけで
1985年4月17日、初めてのプロ野球観戦
四国の田舎から大阪に出てきて2年。特にプロ野球が好きというわけでもなく、もちろん贔屓のチームもありません。
この日は大阪の友人に誘われ、初めてプロ野球の試合を見に行った。
甲子園球場は高校野球の観戦で何度か訪れたことがありますが、プロ野球は初めての経験です。
4月17日の甲子園球場は肌寒い日でしたが、今日は「阪神対巨人」の伝統の一戦。球場は異様なほどに盛り上がり、試合開始前から熱気に包まれていました。
7回表まで3対1で阪神がリードされていたが、その裏の攻撃の時に衝撃的な瞬間が訪れた。
3番・バース、4番・掛布、5番・岡田の3連続ホームランを目の前で見た!
友人や知らないオヤジたちと一緒に盛り上がったことは、38年経った今でも鮮明に記憶している。
1985年10月16日、リーグ優勝の瞬間
この時点で阪神の優勝マジックは”1”
勝利または引き分けで21年ぶりの優勝が決まる瞬間でした。
この試合は神宮球場でヤクルトとの対戦で、現地へ行くことはできなかったので、友人たちと一緒にテレビで観戦をしていた。
地元の放送局は、早朝から大阪・神戸・尼崎などの商店街の賑わいを生中継し、一日中その話題で盛り上がっていました。
先発投手は、阪神がゲイル、ヤクルトが荒木大輔、午後6時半に試合が開始された。
試合は、9回終了時点で5対5の同点で、緊迫した試合展開となった。
当時のルールでは、延長戦になった場合3時間20分を経過した時点で、新しいイニングに突入しないことになっていました。そのため10回裏までで試合終了となることが決まりました。
10回裏、阪神は抑えの中西投手が力強い投球を見せ、最終打者をピッチャーゴロに打ち取り3アウトとなった。
阪神ターガース、21年ぶりのリーグ優勝を果たした瞬間です。
吉田監督が宙に舞った瞬間、テレビ観戦していた私たちは感動で涙を流しました。
1985年11月2日、球団史上初
日本シリーズの相手はパ・リーグ覇者の西武ライオンズ。
ここまでのシリーズは3勝2敗で、優勝まであと1勝、阪神は王手をかけていました。
この日も地元の放送局は朝からハイテンションで、商店街や阪神百貨店の賑わいを生中継していた。
先発投手は阪神がゲイル、西武が高橋で試合が始まりました。
阪神は長崎の満塁ホームランなどで終始安定して得点を積み重ね、試合は完全に阪神ペースで試合が進行していった。
試合は9回裏、9対3で阪神がリード。先発ゲイルが最後のバッターを抑え、試合が終了しました。
球団史上初の日本一を達成し、吉田監督がこの日も宙に舞った。
プロ野球の面白さ
この年は始めてプロ野球を熱狂的に観戦しました。ビールを片手に、テレビの前で試合を楽しむオヤジたちの気持ちが少し理解できたように思えた。
試合の迫力や応援の熱さ、球場に足を運ぶと知らない人と肩を組み、六甲おろしを熱唱する。この盛り上がりは、まさにバブル絶頂期ならではのものと言えるでしょう。
高校野球とはまた違った楽しみを見つけた充実した一年でした。
2023年のアレ
今年の阪神は「A・R・E」をスローガンに掲げ、岡田監督の指揮のもと、18年ぶりのリーグ優勝を達成しました。さらにクライマックスシリーズも制し、日本シリーズに進出が決まりました。対戦相手はオリックス・バファローズで、関西ダービーとして注目されています。
日本シリーズは10月28日から開幕予定で、地元ではすでに盛り上がっています。
今年は私もビールを片手に、テレビの前で試合を楽しむことでしょう。