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【カッコいい】にこだわるのは

「カッコよくなりたい。」

このセリフを、何度、口に出してきただろうか。

「カッコいい人は、そもそもそんな事考えてないよ。」

何度もお酒の席でそう返されてきたし、自分でも周りに合わせてネタのように話してきたわけだが、本当は、自分の中にしっかりとした理想がある。
その理想こそが、私の行動のコンパスであり、自分を律して前に進むエネルギーとなり、自己嫌悪に陥った時でも、しぶとく燻り、タネ火を燃やし続けてくれる。

外見がカッコよくなりたい。それは、もちろんYESだ。
しばらく無頓着だった怠惰な体型を戻すためにダイエットもはじめた。健康的な体型になりたい。
中身がカッコよくなりたい。それもYESだ。
人間的にカッコよくなりたい。いつだって、追い求めているのはこっちのほう。


私がこだわる【カッコいい】は、性別に依存しないもので、人間的な魅力のひとつといえばいいだろうか。ひとつの言葉で表現することが困難に感じる。
所作がスマートで、レディーファーストで、大人の対応ができて、余裕がある。そういう、いわゆるモテる要素に代表されるようなものではなくて、もっと泥臭く、人間味があって、傷だらけのものだ。

傷だらけであっても、前を向いていたいと思う。
周りに馬鹿にされても、ひたむきに真っ直ぐ伝えていきたいと思う。
自分の大切な人たちを笑わせていたいと思う。
信頼されるように、安心を積み重ねていきたいと思う。

「愚直」「優しい」「誠実」「根性がある」
もしかしたら、よくある言葉で言い表せると思うかもしれない。
けど、決定的に違うのだ。辞書に昔から載っているような、ひとつの無機質な言葉ではなく、人によってはカッコ悪いと感じるような、泥臭くて、人間味がプンプンして、血の通ったデコボコしたものが、私のいう【カッコいい】という言葉なのだ。


いつから【カッコいい】を目指したか遡ってみたら、小学校低学年にはその片鱗があったように思う。
私には、0歳から一緒の幼馴染がいて、とても田舎に住んでいたので、同じ地区に同学年の女の子は、私と幼馴染の2人しかいなかった。0歳から高校まで同じ学校で、中学1年生まではクラスも同じ。私の親がしていたピアノ教室に習いにきていて、中学の部活も同じ。まるでアニメの設定のようだ。
とても明るくて、優しくて、ずっと人気者な女の子だった。きっといつまでも自慢の幼馴染。幼い頃の私の特別は、多くが彼女から与えられた。彼女にしか呼ばせなかった呼び名だったり、遠回りして彼女の家まで送り迎えしたり、幼い頃の私は本当に彼女を中心に回っていた。そして、私は、ずっと彼女を守る【騎士】でありたかった。幼いとき特有の所有欲もあったのかもしれないが、思い返せば、自然とずっと、「守りたい。」「笑っていて欲しい。」そう思って子供時代を過ごした。

正直、今まで生きてきて、ずるいことも沢山したし、いろんな人の信頼を裏切るようなこともしたし、自暴自棄に暴れたり、不義理だったなと思うこともいっぱいある。
そんなことは当たり前で、隠すつもりもないし、偉ぶるつもりもない。
ずっと、自分が納得できるような意思を持っていたわけではないが、いろいろと経験した上で、やっぱり子供時代の【騎士】になりたいに立ち戻るのだ。

少し話が逸れるが、私だって、昔は世間一般のかっこいいを目指していた時期もあった。スマートに生きれるように、会社での立ち回りを考えたりしていた。必要な場では、きちんと立ち回れてきたのだが、自分がしている茶番に、すぐに白けてしまった。人から望まれている行動を、その場に合わせて、ただ望まれた通りにこなす、そんな自分に嫌気がさしていた。いや、むしろ嫌悪していた。


学生時代も色々あったが、社会人になって閉塞感が増した。
会社に入れば、若手に求められるイメージを演じた。同期といた時も、求められる役をかってでた。夫といた時は「○○の妻」「既婚者」という世間の目があった。夫が亡くなった後は「メンタルで休んだ人」「旦那に死なれた人」など腫れ物を見る目もあった。
たくさんの目が様々な勝手なイメージを押し付けてきて、自由になれなかった。何もそれは私だけではなくて、20代の多くの人が通る道みたいなものだと思っている。私も、人の目を気にして羽を伸ばせない息苦しさをずっと抱えていた。


転機になったのは、夫と死別した経験なのか、歳を重ねて30代になったからなのか、それとも新しい環境に身を置いたからなのか。

2年ほど前から、所謂「ビアンバー」なるところによく出入りをしている。私がよく行くお店は、セクシャルマイノリティの女性が多く集まる場所で、年齢層もバラバラで、仕事もバラバラ、共通事項は戸籍が女性ということだけ。周りの人に女性が好きとカミングアウトしている人もいれば、話していない人も多い。
2年前にきっかけがあり、ビアンバーに行くことになってから、主な呑み場を移した。そこでは、結婚していないことを探られることもなければ、彼氏の話も出ない。男性の存在がそもそも想定されていない。正直、とても居心地が良かった。
私は女性が好きなのかと聞かれたら、すぐに肯定する。男性は嫌いなのかと聞かれたら、それは否定する。そもそもが男女のカテゴリー自体が薄くて、好きであれば性別は問わないスタンスだが、男性と恋愛したくない理由は、男性の1番の座には夫がいるからかもしれない。今は、女性だけを求めている。

「カッコよくなりたい。」と堂々と口にすれば、小馬鹿にしたような目線を送ってくる人もいた。
見る人によっては私の【カッコいい】はデコボコで、泥臭いとマイナスの印象を感じるかもしれない。
いつも失敗ばかりに見えるかもしれない。
他人に利用されているように見えるかもしれない。
私のことがバカに見えるかもしれない。
けれど、それでいい。

「カッコよくなりたい。」
この言葉を言い換えるつもりはない。
【カッコいい】は前を向く自分自身の姿勢のあり方だ。自分で方向を決め、自分の力でコツコツ突き進む姿勢のあり方だ。他人の言葉や態度に反応するだけでは、カッコよくないのだ。

きっと、私はもうブレない。






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