あやみ@20代で自死遺族

28歳で夫が自死。その後、私自身が躁うつ病発症。 まる5年経ったいま、その時の記憶と今…

あやみ@20代で自死遺族

28歳で夫が自死。その後、私自身が躁うつ病発症。 まる5年経ったいま、その時の記憶と今の気持ちを記録していきます。苦しみだけではなく、今を大切に思う気持ちや希望も書いていきたい。 苦しみの淵にいた、あの時の私に宛てて。

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#000ある日、いきなり死にかけた

夫が亡くなったのは、2018年11月のことだった。享年28歳。 薄々は悪化していく異変に気づいていたものの、「私の気を引きたいだけ」と深く考えないようにしていたのは事実だった。 2018年の4月から夫は会社を休職した。通院を続けるものの、夫の精神状態がひどく乱れるようになり、私自身も精神的疲労でまいっていき、「このままだと共倒れする!」と焦った私が離婚を切り出した2日後、夫は自宅で首を吊り亡くなった。 そして、5年後の2023年9月の深夜。 私は、一人暮らしの4階の自室から

    • #013 エッセイを描くということ

      これを書くかどうか悩んだのですが、どうしても書き残したいと思ったのでここに書き残しておきたいと思います。 今回は、とても自己満足なものだと理解しているのですが、今の私自身を象徴するような考え方であると。つまりは、少し言葉汚く言えば、夫に自死された一人の妻が約6年後にどう感じながら、日々を生きているかということを描きたいと思います。 きっかけは、酔っ払ったある日にLINEを整理していたところから始まります。 断捨離は得意な方なので、既に機能していないグループを中心にサクサクと

      • #012 境界線

        「フェードアウトしていいんですよ。」 これは、私の最初の主治医の先生から言われて、それまでの行動が一変するきっかけになった一言です。 28歳だった当時。自他の境界線がひどく曖昧だった私は、他人の荷物を勝手に持って耐えることが普通になっていました。どうしてそういう思考になっていたのかは今ではわかりませんし、34歳になって少し若い子たちを見回してみると、同じような思考の子たちを複数人見かけるので、若いうちには珍しいことではないのかもしれないなと考えています。 当時、友人だと思

        • #011 今日は誕生日だね

          夫よ。今日は誕生日だね。 おめでとうなんて言えない。 あなたが私の隣から居なくなって6回目の誕生日。早かった。もう、一緒に居た期間よりも、隣にいない期間の方が長くなってしまった。 毎年仏花には、向日葵を基調としたアレンジメントを贈る。 仏壇とお骨は彼の実家にあるから、普段私の周りにあるのは、私が撮った写真と少しばかりの遺品、そして、私との想い出のものだけ。ダンボール一箱に納まってしまう。 結婚指輪も婚約指輪も、私の分も含めて義母に返してしまっている。色んな考えがあるけれど

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        #000ある日、いきなり死にかけた

          #010 海を感じる人

          「君やな。瀧やんところの子」 初めての異動当日。メンバー8人、係長1人編成の小さな係に異動して、今日は定時で上がれそうだなと胸を撫で下ろしていたところに、スッと現れて声をかけられた。 陽によく焼けた顔。ちょっと笑いながらかけられた声は気持ちいい響きだった。お互いの部署が離れてからも、ずっと一緒に飲みにいく隣の係のその人は、いつも飄々としていて、いつも穏やかに話をする。 異動が確定した日に、一つ目の職場でお世話になっていたおっちゃんが、同じ部署に知り合いがいるからと、私の目の前

          #009 コトバは沁み入るものだから

          このエッセイをここまで読んでくれている人たちは、どんな方達なんだろうと、今、書きながら考えています。 noteのおすすめでたまたま出てきましたか? それとも興味を持ってくれて、読み進めてくれているのでしょうか? 私と同じように、自死遺族の方が読んでくれることがあればと思いながら書いています。ここまで、ずっとつらい内容でしたね。 正直、初めてエッセイを書いてみて、とても難しいし、思い出を掘り起こすこと自体をつらく感じたり、体調を少し崩したり、コトバが出てこない日があったりしな

          #009 コトバは沁み入るものだから

          #008 音が消えた

          消防車とパトカーが私のマンションの前に停まっている。救急車のサイレン音が聞こえて、また前に停まる。 私の耳が、その時に音を捉えられなくなった。目の前の景色からの音がフッと消えた瞬間、直感的に夫は死んだのだろうと確信した。まだマンションまで辿り着かない、マンションの向かいの道路で、ひとりで確信してしまったのだ。 すぐにマンションに向かって、エントランスにいた警察官に声をかけた時に、上から義母の大きな叫び声が聞こえた。その後のことは覚えていない。覚えていないというよりは、血が泡

          #007 カフェ

          悪いことが起こったその日は胸騒ぎがした。そんな話を聞いたことがある人も多いと思う。本当だった。 あの日。夫の母、つまりは義母から電話が入っていたことから私の胸騒ぎが始まった。確かに胸騒ぎがする事柄なので当たり前だが、この頃は特に頻繁にやり取りをしていたので、特におかしいことではないのだが、異常なほどの焦りと胸騒ぎを感じて電話を掛け直し、要件を聞いた。 夫が昨日から実家に帰っておらず、今日も連絡がつかない。 少し日にちを戻す。 旅行から帰ってきたあの日を境に、夫が実家に帰っ

          #006 11月4日

          2018年11月4日。最後の結婚記念日。 鳥取にある田後港に釣り旅行にいった。私たちの共通の趣味が釣りだったこともあり、記念日は釣りに行っていることが多かった。この田後港に行くのも3回目で、遠征場所としては馴染みがあって、2人の思い出の場所のひとつ。鳥取生まれの人にもあまり知られていない、私たちの小さな大切な場所。 夫が突然言い出したのだ。「記念日は鳥取に行きたい。」 その頃、私は新しい部署には慣れて、仕事は順調にこなしていた。忙しい年でもなければ、仕事量も新人で配慮されて

          #005 悪者のいない地獄

          1回目の自殺未遂から、夫の病状は大きく波を打つことになる。1週間のうちで元気な日は、釣りにいきたいと出掛けていったり、夜中に友達と遊んだりする。元気のない日は、食事もほとんど摂らず、家でぼーっとしていることも多い。 そんな中で一度目の自殺未遂以降、大きく変わったことがあった。 私への攻撃だ。しかも、非常に激しかった。他の人からそのような話は全く聞いたことがないので、おそらく私だけだったのだろう。 仕事中に何度も着信が入ることが増えた。出れなければ、折りたたまれて表示されるく

          #005 悪者のいない地獄

          #004 少し明るいおはなしをしたい

          ここまで続けて読んでくれた方たちに、きっとしんどい思いをさせてしまっているのではないかと思いました。 しんどい中、ここまで読んでくれてありがとうございます。 このあとも、しばらくは苦しい場面は続くのですが、そのあとは山あり谷ありながら、今の穏やかで、落ち着いた、彩りのある生活のお話に続いていきます。 「少し明るいおはなし」と題うってみたものの、何が明るいのかと、どうしても躊躇してしまうのです。 こんなにも、なかなかに暗くて、苦しいエッセイを書いているものの、普段の私は、お酒

          #004 少し明るいおはなしをしたい

          【カッコいい】にこだわるのは

          「カッコよくなりたい。」 このセリフを、何度、口に出してきただろうか。 「カッコいい人は、そもそもそんな事考えてないよ。」 何度もお酒の席でそう返されてきたし、自分でも周りに合わせてネタのように話してきたわけだが、本当は、自分の中にしっかりとした理想がある。 その理想こそが、私の行動のコンパスであり、自分を律して前に進むエネルギーとなり、自己嫌悪に陥った時でも、しぶとく燻り、タネ火を燃やし続けてくれる。 外見がカッコよくなりたい。それは、もちろんYESだ。 しばらく無

          【カッコいい】にこだわるのは

          #003「時が経てば」は半分ホントで、半分ウソ。

          今回、苦しい思い出を吐き捨てるために、筆を取ったわけではない。 ただ、本当に、あの時の先の見えない暗闇に入っていく感覚は、思い出すと狂いそうになるくらいの不安だった。もしかしたら、今、この散文を読んでくれている人の中にも、大切な人が病気になり、同じように辛い経験をした人がいるかもしれない。自分自身が大病になり、どうしようもなく暗闇に落ちてしまった経験の人もいるかもしれない。 夫が亡くなってすぐの頃、私はとても自虐的で、自分から心の傷をえぐり返すような行為を何度も何度も繰り返

          #003「時が経てば」は半分ホントで、半分ウソ。

          #002綻びはじめたのは。(後)

          「中程度うつエピソード」 夫が初診で言われた診断名だ。初診できちんとした診断がつくわけではない。そのことが、今だったら少しわかる。夫が本当にうつ病であったかどうかはわからない。ただ、その時は、医療機関に繋がったこと自体に少し安心したのを覚えている。私も夫と同じく福祉関係の相談業務に携わっていた。だからこそ、医療機関に繋がらないことの難しさを知っていたからこそ、医療機関に繋がったこと、そして診断書を貰って、夫が少し会社を休めることに安心したのだ。 本当にバカだった。休むことが夫

          #002綻びはじめたのは。(後)

          #001綻びはじめたのは。(前)

          あとから思い返してみると、夫の病気の変調が見え始めたのは、2018年の1月後半からだったように思う。今でもずっと私自身が忘れられず、夫の病気のトリガーになったと思わずにはいられない出来事が起こった直後だ。 2018年の1月上旬に、私自身に「脳下垂体腺腫」が見つかった。長年の生理不順。というよりも、すでに無月経の状態であったために婦人科を受診した。あるホルモンの値が異常値を示していたため、大学病院で検査した上で、年明け早々に診断が下りたのだ。 当時、仕事は3年目が終わる頃。

          #001綻びはじめたのは。(前)