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読書する私 10/22『天国はまだ遠く』

すっかり労働環境がブラック化してしまった弊社で働いていると「社畜」と言う言葉が頭に浮かぶ。

ワークライフバランスだのQOLだのという言葉を聞くと、いったいどこの世界線の話なのかと皮肉も言いたくなる。

何もかも投げ出して、逃げ出してしまいたい。
もっと人間らしく自由に生きたい。

どこか穏やかな田舎に隠棲し、自分が生活するに足りるだけの食料を作って、のんびりと暮らしたい。

ずっと以前から、そんな風に思うことがしばしばあったが、最近は忙しいせいか、そういう気持ちがより一層強くなってきている。

主人公の千鶴は、図らずも私が望む生活を手に入れるが、あらすじでも触れられているように、そこが自分の居場所ではないことに気づいてしまう。

読後の最初の感想は、読んで良かったとは思うけれど、正直ピンと来ないところも多々あった。

千鶴はなぜそこに居場所がないと思ったのか。
ここが分かったようで分からなかった。
彼女にそう思わしめたものは一体、何だったのだろう。

私が彼女と同じ環境に置かれたら、私も同じ決断を下したとは思う。
けれど、そこに共感があったかと言えば、正直、それはなかった。
同じ決断であっても、私と彼女とではその理由が違う気がした。
結局、読後、一晩経ってみてもここについての答えはわからない。
いつかはわかるものだろうか。

転じて、田村の目線でこの物語を見つめてみると、読んでいる時には感じられなかった色々なものが滲んでくる。

私は最初、田村はこの地に生まれ育った青年で、都会育ちの(だと勝手に私は思っている)千鶴との価値観の相違から、千鶴が新たな気づきを得ていく物語と捉えていた。

ところが実は田村も生まれはともかく、数年前までは都会に暮らしていた男で、故あってこの地に戻って来ていたという背景が中盤で明かされる。

おやおやおや?と私は思った。
そうだとするのならば田村はもっと千鶴と共感を得られそうなものだが、どうにもそんな気配もない。
この違和感が拭えぬまま読了し、何となくもやもやとしていた。

読了直後に感想文を書けなかったのは、この辺りのもやもやしてふわふわした何かの正体が分からなかったからなのだけれど、読了から一夜明けて、田村の「やっぱりここは孤独や」という呟きを思い出して、ハッとした。

作中で彼が本当の自分の姿を見せたのはこの時だけだったのではないか。

千鶴をこの地に止めおくことは田村には出来たように思う。

けれど、この土地の素晴らしさを知りつつも、自身と同じ孤独、そしてそれ以外の何かを感じることになるであろう千鶴を止めることを彼はよしとしなかった。

あるいは千鶴自身が自らの決断でこの地を去ることを予見していたのかもしれない。

そうした前提でこの物語を振り返ると、田村という男の優しさと、それゆえの孤独に締めつけられるような思いが走る。

飄々と、そしてどこか淡白に接することで、この地に過剰な期待を抱かせない。
誰かが、この地に住まうことを1番望んでいたのは田村本人ではなかったか。

田村の孤独はこの地が、他人にとっては通過点に過ぎないことへの思いも入り混じっているように感じる。

終焉の地として、この地を選んできた多くの人を見続けながら、千鶴のようにそれを果たせなかった人に、ほんの少しだけの思い出を与え、澱んだ思いを浄化させる。

それはとても素晴らしいことだと思う。
けれど、そこにどこか報われなさを感じていたのではないかと思うのは私の心の卑しさだろうか。

田村が千鶴に渡したおみやげの中に、ひっそりと入れてあったマッチ。

そこには彼の声なき思いが込められている様に思えてならなかった。

彼の目線を通して、もう一度、この物語を読んでみたい。

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