ナポレオン・ハント 『ポールとヴィルジニー』編
こんにちは、架空書店「鹿書房」店主、伍月鹿です。
本日はナポレオン・ハント第三弾です
ナポレオン・ハントとは
主旨
文芸作品の中に登場するナポレオンを記録します
目的
・楽しい
・ナポレオンのパブリックイメージを紐解けるかもしれません
ハント対象
・ナポレオンを題材にしてない文芸作品に記載されたナポレオン一世の名前やイメージ
・ナポレオンに関連して名前を残した同世代の人物(exミュラ、ネルソンなど)も含む
・ナポレオン一世との比較でない限り、ナポレオン三世等の子孫は含まれない
・ナポレオン本人との比較でない限り、ナポレオンパイ、ナポレオンコートなどの物の固有名詞は対象外
ベルナルダン『ポールとヴィルジニー』
ベルナルダン・ド・サン=ピエール作の1788年に発表された小説です
インド洋に浮かぶ絶海の孤島で、美しい自然と慈母たちに囲まれ心優しく育った幼なじみのポールとヴィルジニー。思春期を迎え、互いに愛の感情が芽生えた矢先、二人は無情にも引き離され...。19世紀フランスで一世を風靡し、かのナポレオンも愛読した、幼なじみの悲恋の物語。
(光文社古典新訳文庫 HPより)
こちらの作品、ナポレオンが読んだというだけで作中にナポレオンが登場するものではありません
1788年、および短編として出版された1789年といえば、フランス革命の真っ最中。まだナポレオンはコルシカ島とフランスを行き来し、一介の兵士として名をあげる前のできごとですね
ナポレオン関連の資料を読んでいてこの作品に出会ったので、今回ハント対象とさせていただきました
まずは両角良彦先生の『東方の夢 ボナパルト、エジプトへ征く』より
エジプト侵攻を夢見たナポレオンは、半ば強引な手段で兵士や学者たちを遠い東方の地へ輸送します
一部の将校は事前に目的を伝えられたようですが、公式な辞令はかなりギリギリだった模様。エジプト遠征中にナポレオンと衝突することになるアレックス・デュマ将軍はベルティエの不況を買ったことで自分の役割を知らされないまま船に乗り込んだという話も残っています(『ナポレオンに背いた黒い将軍』より)
軍隊といえば忠誠心溢れたナポレオンの私兵……といった印象を持ちがちですが、当時の軍隊はまだ「大陸軍」の名前もなく、ナポレオンは最高司令官にすぎません
軍隊は立場でお給料もかなり異なる世界。自分が隊長をできるのかやきもきしていた将軍もデュマだけではなかったのかもしれません
そんな航海の様子を両角先生は多くの自伝の引用を通して紹介しています
行先も告げられないまま出発した大船団は、長い航海に退屈を持て余します
幕僚たちも暇をもてあまし、午後のあいだずっと椅子に寝そべって、図書室から借り出した本を開くなどして時間を潰します
小説を読んでいる将校たちのもとに時折ナポレオンも現れ、耳をひっぱるなどのくせを発揮しながら何を読んでいるのか問いかけたと言います
上記のやり取りを残したアルノーは、こんなことも語っていたようです。
ブウリエンヌはナポレオンの個人秘書を務めたルイ・アントワーヌ・フォヴレ・ド・ブーリエンヌのことでしょう
ナポレオンと共に教育を受け、ナポレオンの孤独な幼少期の数少ない友人だったとされています
ベルティエはナポレオンに忠実な参謀長
当時45歳だった彼はすでにその地位を手にし、ナポレオンのエジプト遠征でも片時も離れずに彼を援護しています
しかし、国に残してきた愛人のことが忘れられず、一度はフランスに帰ろうとしたエピソードが有名ですね
『若きウェイテルの悩み』は1774年に刊行されたゲーテの作品。叶わぬ恋に絶望し自殺するウェイテルを描いたベストセラーです
つまり、エジプト遠征が行われた1798年にとってこの2冊は、近年発表されて話題になっていた名作ということが考えられます
そもそも船に図書室があったのもナポレオンの命令によるもの
若いころは何か月も貯金をし、やっとの思いで選び抜いた本を買っていたというナポレオンの、読書好きな一面が垣間見れるエピソードなのかもしれません
ところで、若きウェイテル~はまだ読めていないのですが、ポールとヴィルジニーは上記一文を読んだ店主も後日手に取りました
強い愛で結ばれた二人がようやく再会できたと思ったら、船が嵐に巻き込まれ、ヴィルジニーは自らを辱めることより死を選びます
大勢の前で裸になる(服を脱いで海に飛び込む)くらいなら、諦めることを選ぶ、という現代だと理解に苦しむ価値観に首を捻ることになりましたが、それが当時のヨーロッパにとっては美しい行為だったのだと思います
多少の脱線をしますと、この作品に限らず古典作品は当時の文化や教養を身に着けないまま読むと退屈だと考えがちなものですよね
言葉も移ろい、少し前の作品であっても意味のわからない単語が出てきたり、旧漢字表現で読むことができなくなったり、と同じ日本語でも難解に感じることも
それを当時の人と同じ感覚で読むのはどうしても難しいものですが、それらを読み解くのも読書の楽しみの一つですよね
わたしは以前、サリンジャーの作品を読んでいて、途中で急に物語の解像度があがり、作品の美しさに気づく、という体験をしました
以来、海外文学を読む抵抗もなくなり、いまでもサリンジャーは大好きな作家のひとりです
閑話休題
それにしても、この話が船旅に向いているのかは疑問が多少残ります
豪華客船で映画『タイタニック』を観るようなものですよね……それはそれで臨場感があっていいのかしら……?
センチメンタルな二冊が取り上げられているのは、フランスへの未練や、それらの切ない話と同調している幕僚たちの感情を引き立てるものなのかもしれません
次に、マルテルが残した『ナポレオン作品集』の中には、ナポレオンが残したいくつかの文芸批評が記載されております
『ナポレオン作品集』は現在は古書しか手に入らない古い文献のため、日本語訳も難解な部分があります
一見褒めてるのか貶しているのか判断に迷う言葉ですが、少なくともポウルとヴィルジニーは「好き」という表現をしておりますね
抽象的で表現は美しいが中身がないとベストセラーを切り捨てるのは、それが評価された世論ごと批判しているような、軍人でありながら政治に手を出し、皇帝まで上り詰めた男が発した言葉として説得力の高いもののように思うのはわたしだけでしょうか
これらのエピソードで、船の中で「男は歴史を読むものだ」と豪語したナポレオンも小説好きなんじゃん……という当然のつっこみが生まれてしまうのも微笑ましい
彼が当時人気の作品について批評した言葉も、そのうち紹介できればと思っております
これらのナポレオンが残した言葉の影響か、わたしが手に取った岩波文庫の『ポールとヴィルジニー』のあとがきにもナポレオンの名前が登場しました
印刷技術も発展し、パンフレットや新聞などで人々の思考を操った革命の中、当時出版された作品は現代では名著とされ、古典とされていますよね
でも、その中で一体どれだけの作品が埋もれ、忘れ去られてきたのでしょう
『ポールとヴィルジニー』は日本でもロマン主義のさきがけとされ、多数の翻訳がされてきたようです
しかし、現在ではなかなか取り上げられることのない知るぞ人知る、といった作品です
それが細々と読み継がれているのは、ひとえにあらすじに必ず入る「ナポレオンの愛書」という特異性がさせている……と解釈するのは過大でしょうか
いまなお多くのものに影響を与えているとされるナポレオン自身が影響を受けた作品
そんな深堀りも面白いのではないか、と今回取り上げさせていただきました
おまけとして、ハント対象である『ゴリオ爺さん』を描いたバルザックもベルナルダンに影響を受けた一人だとか
作中にはこんな一文も登場します
ナポレオンは無数の資料が残る人物ですが、彼を知るためには多くのことを学ばないといけないと日頃から考えております
そういった連鎖的な興味って、一般的には年齢と共に衰えたり、個々が持つ趣味趣向によるものとされていますよね
自分が凝り性で良かったな、とナポレオン研究をしていると時々思います
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