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遙か彼方の青

第1章:「教室の真珠」 (視点:河野遥斗)

 18の私は独り日本航空のボーイング737−800のエコノミークラスに座っていた。
何度も訪れた東京に行くのには慣れている。ただ、このときは違った。まず、一人であること。次に、片道切符であることだ。私は今日、宮崎を出るのだ。
 以前東京に行った際、不動産で父と八王子の安いながらも良いアパートを見つけ、そこを借りる契約をした。これからはあそこが私の家になるのだ。
 滑走路の端に着いたとき、飛行機は一時停止をした。僅かな静寂の後にエンジンの唸り声が聞こえた。音はみるみると大きくなり、ある一定のところに達すると機体は動き出した。エンジンの音がさらに大きくなり推力が増すと私は高揚感を覚えた。機体は私をシートに強く押し付けながら加速していき、滑走路の中央付近で浮上した。
 
 見慣れた街がどんどん小さくなっていく。18年と少しを過ごしたこの街が。ミニチュアのように縮まった街を見て、あぁ、私は今までこんなに小さな世界で暮らして、悩んで、ここまで生きてきたんだなと思った。機体は上昇を続けながら右へ旋回し、日向灘へ機首を向けた。宮崎の真っ直ぐな海岸線が後ろに流れてゆく。

  陸地が遥か後方で見えなくなって、シートベルト着用サインが消えた頃、私の意識は高校時代を回想していた。

  
   表彰式があったのは、1月の割には変に暖かく、どんよりとした薄暗い曇りの日だった。
  「本日はおめでとうございます」というマニュアル通りの言葉を言われ、受付の人は 私にマニュアル通りにパンフレットを渡してきた。それを見て私はまるでその動作が形式上のものであって中身がないように思えてきたであった。(勿論、私は彼らに対してどうこう言える立場ではないが)
 パンフレットに記載されている自分の名前が書かれていた番号の席を探し、それに座った。
 
 まず、式典の前に登壇練習がある。自分の一つ前の人がやるように自分も動いた。あいにくこういうのには慣れていないので、たどたどしい動きになっていたのだと思う。
 
 式典は開会の言葉で始まり、県のお偉いさんの祝辞が続いた。
「あなた達の作品は、オリジナルであり他の誰のものでもない。枠にとらわれない自由な感性を持っている。若くみずみずしいあなた達の感性を今後も磨き、ありのままの作品を今後も作ってください。期待しています。」大体の内容はこんな感じだったはずだ。
 その口調は穏やかであり、そしてなにか強いものを持っているように思えた。と同時に私の心が痛めつけらるのを感じた。
 
 そして、表彰に続いた。他の受賞者が表彰されていくのを見て、私はここにいるべきではないという思いが込み上げてきた。確かに、自分の作品が県で上位の賞をもらい、全国大会に選抜されたことは誇らしい栄誉ではあった。ただ、自分の心の中にはなにか重いものを感じてた。その日は、晴れ晴れとした気持ちで賞状をもらうことはできなかった。
 
 式典が終わり、私は顧問の先生の車で学校まで帰った。移動中、私は黙っていた。先生は静寂を埋めるためか、時折私に話しかけてきた。何の話だったのかはよく覚えていないが、私は適当に返事をしていたのだとと思う。
 ただ、絵のことについて話されたことだけは今も覚えている。君の絵はすごかったとか学校としても嬉しいことだったとか、そんな話を聞くたびに私はより、惨めな気持ちになるのだった。
 
 ・・・私は私の絵を描いていなかったのだ。
 

 勿論、上手い下手かで言われたら上手い方に分類されるのだと思う。自分で言うのもどうかと思うが、技術的にも優れていたはずだ。ただ、それは誰かの模倣であり、コピーであり、極めて表面的なものであったのだと思っている。周りからはそうではないと言われるのかもしれないが、私は確かにそう思ったのだ。
 
 またデッサンからやり直そう。今度は自分だけの絵を描くために。
  
 それから私は何枚描き続け、何本の鉛筆を使い果たした。その数はどれほどのものであったのかはもう忘れてしまった。それでも私は決して急がず自分のスピードで絵を描き続けた。

  季節は巡り、夏になった。太陽は眩しく窓の向こうの木を照らしている。青空に映えるそれを見ると、時間の流れを感じた。
 絵もそろそろ描き終わろうとしている。あとは、陰影をつけたり細かい部分を描き込んだり、逆に消したりして形を整えるだけだ。
 
 今年は、自分でも満足して全国大会に絵を出せそうだ。
 あの表彰式の日から半年と少しがたった8月の午後、私は香川県の美術館にいた。(今年の高文祭(※注)は香川県で開催される)
 
 そこにはあの頃とは違う絵が飾られていた。
ここまで来るのに、随分と焦らないタイプの遅刻をしてしまったものだと思ったものの後悔はない。これで、晴れ晴れとして式に出れる。私はそう強く感じた。
   
 ・・・私の絵を見たとき、私は初めて笑った。
 
 絵の全国大会が終わると、私は大学入試へリソースを割くようになった。当然と言えば当然だが、今は絵を描いていない。描く時間すら勉強に当てなければ正直厳しかっただろう。
   
 
 大学の二次試験を控えた2月の夜、母はインスタントコーヒーとお菓子を持って部屋に入ってきた。この頃は追い込みで夜遅くまで入試対策をしていた。勉強をすると糖分を消費するので、当然お腹が減る。そんな私を見た母は、決まって差し入れを持ってくるようになった。
 
 広げた赤本の横にはMary'sのいちご味のミルフィーユチョコレートが置いてあった。懐かしいな・・・。
 
 袋を開けて、ひとくち食べた時、懐かしいあの頃の記憶がゆっくりと蘇ってきた。
 
 3学期が始まって間もなく、私達は中学校生活最後の席替えをした。席替えと言っても周りが変わるだけ。私は一年間同じ席に座り続けていた。今でも覚えている。最前列の右から2番目の席。 席替えが完了すると、隣には岡本さんが座っていた。残りの3ヶ月はこの人が隣なんだなぁ〜と思った他には、特に関心は起きなかった。
 
 彼女とは委員会で同じだった。私が委員長で彼女は副委員長だ。委員長や副委員長と言っても、メンバーは2人だけだから、どちらかが委員長になればもう片方は自動的に副委員長になる。
 
 席替えの1週間後、月に一度の図書委員会会議があった。基本的に第二木曜日の放課後に開かれる。図書館利用者を増やすためにはどうすれば良いのかやどうすれば生徒がもっと本に興味を持つのかについて考え、話し合った。私は会議のときはいつも数枚の白紙とちょっと高めのボールペンを持って行って、会議中は自分のアイディアを練り、紙に書き出して考えていた。そして、ある程度の形ができたら、その紙を周りに回して「こんなのはどう?」と聞いていた。だいたい、会議では私の案が通る。他の人は雑談をしていたり、内職をしていたり。そんな感じだった。彼女を除いて。
 
 彼女は私と一緒に、どうすれば図書館利用者を増やせるのかを考えてくれた。
このときは、スタンプラリーカードを作って、本を借りるたびにスタンプを一つもらえる。そしてある一定数スタンプを貯めると、何かしらの賞品がもらえる。といった案になった。(私が卒業したあとの話ではあるが、その案を後輩たちが実行してくれた。すると、図書館利用者がある程度は増えた。)
 
 会議が終わると、私は彼女を待って一緒に教室に帰った。
 その頃から、私は彼女とよく話すようになった。今までクラスには特に話せるような友人はいなかったので、卒業を目前とした時期ではあったものの、話せるような人が出来て、正直、嬉しかったのだと思う。
 
 ある日、彼女は教科書を忘れてきた。どこの学校もそうではあると思うが、忘れた人は隣の人に見せてもらうような仕組みだった。
 
 机をくっつけて、私は彼女に教科書を見せた。形はどうであれ、こうやって関わりを持つことができるのは、当時の私にとって貴重な機会だった。
 授業が終わると、彼女は私に「教科書見せてくれて、本当にありがとう!たすかった〜!」と言った。私は「あぁ。うん・・・。」と返したが、内心は少し照れる気持ちと嬉しい気持ちと恥ずかしいような気持ちがあって、上手く言葉で表現できなかった。
 

 それから、卒業するまで彼女はかれこれ3〜4回ほど教科書やノートを忘れて来た。その度、席をくっつけて、教科書を見せた。
 最初に教科書を見せてから数週間がたった。通学路の梅は咲き始め、春が近いことを告げていた。
その頃の私は、授業を受け、彼女と話し、放課後には図書館に行き、帰り際には彼女に「じゃあね〜」というような日々を送っていた。今思うと、帰り際に「じゃあね〜」だとか言ったことがあの時以来なかった。彼女が帰るとき「バイバイ〜」と言うものだから、私は「じゃあね〜」と返す他なかった。
 
 駐輪場で、吉原さんから声をかけられた。
 「河野くん・・・。もしかして、マミのこと好き・・・?」と。
その時、初めて自分の気持ちに気づいた。そうだ、私は彼女のことが好きなのかと。
 
 私は答える。「うん。そうだと思う。でも何故?」彼女は明らかに驚いた顔をした。
 「マミね、最近は、ずっと河野くんのことを話すの。だから、逆に河野くんはマミのことをどう思っているのかと聞いてみたくて・・・。」
 そこから先、どうなったのかは覚えていない。
 ただ、まだ寒いはずの2月の夕方は、私には暑く感じたことだけは記憶に残っている。
 
 2月14日、私は初めて母親以外の人からバレンタインチョコというものを貰った。チョコを貰った時、私は動揺していた。「ありがとう」と言ったが、頭の中真っ白になって何かを考えることは殆どできなかった。その場で袋を開ける勇気が出なかったので家に持ち帰ってからそれを明けることにした。
 家に帰って袋を開けてみるとMary'sのいちご味のミルフィーユと小さな手紙が入っていた。
手紙を開けて読んでみると、彼女の小さな文字でこのようなことが書かれていた。
 「河野くんへ  
 いつも教科書とかを見せてくれてありがとう!たすかっています。
 これからもよろしくね。
    ____真珠より」と。
  
   手紙を閉じると、私はミルフィーユを一つだけ大切に食べた。
それから、月日は流れて3月になった。
校庭の桜の木は蕾を付けていた。
暖かな3月の風が吹く頃、私たちは中学校を卒業した。
 
最後に私が彼女を見たのは、卒業式だった。結局想いを伝えることができずに高校生になり、そして今、その高校も卒業しようとしている。
 
時の流れは確実にあの頃の記憶を少しずつ侵食していっている。それは確かだ。
 彼女は今、どこで何をしているのだろうか?
半分になったこの白い真珠のようなミルフィーユを見ながら、私はそのようなことを思った。
 3月の終わり、私は東京の大学に受かった。その番号を見た時、私は笑っていたのだろうか、それとも泣いていたのだろうか、もしくはその両方だろうか。はっきりとは覚えていない。ただ、その時の嬉しさは昨日のことのように鮮明に覚えている。

 ただ、真珠の記憶は次第に薄れていってしまった。
 気がつけば、何故私は彼女のことが好きだったのかを不思議に思っていた。
 そのことを恐ろしいと思いながらも、私は上京の準備をしていた。
 
  私が上京して間もない頃、春の新宿は温かな光りに包まれていた。
新生活を始めるために私は色々と雑貨を買い集めていた。ベッドや机などは引っ越しの際実家から持ってきたが、歯ブラシや洗剤、スポンジ、それと便座カバーなどは現地で調達することにしていた。
 平日は入学課題をし、休日は買い物をする。そんなスタイルの生活が数週間ほど続いた。
 一通り物が揃ってきた4月の最初の日曜日、私は隅田川公園に出かけることにした。 私は丸の内線に乗り赤坂見附駅へ行き銀座線に乗り換えた。
 地下鉄はガタンゴトンと心地よいリズムを刻んで進む。車内は荷物を持った家族連れの人たちで混んでいた。きっとこの人たちもお花見に行くんだろう。
 浅草駅で降りて地上に上がると、明るい世界が広がっていた。ポカポカしていて心地が良い。
私は幸せ気分で隅田川公園へ向かって歩いていった。
川沿いに植えられた桜は、ほぼ満開に近い形で咲いていた。春風が吹くと雪のように花びらが舞って美しかった。





第2章:「冬の音」 (視点:河野遥斗)


 例えばそれが自分の世界に沈み込みたい時、例えばそれが感傷的に更けたい時、そういうような時には、何故か小説を読みたくなる。
・・・そんな日が時々ある。
 八王子は秋が深まり、街路樹の紅葉や銀杏は鮮やかに色付いている。私はまだ行ったことはないが、この季節になると高尾山も美しく色づき、今頃は多くの登山客で賑わっているのだと思う。
 今日の午後は大学の講義は入っていなかったので、久しぶりに図書館に行くことにした。家に帰る方向とは逆の方向の電車に乗り、相模線、横浜線、中央線を乗り継ぎ、西八王子駅で降りた。
 館内に入ると本の良い匂いが胸いっぱいに広がった。と同時になんとも言えない安堵感を感じた。私はここに戻ってきた。
 私にとって、この場所は自分の安全地帯であり、家でも大学でもない第三の居場所である。
 ただ、図書館に来たとはいえ、特に目当ての本がある訳ではなかった。暫くの間、私は適当に本棚を漁っては何か良さげな本がないか探した。
その作業を繰り返すうちに、今日借りるべき一冊を見つけ出した。これだ。


 休み時間、私は独り、大学の食堂で昼食を取っていた。中学の頃も、高校の頃も昼食はいつも一人で取っていた。何ていうのか、グループに上手く馴染めないというのか、輪の中に入れないというのか・・・。
 私の過去を振り返ってみると、独りで過ごしていることが多かった。そして、いつしか、独りのほうが気が楽で心地よいものだと私は思うようになっていた。
 向こうでは笑い声が聞こえる。あっち側では世界はどのように見えるのだろうか。気になりはするが、あちら側になりたいとは思わない。なんせ私はこっち側の世界でずっと生きてきたのだから。心地よいものに囲まれ、気を許した少数の人と関わり、馴染の場所で過ごして、ずっと自分を守ってきたきたのだ。静かで安全でそして閉ざされたこの世界で・・・・。
 
 昼食を終えて、先日借りた本を読んでいると隣から声をかけられた。
確か、吉田紗希って名前だったような気がする。彼女は同じ大学の文学部の人で私と同い年である。静かな落ち着いた雰囲気の人で、よく一人で本を読んでいるのを目にする。この日は私と彼女が取っている非必修科目である社会科学の講義があった。(ちなみに理工学部の私がこの講義を取ったのは単に世界情勢に興味があったからだ。)
「あの、その本って・・・」
J/Dサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」だ。
正直、私は急に人から話しかけられることは苦手だ。ただ、なぜだろう。このときは嫌な気分はしなかった。
「あ、えっと・・・。これ・・・ですか?」
私は戸惑いつつ。読んでいた本を持って彼女にそう言った。
私の心の中を読んだのか、彼女は慌ててこう言った。
「あ、なんか、急に話しかけてしまってごめんなさい。懐かしい本だったのでつい・・・。」
私がその事をあまり気にしていなく、謝る必要もないことを言うと、彼女は少し安心したように微笑み、その本について話し始めた。
「私、高校の頃にその本を読んだことがあるんです。なんだろう、周囲と上手く馴染めずに孤独感に苛まれて、でも、どこか人との接触を求めながらも、だけど、距離を置くみたいな・・・?」
考え込むように話す彼女の表情を見て、私はどこか、彼女は何かを抱えているようにも思えた。私と同じなのかもしれない。こっち側の人間。
 
 休み時間の終りが近づいてきた。私はバッグの中に小説を入れていたことを思い出した。私はどこかに行くときには、読むか読まないかは別として必ずと言ってもいいほど本を持ち歩く。ただ、そのおかげで電車の中での目のやり場に困るといったことは回避できる。
彼女に話しかけてみる。
「もし、良かったら・・・ これ、読んでみます?」ドストエフスキーの「地下室の手記」だ。今の彼女にピッタリの本かもしれない。昔買って読んでいたが、今はバッグの奥深くに忘れ去られかけている。私が読まないのならば、彼女に読んでもらったほうが本にとっても本望だろう。
「良いんですか?」彼女はそう聞いた。
予鈴が鳴った。私は、来週の次の講義のときに返してくれたら良いと伝えて、私は講義に戻った。
 
 次の週、約束通り彼女は本を返しに来た。本が一冊増えている。
「先週はありがとうございました。この前のお返しといったらなんですが、良かったらこの本も読んでみてください。」
彼女の表情は先週会った時よりも少しだけ明るくなっていた。
彼女はそう言って、私に町田そのこの「52ヘルツのクジラたち」を貸してくれた。
 
 それを皮切りに、私と彼女は週に一度本の貸し借りをするようになった。
気がつくと、このやり取りが週に一度の私の楽しみになっていた。
 
 11月中旬のある朝のこと、電車で読むために、何か適当な本を探した。
部屋の本棚にある一冊の本を手に取る。夏目漱石の「こころ」だ。どうしてその本を買ったのかは正直よく覚えていない。有名な本だからなのか、ただ単に興味があったのか、今ではもう忘れてしまった。私は本を開こうとしたが、すぐにそれをやめた。なぜだろう、この本を読む気になれないのだ。 
 高校時代にその本を読んだことがある。軽快で明るい(少なくとも当時の私はそう思っていた)「坊っちゃん」とは対照的に、「こころ」は暗く深く、読むたびに人の心の闇を覗いたような気分になるのだ。
心の闇・・・。
今見えているものだけが、その人そのものではないのだろう。人はだれしもが、多かれ少なかれ嘘や偽りを身にまとって生きているのであろう。この世界は嘘や偽りに満ちて成り立っているのであろうか。そう考えると、この世界がひどく低俗なものに見えてきた。
 「K」はどのような思いを胸に自ら死を選んだのだろうか。
私には分からない。いや、むしろ分かりたくもないのかもしれない。
 
 ・・・私はその本を元の場所に戻すことにした。

 11月下旬の土曜日、私は初めて彼女と一緒に出かけることにした。この頃には私達の間柄も親しくなり、タメ口で話し合える仲にはなっていた。これまで何回か彼女と話す機会があった。そのたびに彼女はいろいろなことを私に話してくれた。家族のこと、本のこと、大学が彼女がでやっていること、将来のことなど。この小さな会話が重なっていき、彼女は私に馴れていき、私もまた彼女に馴れていった。
 
 私達は京王西八王子駅で降りて、ある喫茶店に向かった。それほど有名ではないものの、落ち着いた雰囲気でコーヒーも美味しく、気に入っている店だ。それほど頻繁ではないものの、たまに訪れるのが楽しみだった。
 ドアを開けると、コーヒーのいい香りが胸いっぱいに広がった。得も言われぬ快楽だ。
カウンター越しの店主がこちらに気づいたようで微笑んで私の方を見た。ただ、次の一言に驚いた。
「いらっしゃい。あら、この方は彼女さん?」
え、彼女・・・?どうしよう。それは自分でもわからなくて、何と答えたら良いのか良いのか分からない。頭が真っ白になる。ただ、彼女と呼べるほどではないのかもしれない。彼女と私は、出会って1ヶ月だ。すぐすぐに彼女だと答えたらその答えは軽薄なものとなるだろう。ただ、そうではないにせよ、彼女は私にとって大切な存在であると思う。
言われたからには、なにか答えなくてはならない。YesでもNoでもない答えを探してみる。そして僕は間を開けてたどたどしくこう答えた。
「う〜ん・・・。捉え方によりますね・・・。多分・・・。」
そう答えながらも、私は隣の紗希の方に目をやる勇気はなかった。
 その後何があったのかは自分でもはっきりとは覚えていない。コーヒーを飲み、彼女と話し、駅前で別れ、家に帰ったのだと思う。それ以外に何をしたのかは考えられないから。

 あの日から数日がった木曜日、彼女から、今から会えないのかとLINEが入った。
 この時期になると18時台でも外は薄暗く、時折、寒風が吹く。冬が近いと私は感じた。遠くの街明か薄っすらと青白く輝いている。
 彼女と会ったのは大学の中庭にあるベンチだった。
長い沈黙の後に、俯いていた彼女がゆっくりと口を開く。
「私、怖いんだ。父に反対されるのが。せっかく東京に来たのに、また富山に戻るのはどうなのかって。」
私は静かに耳を傾けた。彼女の声は少し震えているように聞こえる。
「富山で、人や地域に寄り添った仕事をしたい。私、最近そう思えてきた。東京に来て分かったの。都会だとどうしても地方の情報が後回しになりがちで・・・。だから、私が地元で地方と都市の架け橋になれたら良いなと思っている。でも、どうしたら良いのか、何が正しいのか、分からなくなってきて・・・。でも、せっかく東京に来たんだし・・・。私、これで良いいのかな・・・?」
その言葉の後、沈黙が流れた。私は彼女にどう言葉をかければいいのだろうか。答えがすぐに見つからない。
彼女は俯いている。と同時に、遠くを見つめているようにも見える。その姿を見て私は一つの答えにたどり着いた。
「自分の人生の舵取りをするのは他の誰でもない自分自身だ。」
彼女は少し驚いたように顔を上げて、私の目を見た。
私は続ける。
「だから、自分で道を決めて、選んで、自分で歩いていくわけだ。だから、自分がどう生きたいかは自分で決めなさい。・・・ただ、自分で選んだからには責任も伴う。そのことは覚えておいて欲しい。」
 彼女は少し考えるような素振りを見せた。表情が柔らかくなり、小さく頷いてこう言った。
「・・・ありがとう。」
その言葉は冷たい夜の中でもはっきりと耳に届いた。
彼女の中に、少しだけ光が差し込んだような気がした。
 
 12月の頭の学校帰り、私はいつもの本屋に立ち寄った。
自動ドアが開くと暖かい空気とともに、まだ新しい本特有の紙とインクのいい匂いが立ち込めた。(何度も匂いの話をして悪いが、本当に私はこの香りが好きなのだ。)
私は雑誌コーナーでいつもの月刊誌(J‐WINGS、AIRLINES、そしてNewton日本語版がメインだ)に目を通し、小説コーナーの方に移動した。あの日と同じく”別に目当ての本があったわけでもないが”だ。整然と並べられた背表紙を眺めているうちにある2組の本に目が止まった。村上春樹の「ノルウェイの森」だ。
 正直、今まで彼の本は難しいものだと決めつけて嫌厭している自分がいた。
 パラパラとページを捲ると、彼独特の雰囲気が自分のどこかと結びつくように思えた。もしかするとこの本は好きかもしれない。
 本を元の位置に戻し、もう一冊の方を手に取る。「ノルウェイの森 上」。私はさきほど戻した本をまた取ってしまったのではないのかと思い本棚の方に目をやった。そこで私はどちらも上巻であることに気がついた。下巻を探してみたのだが、その一帯には見当たらなかった。私は仕方なく上巻だけを買うことにして、レジの方へ進んだ。
 レジの若い店員は慣れた手つきでその本のカバーを作ってくれた。
その手さばきを見るたびに私は感心してしまう。
 「ありがとうございました」と言い、私は店をあとにした。今夜からしばらくかけて村上ワールドを楽しむことにしよう。読み終えたら紗希に貸してみるのも良いのかもしれない。
 
 12月の半ば。師走というが、むしろ私は、大学の論文や課題、研究などやらないといけないことが溜まりに溜まって机に張り付いている日々を送っている。そのせいか、彼女と会う時間があまり取れていない。
  
 机の奥に転がっている黒色のセーラーのプロフィットを手に取り、常用しているブルーブラックのインクから手紙用のブランクのインクに移し替え、私は彼女に年賀状を書くことにした。
もっとも、私はあまり手紙や年賀状を進んで書く性分ではないものの、大切な人とのやり取りの一環として考えれば悪くないような気がする。活字ではなく手書きの文字ではないと伝わらないことも有ると思う。ただ、決まり文句や飾った文面は好きではない。できるだけ正直で自分らしい文章を書くことにした。
「明けましておめでとうございます
紗希さん、いかがお過ごしですか。
私の2027年を振り返ってみると、必ずしも順風満帆な一年だったとは言えないかもしれません。
ただ、この一年は学会発表や次世代航空機の研究そしてその先にあるものに向けて着実に前進しなくてはなりません。
吉報をお伝えできるように努めます。
温暖化が進んでいるとはいえ、寒いものは寒いですよね・・・。
紗希さんもお体にお気をつけてください。
良い一年となりますように。」
 このはがきが彼女の元に届くのは3週間先のことであろう。書き上げたはがきを見ながらそう思った。
 
 12月も下旬。大学が終わり、私は独り立川の街を歩くことにした。
街では八王子と同じくクリスマスツリーやイルミネーションで飾られている商業施設や家が多く見られる。この時期はどこのお店でもクリスマスソングが流れている。夜風に吹かれながら物思いにふけっていた。なぜだろう、どこか落ち着かない自分がいるのだ。
  通りで地元の高校生の吹奏楽部がクリスマスソングメドレーを演奏していた。美しく壮大で若さをも感じられる旋律は寒く乾燥した夜空に響き私の心に染みた。
遠くの温かいイルミネーションの光を眺めながら、ふとこんな事を考えていた。
 中学の頃、私は吹奏楽部に入っていてトランペットを吹いていた。楽器が冷えるとなかなか良い音が出ない。ここまでの演奏ができるのは日々の筆舌に尽くしがたい努力の賜物であろう。確か、人間関係が嫌になって私が退部したのもこの時期だった気がする。
 立ち止まってその旋律に耳を傾ける人もいれば、演奏の前を気にせずに通り過ぎる人もいるのが見えた。人それぞれ事情や価値観はあるのだろうけれど、後者の人を見るたびに胸が傷んだ。
 私が上京してから何回かこんな気持になったのを覚えている。覚えているだけで無意識レベルのものを数えると、更に多くなるのかもしれない。
 もちろん例外はあるものの、都会の人はどこか冷たいのだ。
慌ただしく過ぎる時の流れと、溢れんばかりの物と情報の中になにか大切なものを忘れているのではないのかと・・・・。
 演奏が終わるとその場にいたのは私と、老夫婦と、子連れの女性だけだった。
 彼らに拍手をし、良い演奏だったと伝えると、私はまた、冬夜の中を歩き始めた。 
 
 しばらく街を散策していると、とあるカフェにたどり着いた。どうやら店内には誰が弾いても良いピアノがあるらしい。昔ネットで見つけたピアノのある店はこれだったのかもしれない。
 気がつくと、私はその店に入っていた。店内を見渡してみるが、私と店主以外には誰もいなかった。私はショートサイズのホットコーヒーを頼んでピアノがある方へ向かった。こんな時間にカフェインをいれることにはなるものの、高校のときに夜にコーヒーを飲んでもちゃんと寝ることが出来ていたので、恐らく問題はないだろう。
静かな夜だ。ラテン語ではノクターンと言うらしい。
このピアノはまるで私のために用意されているようにも思えた。
 そっとケースを開け、鍵盤に手を置いた。ピアノを弾くのは何年ぶりだろう。
 静かで美しくどこか寂しげな音色は夜の静寂に溶け込んでいくようだった。。私は無意識にこの曲を選んだ。ショパンの「夜想曲第2番」。
この曲を弾きながら、このことを思い出した。1991年のクリスマスと同時に世界を二分した赤い大国はあっけなく崩壊して時の流れとともに消え去っていったことを。
始まるものは必ず終りを迎えてしまう。これは世の定めだ。
私と紗希の関係も例外ではないのだろう。
ただ、もう少しだけでもこの関係が続いて欲しい。
私は最後の音を弾いた。静寂が戻ると、そっと鍵盤から手を離すと聞き馴染みのある足音がこちらに近づいてくる。その足音の主はすぐに分かった。紗希だ。
それで約束を思い出した。クリスマスの日、この店で落ち合うことにしたのだ。なにか適当な言葉を探してみる。
口を開こうとする。彼女はぐっと顔を近づけて・・・、そして耳元でこう囁いた。「Merry Christmas.・・・くん・・・。」
 その後、私達はコーヒーを飲みながらクリスマスプレゼントを渡しあった。彼女が私にくれたものはパーカーのボールペンで、私が彼女に贈ったのはラルフローレンの赤いマフラーだった。
会話が続き、そして・・・彼女はこういった。「私、やっぱり富山に戻りたい。」私はその言葉を予想できなかったわけではなかったものの、実際に言われるとなんだろう・・・、少し喪失感を感じるところはあった。ただ、彼女が決めた道だ。彼女自身が選んだその道を、私は支持している旨を伝えた。
会いに行こうと思えば北陸新幹線に乗れば2時間ちょっとで行ける距離だ。実家の宮崎とは違ってそんなに遠いわけではないはずだ・・・。
 
 冬休みになった。大学生活の上で数少ない貴重な休暇の一つだ。私は周りからは真面目でしっかりとした人のように見られていることが多い。その一方で、家ではダラダラした生活を送っていることは意外と誰にも知られていない。
 何冊か気になる本たちがある。こたつに籠もってそれらをずっと読んでいたい気分だ。(実際、こたつは買っていない。部屋にこたつを置くスペースがない上にもしこたつを買ってしまうと益々自分は駄目人間になってしまいそうであるため自制している。)ただ、現実はそうともいかない。レポートなり課題なりやらないとならないタスクが多く残っている。家族に新年の挨拶をしたり初詣に行くこともそのタスクのうちに入るのかもしれない。今年中に全部片付けてしまいたいものの、やはり無理があるだろう。多分、この休暇でまともに休める日が数日しかないのではないかと考えると、気が重くなる。
  とは言え、現実は現実だ。取り敢えず、コーヒーでも淹れて気乗りしないレポートに手を付けることにしよう。
 窓の外では鉛色の雲から雪が降っている。初雪だ。宮崎から出てきた当初は物珍しさに興奮したものの、今ではすっかり日常の一つになってしまったようだ。
 
 紗希はこの雪をどう見ているのだろうか。宮崎と違って富山は豪雪地帯だ。必ずしも雪に対していいイメージを持っていないのかもしれない。
 そんなことを思いながら、ぬるくなったコーヒーを啜った。
 

 新しい年が来た。明けましておめでとうございます。
朝食を済ませ、家族に電話をかけることにした。LINEだけで済ませようと思ったこともあるが、それだと自分があまりにも薄情な奴だと思われるような気がしたのでやめた。
 
 電話がかかってきた。つくばに住んでいる弟からだ。通話は新年の挨拶で始まったものの、弟は最近あったことや、彼女がどうこうと話しだし、次第に会話が脱線していった。終いには、くだらないギャクを喋り始める程だ。通話が長くなることを悟った私は、早く会話の着地点を見つけて、会話を終わらせることにした。悪いがお兄ちゃんは長電話をするエネルギーが無いのだ。時間があるのなら会いに来てくれたら良いのにと弟は言ったが、ここからつくばとなると、わざわざ中央線と総武線を乗り継ぎ秋葉原に行き、つくばエクスプレスに乗り換えなくてはならない。正直面倒だ。私は適当な言い訳をして弟の話を断った。
 
 家族たちに一連の新年の挨拶を終えると、私は初詣に出かけた。実を言うと、私は無宗教者で神すらも信じてはいないが、これが毎年のルーティーンだ。 
 
 木々や草花、建物など、見慣れたはずの風景が今日はどれも新しくて新鮮なものに感じた。
 
 参拝を済ませ境内をあとにすると、同級生の根岸に会った。彼も先程参拝を済ませてきたという。
お前のことだから、きっと彼女が欲しいとかそういうことを願ったのではないかと聞いてみると、図星だったようで驚いていた。逆に自分はどんなことを願ったのかと聞かれたので、一年間健康で過ごせるようにとか研究で結果が出ますようにとかかれこれ十個くらいお願いをしたことを伝えると、彼は呆れたように苦笑いをし、神を信じないお前の割には欲にまみれたお願いをしたもんだなと言った。ただ、紗希との関係がこれからも続きますようにと願ったことだけは黙っておいた。
 家に帰り着くと、紗希からLINEが届いていることに気がついた。彼女は年末年始を実家のある富山で過ごすのだと言っていたのを思い出した。彼女が私が書いた年賀状を読むのが遅れることは少々残念に思えたものの、富山で家族と楽しい時間を過ごしているのだと思うとそれはそれで良い気がした。
「明けましておめでとう!
私、富山に戻って働きたいことを伝えた。勇気がいることだったけど。始めは反対されたけど、話すうちに父が納得してくれて、私の好きなようにしなさいと言ってくれた。この前はありがとう。」
それを見て私は、彼女が自分で道を進もうとしていることを喜び、応援したいと思う一方で、彼女との別れが近いことも感じ、複雑な気持ちになった。
 季節が巡り、街路樹の桜の蕾は開き始めていた。
私は大学院に進学しBWB機の機体設計の研究をすることにした。

 彼女が富山に戻る日が来た。東京駅に来たのは何時ぶりだろう。ホームまでは一緒に行くことにした。彼女に言いたいことはたくさんあったものの伝えた言葉はほんの一握りだったような気がする。彼女もまた私と同じであったのだろう。
改札を抜けてホームに着くと、そこには青とアイボリーを基調とした美しい新幹線が停車していた。彼女になにか話そうとするがうまく言葉が出てこない。
発車ベルが二人の間を流れる沈黙を破った。
お別れの時間だ。
「さようなら」とは言いたくない。もう二度と会えなくなるような気がするからだ。そのとき私は彼女にこう言ったのを覚えている。「じゃ、元気でね。またいつか。・・・紗希。」
ドアが閉まる。
紗季のかがやきは東京駅をゆっくりと滑り出し、加速していき、小さくなって、・・・そして私の手の届かない存在になった。




第3章: 「スターライトパレード」 (視点:吉田紗希)

 私は曲がりくねった山道を運転してた。ヘッドライトの光の筋は暗い闇の彼方へ吸い込まれていくようだった。時折、対向車線の車のヘッドライトの光が私の目に差し込んで眩しかったが、しばらくすると元の静かで暗い夜道へと戻っていった。
 私はカーナビのテレビが写っていないことに気がついた。どうやらここはテレビの電波が届かないようだ。
カーナビをテレビからFMラジオに切り替えたが、やはり電波は届いていなく聞こえなかった。AMラジオはかろうじて聞くことはできたが、しばらくして私はそれも消した。
 車は私を乗せ静かな夜の中を進んでいく。
 しばらく進むと、何やら向こうの方に明かりが見えた。それは建物の明かりらしい。その周りには明かりは見えなかった。
 こんなところにも人がいるんだなと思った私はその明かりの方へ向かった。
 
 明かりに近づくにつれ、その正体が少しずつ見えてきた。そこには小さな天文台が建っていた。理科の教科書や宇宙の図鑑で見るようなものとは違ってお世辞にも立派だとは言えない小さなものだった。館内は立ち入り自由で開放されていた。
 
 館内に入ると受付のところに職員が一人いた。私が受付の方に向かってこんばんはと挨拶をすると、職員の方がこちらの方に出てきた。年老いた物腰の柔らかいおじいさんだった。いや〜、今夜はどうもお越しくださいました。などと言いながら私をドームの方へ案内してくれた。
 おじいさんの名前は中野と言った。名札は着けているように見えたが暗くてよく見えなかった。
 
 ドームの中には先客がいた。暗くてよく見えなかったが、声から彼女は四十代後半っぽかった。
「こんばんは〜」
と私が挨拶をすると、彼女も
「こんばんは。今夜は冷えますね。」
と言った。彼女は石原美里と言いますと名乗ったので、私も吉田紗希ですと名乗った。
「何が見えますか。」
と私は尋ねる。と中野さんは今から見せますよと言って望遠鏡を動かした。中野さんはよっこらしょと言って大きな望遠鏡を回す。彼が言うにはこの望遠鏡は2トンの重さがあるそうだ。望遠鏡の重さを支えるために反対側には同じ重さの重りがついているらしい。そんな望遠鏡を軽々と動かす中野さんを見て私は感心した。

 中野さんはまず、私にプロキオンという星を見せてくれた。彼の説明によると、こいぬ座の一等星で冬の大三角形の一つになっているらしい。望遠鏡越しに見るプロキオンは青白く輝いていて綺麗だった。
私が見終えると、ミサトさんが望遠鏡を覗いた。
「綺麗ねぇ」
と彼女が言った。
 私達が見終わると中野さんは望遠鏡をまた動かして違う星を見せてくれた。
 
 望遠鏡を覗くと、大きな星が六つ、そして小さな星が無数に輝いているのが見えた。これはすばるですかと尋ねれば中野さんはそうですよと答えた。そして解説を始めてくれた。
「すばるはM45プレアデス星団と呼ばれて、日本では古くからすばると呼ばれていいます。すばるは「統べる」という他動詞が「統ばる」と自動詞化されて出来た言葉で万葉集にも登場しています。ちなみに、すばるが出来たのが600万年ほど前であり太陽が出来たのが50億年前だから比較的若い星たちの集まりなんですよ。」
ミサトさんが望遠鏡を覗いて
「まるで星たちがパレードしているみたいね。」
と言うと、中野さんは続けた。
「ただ、青く輝く星は寿命も早いのです。」
私達の間を冷たい夜風が通り抜けるのを感じた。
私達の生はどれほど短くちっぽけなものなのかを感じた。その、たった一瞬の人生を私はどう生きるべきかを考えさせられた。
 
 その後、中野さんはいろいろな星を見せてくれた。それが終わると私達はドームを降り、天文台を後にした。
 それから、私は何度もあの天文台に通うようになった。天文台に行くといつものようにミサトさんがいて、中野さんがいて、望遠鏡を動かしていろんな星を見せてくれた。
 中には二連星という不思議な面白い星もあった。
 ある夜、私が天文台を訪れるとそこにはミサトさんの姿は見えなかった。
星を見て、解説を受けているときも、私は彼女のことが気になっていた。
 
 次の週、私はまた天文台に向かった。今度はミサトさんがいることを期待しながら。
その期待通りにミサトさんがいた。ただ、中野さんはいなかったのでどうしたのかとミサトさんに聞くと、中野さんは娘に会いに愛知に行っているから、今夜はお休みしているということを教えてくれた。
 二人きりの館内で私達は話をした。今夜は明かりをつけている。
思い返してみれば明るいところでミサトさんを見るのは初めてかもしれない。逆にミサトさんが私を見るのも同じだったと思う。
しばらく沈黙が流れた後に。
 ミサトさんはこう打ち明けた。
「私、旦那と離婚したの。子育ての方針とか、あり方とかで色々揉めてね。妥協点や落ちどころを見つけて歩み寄ろうとしたけど、ダメだった。彼は仕事熱心でありながらも私達家族のこともちゃんと考えてくれるいい人だったんだけど。それでも、どうしても納得がいかないところがあって。始めは我慢していたんだけど、それが積もっていき、最後はこれね。離婚。
今思うと、もっと話し合えばよかった、そしたら分かりあえたり良いところに落ち着いたりしたんだと思う。でも、気づいたときには遅かった。息子たちは二人とも大学生で親元を離れているけど、やっぱり学費とか仕送りとかはしないといけない。息子たちはどちら側に使うとも幸せに生きて欲しいなと思っている。」
「それで、そのショックでここに来るようになったんですか。」
と私は聞くと
「そう。ここに来ると、なんだか心が落ち着くの。始めはやっぱりきつかったし辛かったけど、何回かここに来て星を見るうちに、現実にしっかりと向き合えるような気がしてきた。」
とミサトさんは答えた。
 二人きりの館内で私はミサトさんの話を聞いた。彼女にもこんな事があったんだと。彼女が胸の中に抱えているものを吐き出しきったとき
「ありがとう、紗希ちゃんに話してだいぶスッキリしたし、気持ちの整理が着いたような気がする。長くなってしまったけど聞いてくれてありがとう。」とミサトさんは言った。
その時、ミサトさんの表情が落ち着いてきて、だいぶマシになってきたようにみえた。
 
「あの、もし良かったら私の話も聞いてもらえませんか。」
と私が切り出す。
「もちろんよ。何でも胸の中にあるものを私に話しなさい。秘密は守るから安心して。遠慮しなくていいわ。」
とミサトさんは言ってくれた。
私は、大きく息をついて話し始めた。
「私、新聞社で働いているんです。今は休職中ですが。働き始めた頃、私は地元に貢献できることが嬉しかったのです。東京の大学に行っていたのですが、その時都市では地方の情報が後回しにされているって感じたのです。そして地方と都市の架け橋になれたらなと思って。父に反対されたのですが、説得して私は富山に戻りました。それでここの新聞社に入社したんです。」
ミサトさんは私の目をじっと見つめて話を聞いてくれた。私は続ける。
「でも、働いてしばらくすると色んな仕事を頼まれて、始めは喜んでやっていたのですが、いつの間にか色んな人が私を頼ってくるようになったんです。私はあの人達は私を必要にしているんだと思ったら断れなかったのです。どんなことでも『やります』と答えては膨大な量の仕事を抱え込む。私は周囲の期待に応えようとするまり身を削って、自分の仕事と他人の仕事を一緒くたにして引き受けて、最後には心身を痛めて、そして病院に行ったら仕事を休むべきだと言われて今こうしています。 ごめんなさい、長くなってしまって。話がぐちゃぐちゃになって、よく伝わったかどうかわかりませんが・・・。」
ミサトさんはそうだったんだね、ここまでよく頑張ったんだね。と言ってくれた。
そして、こう尋ねた。
「紗希ちゃん、私の他に本音で話せて、悩みを打ち明けられるような人っている?」
と。私は答える。
「父や母は気まずいし、兄弟に言うのも気が引けますね・・・。あ、大学の頃よく本の貸し借りをしたりして話していた人がいました。あの頃もあの人に救われたような気がします。私が富山に戻るかどうかで悩んでいた時、彼は『自分の人生の舵取りをするのは他の誰でもない自分自身だ。だから自分がどう生きたいかは自分で決めなさい』と私に言ってくれたんです。もう随分前の話ですが。」
ミサトさんはもしかして、今の貴方に必要なのはその人かもしれない。いっそのこと、会いに行くのはどうかと言った。
 私は始めは驚いたものの、落ち着いて考えればそれがベストな気がしてきた。

 彼にLINEを入れてみる。まだ私のことを覚えてくれているのだろうか?私は心配だった。ただ、その心配もそう長くはなかった。
「もちろん、覚えているよ」と返信が来た。
「今度、会えるかな?相談したいことがあるんだ」と送信するといつでも待っているという旨の返信が届いた。
 そうだ、また会いに行こう。私にもう一度向き合えるような気がしてきた。
 
 私が天文台の外に出て空を見上げた時、おおぐま座のシリウスは明るく輝いていた。

トンネルを抜けると、そこには一面の雪景色が広がっていた。
 二十五歳の私は独り新幹線のシートに座っている。小さな白いテーブルには半分になった飲みかけのほうじ茶と一冊の本が置いてある。東京に近づくにつれて私の鼓動も早くなっていく。流れてゆく車窓を眺めながらふとこんなことを思った。彼は、私がこうすることを信じてずっと待っていたのだろうか?それともそうではなかったのか・・・。私には分からない。前者であると信じたいが、今の私にとってはどっちだって良いような気がしてきた。私が今、こうしていられる事自体が奇跡のように思えてくる。
 東京駅で降りたら、そこには見慣れた人の姿があった。彼だ。あの日ここで見たときよりもどこか大人びているように見えた。
 彼は私に気がついて、そしてこう言った

  「・・・おかえり、紗希。」

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