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短編 「遅刻」

 

 表彰式があったのは、1月の割には変に暖かく、どんよりとした薄暗い曇りの日だった。

  「本日はおめでとうございます」というマニュアル通りの言葉を言われ、受付の人は 私にマニュアル通りにパンフレットを渡してきた。それを見て私はまるでその動作が形式上のものであって中身がないように思えてきたであった。(勿論、私は彼らに対してどうこう言える立場ではないが)
 パンフレットに記載されている自分の名前が書かれていた番号の席を探し、それに座った。

 まず、式典の前に登壇練習がある。自分の一つ前の人がやるように自分も動いた。あいにくこういうのには慣れていないので、たどたどしい動きになっていたのだと思う。

 式典は開会の言葉で始まり、県のお偉いさんの祝辞が続いた。
「あなた達の作品は、オリジナルであり他の誰のものでもない。枠にとらわれない自由な感性を持っている。若くみずみずしいあなた達の感性を今後も磨き、ありのままの作品を今後も作ってください。期待しています。」大体の内容はこんな感じだったはずだ。
 その口調は穏やかであり、そしてなにか強いものを持っているように思えた。と同時に私の心が痛めつけらるのを感じた。
 
 そして、表彰に続いた。他の受賞者が表彰されていくのを見て、私はここにいるべきではないという思いが込み上げてきた。確かに、自分の作品が県で上位の賞をもらい、全国大会に選抜されたことは誇らしい栄誉ではあった。ただ、自分の心の中にはなにか重いものを感じてた。その日は、晴れ晴れとした気持ちで賞状をもらうことはできなかった。

 式典が終わり、私は顧問の先生の車で学校まで帰った。移動中、私は黙っていた。先生は静寂を埋めるためか、時折私に話しかけてきた。何の話だったのかはよく覚えていないが、私は適当に返事をしていたのだとと思う。
 ただ、絵のことについて話されたことだけは今も覚えている。君の絵はすごかったとか学校としても嬉しいことだったとか、そんな話を聞くたびに私はより、惨めな気持ちになるのだった。

 ・・・私は私の絵を描いていなかったのだ。

 勿論、上手い下手かで言われたら上手い方に分類されるのだと思う。自分で言うのもどうかと思うが、技術的にも優れていたはずだ。ただ、それは誰かの模倣であり、コピーであり、極めて表面的なものであったのだと思っている。周りからはそうではないと言われるのかもしれないが、私は確かにそう思ったのだ。

 またデッサンからやり直そう。今度は自分だけの絵を描くために。

 それから私は何枚描き続け、何本の鉛筆を使い果たした。その数はどれほどのものであったのかはもう忘れてしまった。それでも私は決して急がず自分のスピードで絵を描き続けた。

 季節は巡り、夏になった。太陽は眩しく窓の向こうの木を照らしている。青空に映えるそれを見ると、時間の流れを感じた。

 絵もそろそろ描き終わろうとしている。あとは、陰影をつけたり細かい部分を描き込んだり、逆に消したりして形を整えるだけだ。
 
 今年は、自分でも満足して全国大会に絵を出せそうだ。

 あの表彰式の日から半年と少しがたった8月の午後、私は香川県の美術館にいた。(今年の高文祭(※注)は香川県で開催される)
 そこにはあの頃とは違う絵が飾られていた。
ここまで来るのに、随分と焦らないタイプの遅刻をしてしまったものだと思ったものの後悔はない。これで、晴れ晴れとして式に出れる。私はそう強く感じた。

   ・・・私の絵を見たとき、私は初めて笑った。



注:全国高等学校総合文化祭(高文祭)

高校生の創造活動の向上と相互の理解を深めることを目的として,芸術文化活動の発表を行う高校生の文化の祭典のこと(文化庁ホームページより)

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