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退化も進化のうち
足首回しができない
最近、運動不足が続いており、もう少し体を動かしたいと地域の体操教室に通い始めた。受講生はハイシニアも含め100人ほど。先生の動作に合わせ、ストレッチやリズム運動など1時間半を使って全身運動をしていく。
教室の終盤に、床に寝転がって足首をまわす、という動作を、先生と一緒になってしていたときのことだ。
「今どきの小中学生は、この足首回しができないのだそうです。同じ方向に回すのはできても、外回し、内回しをするのができないと聞きました。みなさんはできていますか?」
全員ができているのを確かめながら、先生がおっしゃった。それを聞いたほぼ全員から言葉にならない驚きの声が漏れた。指導してくださるのは市の職員で地域の教育指導員をされている方なので、何等かのエビデンスをもとに話されたのだろう。
柔らかい鉛筆を使うのは握力がないから?
できないといえば、職場でも小学生のお子さんを持つ方から「今時の子供は、小学校1年生で2B、高学年になってもBの鉛筆を使っている」と聞いたことがある。なんでも、HBだと芯が硬すぎて書けないのだという。それだけ子供たちの握力が弱っているのだと話していた。
調べてみると、鉛筆の濃さを学校が指定しているというのだ。推奨ではなく指定なのか。しかも、低学年は2B、高学年はBだという。学校によってはもっと濃い鉛筆を指定しているらしい。濃い鉛筆を使う理由としては、鉛筆の芯がやわらかいほうが書きやすくきれいな字になるからとのこと。
筆者はというと、Bを使った記憶はあまりない。小学校低学年の時はHBを使い、Bや2Bを使ったのは図工の時間、それもスケッチの時ぐらいだったように思う。高学年になると、クラスメイトと競うように硬い鉛筆にしたり、シャープペンシルを買ってもらったりしたものだ。
鉛筆ひとつをとっても選ぶ楽しみがあったし、自分がひとつ成長したような、大人の仲間入りをしたような気分を味わえたのだが、今は「指定」とは驚きだ。
キミたちは退化している
もうひとつ、鮮明に覚えているのは小学生の5年生の頃だったか、担任の先生が話された足の小指の爪についてである。
「私や私の両親の世代、特に農業をしていた人たちというのは、大地をしっかり踏みしめて作業をする必要があったから、小指の爪も機能を果たすために大きく立派だった。みなさんの足の小指の爪はどうか?大きな爪の人はほとんどいないのではないか。それは使わない、つまり不要なものと体が認識しているからだ。退化の証だ」というようなことを仰ったのだ。
言われてみると、たしかに筆者の足の小指の爪は無いに等しい。爪もほとんど伸びず、随分小さいと子供心に思っていたので「退化」と言われて素直に納得しまった。そうか、足の爪は手に比べて随分小さいなと思っていたが、これは使わなくなったために起きた退化だったのか、と。
状況に応じて退化も進化もする
爪だけではない。手の大きさもそうだ。母や祖母の手は身長に見合わないくらい大きかった。母や祖母に限らず昔の人たちは、小柄な人でも不釣り合いなほど大きな手をしていることが多い。それは幼い頃から「握る」「掴む」といった手を使うことを多くしていたからかもしれない。
サイズが小さくなったからといって、それを退化と呼ぶのか。子供の頃は「これが退化の証か」と人間の変化を目の当たりにしたようで感動したものの、今のところ特に不自由はない。必要になれば皮膚が硬くなるなど、何か代用するような変化が起きるかもしれないと思っている。それと同じで、足首まわしができない子供たちも成長と共にできるようになるだろうし、手のサイズも、幼い頃から使う必要が生じてくればまた大きくもなるだろう。
退化も進化のうち。さほど悲観することも、驚くこともないのだ、きっと。