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日本にいる外国人は全員殺人鬼!?
本を読む手が止まった隣の会話
週末のある日、美術館へ行こうと都心に向かう私鉄に乗った時のことだ。運よく座れたので本を読んでいたのだが、隣の親子の会話に釘付けになってしまった。
30代半ばくらいの父親が小学2年生ぐらいと思しき男の子に、繁華街には一人で行ってはいけないと教えていたのだが、その内容があまりにぶっ飛んでいたからだ。
外国人は全員凶悪犯
「〇〇(息子さんの名前)は、一人で✖✖(繁華街のある駅名)に行ってはいけないよ。✖✖はとっても危険で怖い所だからね。✖✖はいま、外国人でいっぱいでしょう?だからね、治安が悪くなっているんだ」
「治安が悪いってどういうこと?」と問う息子さんに
「治安が悪いっていうのは、犯罪がたくさん起きているって事だよ。どうしてかっていうとね、日本に来ている外国人はね、全員犯罪者だからだよ。
それもね、ただの犯罪者じゃないよ。全員、殺人を犯したことがある人達なんだ。殺人鬼なんだよ」
…えっ、ええっ? はぁ??
治安が悪くなったのは外国人のせいだ、というだけでも相当な偏見であるが、そのうえ全員に犯罪歴があり殺人鬼とは、いったいこの男性は息子さんに対してどんな教育をしているのだ!?
帽子をかぶっていることをいいことに、そうっと帽子のつばの隙間から覗いてみた。すると、そのお父さん、息子さんに向かって真顔で話している。どうやら誇張などではなく、「愛する我が子のために」本気でそう思って話しているようだ。
息子さんは筆者に背を向けていたので、どのような顔をしていたのかわからないが、真剣に父親の顔を見ている様子だった。
お父さんのおかしな教育は続く。
心臓をえぐり取られる
「だからね、〇〇くんがもし一人で✖✖を歩いたら、外国人にさらわれて殺されちゃうんだ」
「殺されるの?」驚いたように聞く息子さんに、
「そうだよ、殺されてね、心臓をえぐり取られちゃうんだ」
「どうして?」
「それはね、心臓は高く売れるからだよ」
「どうして高く売れるの?」
「病気の人がね、その心臓を必要としているから、いくらでもお金を出して買うからだよ。すっごく高いお金で売れるから、儲かるんだよ。そういう悪い人ばっかりいるんだ。だから、〇〇くんがひとりで✖✖を歩いたら、絶対に外国人にさらわれて殺されて心臓えぐり取られちゃうんだよ。ものすごく怖いところなんだよ。だからね、高校生になるまで一人で歩いちゃだめだよ。高校生になったら、外国人に殺されそうになっても、抵抗できるだけの力がつくだろうから、そうしたら一人で歩いてもいいよ」
教えがゆるぎないものになることも
さらに、である。その親子が降りる駅に到着した際に、向かいの席に座っていたお母さんがお父さん、つまり旦那さんに近寄りながら、
「お父さん、素敵!すっごくいい教えで感動した、ありがとう!」と
満面の笑みで言うではないか。熱弁をふるっていたお父さんも、満足そうに頷いていた。
「知らない人についていってはダメよ」と親から言われて育った人は多いだろう。用心すべきはどういう人か、どこに危険が潜んでいるかといったことを教えることは大切だとは思うのだが。
幼い子にとって親の言動は、絶対である。たとえそれが間違っていたとしても、一度はそれが「正しいこと」として脳裏に刻まれてしまう。子供にとってそれが特に強い印象として残ったり、あるいは何度も繰り返し教えられたりすると、たとえ間違っていたとしても、ゆるぎないものになってしまう可能性もある。
親の教えに苦しむ
筆者も、母親が「良かれ」と思って教えてくれた「言葉」にしばられることがある。もちろん、成長するに従い母の教えがすべて正しいわけではなく、一部は間違っていたり、あるいは偏見だとわかってくる。ところが頭でわかっても、その対象となる言葉や事象を目にした際、瞬時に出てくるのは、偏見に満ちた母の言葉なのだ。
その言葉が脳裏に浮かぶたびに、非常に悲しい気持ちになる。頭では否定し、すぐに排除しようとしても、一度は脳裏に浮かんでしまうその言葉に、とても嫌な気持ちになる。なるべく偏見に満ちたものの見方をしないように努めているはずが、自分が一番しているじゃないか、と。しかも、なかなか頭からその言葉が離れない。時に長期間にわたって引きずり、あまりにエネルギーを奪われてヘトヘトになることもある。
言葉って難しい
言葉をどう受け止めるかは、人それぞれだ。同じ言葉や考え方、物の見方でも、真正面から受け止めてしまう人もいれば、早いうちから適当に流せてしまう人もいるだろう。
相手がどう受け止めるかは、わからない。発言している側も、それが子にどのような影響を与えるか気づいていない場合もある。言葉は難しい。特に教育という名のもとに愛する我が子に投げかける言葉の難しさを、改めて感じた。