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歯科矯正で自分の歯を知る


前歯が出て来た

 ある日、歯科矯正をしてみようかと思い立った。
 若い頃はまったく思ったこともなかった。歯並びはよいほうではないが、日常生活に支障をきたすようなほどではなかったし、費用も高額になるため、今の歯でいいかなと思っていた。
 急に矯正してみたくなったのは、前歯が出て来たからだ。ずっと上の前歯2本はきれいに並んでいたはずなのに、右の前歯だけが少しずつ前に出てきて、そのうち唇が引っかかったり噛んだりするようになってきたからだ。歯並びを元に戻せるなら、お金がかかっても矯正してみようか。そう思ったのだ。

健康な歯は抜きたくない

 定期的に歯のメンテナンスに通っている歯科系大学病院の医師に相談したところ、さっそく矯正科を紹介された。費用は聞いていた通り高額だったが、矯正を始めるまでに何度か検査やカウンセリングがあるそうで、その期間であればいつでも止められるとのことだった。
 治療開始前の精密検査では、何度か日を変えて歯型を取ったり口腔内の写真や、レントゲンを撮ったりといった精密検査やカウンセリングが行われた。カウンセリングでは両親の歯並びや病歴、筆者の出生からこれまでの既往歴、食べ物の好みや変化、育った場所や環境、顎や歯を強打したことがあるかといったことや、こちらの要望を聞かれたりした。要望は健康な歯を抜かないこと。これは絶対に譲れない条件だった。

矯正は改悪、もしくは8本の抜歯

 毎回それなりの費用がかかるため、精密検査だけで金欠になりそうだった。ようやくすべてが終わり、診断結果と治療方針が決まる日が来た。
 この日は診察台ではなく、会議テーブルに案内される。医師がテーブルにこれまで撮った口腔内の写真やレントゲン写真を並べて、顎の形や首にかけての傾斜角度、歯の生え方や状態などについて詳しく説明してくれた。
 それによると筆者の歯は、上下ともにデコボコが目立つものの咀嚼に問題はないとのこと。骨格評価でも、歯並びの良い人に比べてさほど違いがあるわけではないそうだ。ただ、上あごが下あごに比べ少し大きく、こういう状態だと普通は出っ歯になるところ、前歯が内側に湾曲するように傾斜しているため、そうならずに済んでいるということだった。
 ただ歯を抜かずに矯正する場合、前に出てきてしまった右前歯に合わせて行うという。そうするとせっかく出っ歯ではなかったのに、口を閉じるのが大変になるくらい歯が前に出てしまう。そうなると、もわっと盛り上がったような、前に突き出したような印象の口元になるという。

歯根が短い

 抜歯する方法なら出っ歯にはならないが、上2本と下2本に加え、残っている4本の親知らずも抜く必要があるという。つまり、合計8本もの健康な歯を抜くことになる。しかも抜いた歯の数が多ければ多いほど、移動させる距離も、歯にかかる負担も大きくなる。
 ところが筆者の場合、歯の根の長さ、特に前歯の根の長さが一般的な人の半分くらいしかないのだそうだ。そのため歯を動かす力に耐えられず、抜けてしまう可能性が出てくる。もし矯正がうまくいったとしても、根が抜けやすい状態となり、早々に入れ歯になる可能性が出てくるという。
 もちろん、必ずそうなるわけではない。筆者と同じような人でもまったく問題なかったケースもあり、こればかりはやってみないとわからず、事前に予想ができないのだそうだ。
 よって、医師から出された結論は「矯正しない方が良い」だった。

結論に納得

 正直、ほっとした。
 というのも、治療方針に納得していないのに、押し切られて矯正するはめになったらどうしようか、なんとか治療できる方法を探して提案してきたらどうしようか、という一抹の不安があった。
 ところが、矯正すると改悪になるしリスクも高いため、しないほうが良いとはっきり告げてくれたのはありがたかった。この診断結果は担当医師が一人で出したのではなく、教授を含む複数メンバーで事前に検討会が行われたうえでの最終的な結論ということだった。
 矯正前に長い時間をかけて診てもらい、治療方針を検討してもらえただけではなく、なぜその結論に達したのかについても丁寧に説明してくれた。正直、ここまで丁寧に説明してもらえるとも、自分の歯について詳しく知ることができるとも思ってもいなかったので、とても貴重な機会だった。

8020運動実践のために

 もし矯正科を受診しなければ、ずっと出てきた前歯にコンプレックスを抱え、悶々とした気持ちでいたことだろう。しかも筆者の歯は一般的な歯根と比べ、長さが半分しかないなど知る由もなかった。歯根が短い場合、年齢が上がるにつれて根がさらに短くなる傾向にあるそうだ。そうなると抜ける可能性が高まり、早ければ60代で総入れ歯になりかねないという。
 せっかく8020運動(「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動のこと)を実践しようと若いころから歯のメンテナンスのために定期的に通院していたのに、60代で歯がボロボロになってしまったら、何のためのメンテナンスだったのだろうと悔やむところだった。なにせ食いしん坊な筆者は、8020運動を知った小学生の頃からずっと、高齢になっても自分の歯でおいしく食べたいと思ってきたからだ。
 歯茎も痩せて来ているため、歯周病科にも通ったほうがいいそう。これまでの定期的な通院に加え、歯周病科も受診してみよう。自分の歯で食べるという、ささやかな幸せがずっと続くように。
 


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